短編集66(過去作品)
会社では同期の女の子も数人いたようなので、男性の目は彼女たちに向いてくる。
「私に話し掛けてくれる男性なんていないのよ」
と最初から言っていたので、佐吉も話がしやすかったのだ。
話をしやすかったことで、かなり増長してしまっていた。自分の無謀な暴走に気付かないでいたのだ。
そんな彼女に、会社の人が密かに思いを寄せていたという話を聞いた。
佐吉にとっては、自分の彼女を人が好きでいるということがどういうことか、最初は分からなかった。
嫉妬がメラメラと押し寄せてくるか、それとも、
「俺の彼女も捨てたものではないな」
と感じるかのどちらかであろう。どちらにしても両極端である。
佐吉の場合は、後者だった。それは、自分の中での自信の表れであり、
「彼女が自分を嫌いになるはずはない」
という驕りに近いものだった。
近いというだけではなく、間違いなく驕りだった。人というのは、不変な考えを持っている人ばかりではない。特に男と女の関係は、会うたびに変わっていっても不思議のないものだ。
その時に感じていたのは、自信ではなく、自儘な考えでしかなかった。
まさに
「井の中の蛙大海を知らず」
であった。
だが、彼女から聞かされた話としては、
「あなたのことが好きなので、言い寄られて困っている」
いう内容だった。それを佐吉はまともに信じ、
「彼女が自分を嫌いになるはずはない」
と思うようになったとしても、無理もないことだった。
それでも、後から冷静に考えれば、馬鹿げた考えではあった。顔が真っ赤になりそうになったくらいだった。
彼女からの連絡が急に途絶えてくる。当時は携帯電話などもなく、家には連絡しないという約束だったので、電話もできない状況だっ
た。
「親から反対されているのが原因かも知れない」
連絡をしてこないことを、そのように理解した。それが佐吉への彼女の優しさだと思ったからだ。
優しさという意味では間違った解釈ではなかったが、自分にいい方に解釈したために、佐吉は彼女を放っておけなくなってしまった。
「俺が親のたがから解放してあげよう」
と、まるで正義のヒーロー気取りだった。
そもそもその考えが間違っている。逃げようとしているものを勘違いから追いかけようとすれば、反発があるものである。
だが、彼女は何も言わなかった。そのうちに佐吉も切れてくる。訳が分からないと思っているのに、何も言わないからだ。それが彼女の優しさだとは気付いていないままであった。
ストーカーという言葉が流行り出したのは、まだそれから後のことだった。だから、その時の佐吉には自分がストーカーだという意識はなかった。自分の納得の行かないことは、とことんまで追求するという猪突猛進に走っていた。
会社の前で彼女が現れるのを待っていたりした。
「待っていてくれることを嬉しいと感じてくれるに違いない」
この思いだけが佐吉を支配していた。彼女からしてみれば、
「どうしてそこにいるの? こちらがせっかく避けているのに」
と思っていたことだろう。実際に彼女が現れることはなかった。
それでも必死になって待っている。佐吉の頭の中には彼女とのデートのシーンが走馬灯のように繰り返される。
遊園地に行った思い出、公園のベンチでお互いのことを話した思い出、そして、今度はどこに行こうか、何をプレゼントしようか、妄想の中で彼女の喜ぶ顔だけが浮かんでくる。
時計を見るとなかなか時間が過ぎてくれないが、苦痛ではなかった。
自分の中での妄想と、彼女のためにしているという自負が自分にあるからだ。それだけ自信があったのだろう。彼女も自分もお互いに理想だと思っていたことが、ただの妄想だということに気付いていなかっただけなのにである。
女性の方がシビアなのか、佐吉の方が子供なのか分からない。そのどちらもであろう。純粋といえば純粋だ。純粋な部分だけが見えている時は、彼女の中の理想は花開いていた。しかし、佐吉が子供に見えてくると、彼女の中での理想が妄想だったことに気付く。
何もかもが嫌になったかも知れない。自分の中で吹っ切ろうとしてジレンマと戦っていたことだろう。だからこそ、彼女は佐吉に何も言わずに連絡を断った。連絡を断つことで、自分の中で整理していたに違いない。
佐吉はそんなこととはつゆ知らず、彼女が連絡を断ったのは、自分に非があるなどという発想はまったくなかった。
最初から自分がヒーローだという妄想を抱いていた付き合いであった。もっと言えば、彼女と知り合う前から、女性との付き合いに対して妄想があった。
元々女性を意識し始めたのは、まわりの同級生が彼女を連れていたりした時の友達の顔や、彼女の顔がいきいきとしているのを見てからだった。女性の表情にドキッとした胸の鼓動を感じ、友達の顔に、
「俺もあんな表情できるんだろうか?」
という憧れを抱いたりした。
それが妄想に広がり、
「やっぱり、俺には無理だろうな」
女性を目の前にして話をする自信がなかった。まず話題性がないことと、前に出れば緊張で声が出ないだろうと思ったからだ。
まず、好きになった女性に告白などできないだろう。そうなると考えられるのは偶然の出会いか、女性の方から告白されることだった。
「偶然の出会いなんて、そんなに簡単に転がっているものではないだろう」
と思いながらも、女性の方から告白される確率とを比較すれば、数段偶然の出会いの方が強いと感じた。それだけ、佐吉は自分に自信がなかったはずだった。
しかし、知り合ってしまうと変わってくる。一気に自分の中の自信が膨れ上がる。それが妄想と結びつくからタチが悪い。その時の佐吉にはこの理屈が分かっていなかった。
自分に驕りが出てくるのか、小学生の頃を繰り返してしまっていることに気付いたのは、かなり後のことだった。
落ち込むと果てしない佐吉だった。最初から自分に非がないと思っているのだから、どうしようもない。
「どうしてなんだ?」
最初から最後まで疑問符がついている。最初から無理があったなどということは最初から考えていない。したがって、自分の都合よくしか解釈できない。それも小学生の頃からの性格によるものなのかも知れない。
落ち込んでしまうと、半年は立ち直れない。最初から、半年くらい立ち直れないのが分かっていたかのようである。途中で鬱状態になってしまうし、そうなると時間も掛かる。
鬱状態に入り込むのは、何もこの時が最初ではない。それまでにも何度かあって、ほとんど二、三週間掛かってしまうことを予期できた。
鬱状態に入り込む時は前兆のようなものがあり、抜ける時もトンネルに光が差してくるのが見えてくる。期間が分かっているくせに、どうしようもないのが鬱状態で、それだけに生殺しに遭っているのではないかと思えていたのである。
鬱状態でなくとも、頭の中をフル回転させていろいろと考えるのだが、最終的に同じところに帰ってきて、袋小路に入り込んでしまう。それが半年も抜けられない理由だった。
さらにタチが悪いことに、悩みを自分で抱えているのが嫌で、必ず人に相談めいたことをしていた。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次