短編集66(過去作品)
と思うと、手紙を読んでいて、自然と笑みがこぼれてくる。一緒にいないのだから、少しは感情をこめていいだろう。だが、そう思うと、自分が情けなく感じられる紀子であった。
一人暮らしを始めて半年が経つと、紀子にも彼氏ができた。雰囲気はまじめなタイプの青年で、背が高いのが気に入った。紀子自身は女の子の中でも背は低い方で、これこそ母親の遺伝だろうと思っていた。それだけにコンプレックスを持っていたのだ。
肉体的なコンプレックスだけはどうしようもない。気の持ちようで背が高くなるわけではないので、コンプレックスを一度感じてしまうと、少しは解消できたとしても、完全に消えるわけではない。どこか突発的なことで再度表に出てくるかも知れないという危険性をはらみながら、うまく付き合っていくしかないのだろう。
彼氏は友達の紹介だった。紀子のまわりにはなぜかおせっかいな友達が寄ってきていた。世話焼きの人もいれば、聞きたくない情報を入れてくる人もいた。決して親友にはしたくない連中ばかりであるが、たまに紀子のためになりそうなことをしてくれることもある。それだけに切り離すことのできない人たちでもあった。
紀子に彼氏を紹介してくれた友達は、世話焼きの部類に入るだろう。時々世話焼きが過ぎて、世話を焼いてくれたこととまったく関係のない人との関係がぎくしゃくしたことがあった。文字にすると複雑なので想像に任せるが、過ぎたるは及ばざるがごとしのことわざどおりに、紀子の立場が微妙になったのだ。
今ではその関係も修復されて、前の状態に復帰していたので、事なきを得たのだが、おかげであまり人を信用しきってしまってはいけないという教訓を得ることができた、紀子にとってそれも成長の一つであり、一人暮らしをしていく中で、自分を一番不安にさせる要因であった。
前ばかりを見ていてもいい年齢である。彼氏ができたことも前を向く最大の理由である。紀子にとって初恋というわけではないが、田舎にいた時の恋というのは、相手にというよりも、恋することに憧れていた時期なので、初恋のようなものだと思ってもいいだろう。
小学生の頃に好きになった男の子がいたが、それを初恋と言えるかどうか微妙である。もしそれを初恋というのであれば、好きだったことの理由づけがないままに感情だけが動いたものだということまで、恋の範疇に入れてしまうことに少し違和感を感じるのであった。
一人暮らしを始めてからの紀子は、性的感覚がなければ恋とは呼べないと思っている。恋とセックスを切り離すことができない。セックスというのは、肉体の問題ではなく、気持ちの高ぶりが身体を介して、快感を求めるのだと思っているからである。セックスとは、恥ずかしいことでもなんでもないという考え方である。
友達から紹介された彼氏には、セックスアピールをあまり感じない。ボーイフレンドとしてはいいかも知れないが、彼氏としてはどうだろう。すぐに受け入れる気分にはならなかった。
彼にも性的欲望があるようには感じられない。彼にないので、紀子に性的欲求を彼に感じろといっても、それは土台無理な相談である。ただ一緒にいて新鮮さは感じられる。癒しになっているのかも知れない。ただ、長続きはしないだろうという思いはあった。それだけ冷めていたのかも知れない。
実際にすぐに別れることになった。話をしていても噛み合わないし、一緒にいて楽しめない。趣味もまるで違っていて、女性的な趣味はあまりない紀子は、彼と一緒にいて、自分に趣味がほとんどないことを思い知らされた。それは自分が面白くない人間であるということを暗示しているのと同じである。
彼には、男性らしい趣味もあったし、カルト的な趣味があった。紀子から見れば、カルトな趣味があまりにも目立ちすぎて、せっかく男性らしい趣味があるにも関わらず、見えていなかったのだ。そのことは彼と別れて、気が付いたのだ。
彼に限らず、眩しすぎるものを持っている人を紀子は苦手にしていた、コンプレックスを感じずにいられないからで、これ以上自分が惨めになるのが嫌なのだ。普段は自分を自分で惨めだと思っているなどまったく顔に出す素振りもなく、平静を装っている。
彼と別れてスッとしたと感じたのは、最初の一週間ほどだった。後から思えば、一週間もスッとした気分がよくあったなと思うほど、想像以上に一瞬だったような気がする。彼に男を感じなかったのは最後までで、それだけは間違いなかった。
だが、別れてからすぐ、彼には別の彼女ができた。その女性は紀子の知っている人だったが、それほど親しい人ではない。わざわざ元自分の彼氏だったなどということをバラすほど野暮ではないし、それがどれほど自分を惨めにするか、それくらいは分かっていたのだ。
二人を見ていると、ムカムカしてくる。それは羨ましいという感覚ではない。どちらかというと、自分にないものを二人が持っていることに今さらながらに気づかされたことが悔しいのだ。人それぞれなのだから、自分の持っていないものを持っていても当然なはずなのに、この二人に関しては、それが許せないのだ。
それからの紀子には誰も男性を紹介してくれようともしないし、実際の出会いもなかった。自分の殻に閉じこもっているのは分かっていたので、それはそれでもいいと思っていたのだが、見栄を張るにも限度があると感じると、見栄を張っているわけではない自分に必死で言い聞かせていた。
見栄というものは、誰に対して張るものなのだろう。この場合はまわりの人不特定多数でなければ成り立たない。別れた彼にでも、彼と付き合い始めた女にでもない。だが、不特定多数だとすると、あまりにもたくさんの、しかも漠然としていることが、言い知れぬ疲れとなって蓄積していた。
疲れはストレスになり、やがてトラウマになってしまう。また同じことを繰り返してしまうという未来が確定してしまうのではないかと思うと、やりきれない気分になる。悪い方に考えると悪い方にしか行かない。それこそ堂々巡りを繰り返してしまい、これを悪循環というのだと感じた。
一人でいることが多くなると、寂しさはそれなりに慣れてくるもので、慣れが安心感につながってくる。そうなると、悪循環を繰り返していた自分を自覚しなくなり、気が付けば泥沼から抜けられなくなる。何かのきっかけでそのことを知ると、世の中の矛盾について考えるようになるだろう。
世の中の矛盾について考えるということは、言い訳を考えているのと同じである。所詮天に向かって矢を射れば、自分に戻ってくることになるのだ。
その頃は、ゆっくりと歩いているつもりでも、知らず知らずに早歩きになっていた。人込みの中が嫌になり、ダラダラ歩くのが溜まらない。思わず後ろから蹴飛ばしてやりたくなるくらいで、蹴飛ばした拍子に、自分のひっくり返る姿が浮かんでくるのが分かっていた。
それにしても、好きになったと思ったはずの彼を、どうしてここまで嫌いになったのだろう。自分が二重人格だからだと感じたが、それだけなら彼の方からも紀子を嫌いになってもいいはずだ。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次