短編集66(過去作品)
弱い方が現実世界の自分であればまだいいのだが、もし夢の世界の自分であれば、夢の世界の秩序が崩れてしまう気がして怖いのだ。元々、同じ人間が二人存在していること自体秩序が崩れているのだ。これ以上崩すことは許されない。
だが、頭が働いているのは現実世界の自分だけだ。目はそれぞれに移動して、お互いの視線で見ることができる。だからこそ、夢の世界に馴染むには時間が掛かり、冷めてしまったら、ハッキリ覚えていることなど不可能なのだろう。
その日の賢治はどうかしている。あまりにも、夢の世界で意識がハッキリしすぐているのだ。
――ひょっとして、夢ってこういうものではないのか?
と思ってきたことが意識としてある。現実の世界のように歯止めが存在しているのではないかとも考えている。歯止めは限界とは違い、危ないと感じれば、その世界から脱出することができる。それが目覚めなのだろう。
タイムマシンの研究をし始める前から、夢についての考え方はほとんど変わっていない。研究を続けるに従って、夢の世界にタイムマシンの発想が近づいて行くのを感じた。そのことは最初から分かっていた。夢の世界の概念を考えることができない人間は、タイムマシンを語るべからずとさえ思っていたくらいだ。
だが、それは賢治が考えているだけではなく、口に出さないだけで同じことを考えている人も多いはずだ。口に出すこと自体がタブー、「玉手箱」を開くようなものだ。
玉手箱を逆の発想で見ている人もいたっけ。
「開けたからおじいさんになったのは間違いのないことだけど、開けてしまったからおじいさんになったんじゃないんだよ」
「どういうことですか?」
「白い煙が若さの元だったのかも知れないということさ。開けてしまったことで、若さが抜けてしまった。まったく普通に考えている人と逆の発想だね」
と言っていた。若返りの魔法の薬のようなものだったという考え方だ。夢の世界だって年を取らないが、意識は年を取る。そう思うと、下手に夢の世界を掘り下げるのも、いかがなものであろうか。
八重子は果たして何を見ているのだろうか?
一つのものをじっと見つめていて、その先には次第に遠ざかっていくものがある。それは時代を超えたもので、目の前には父親の姿があった。
微笑みかける父親に思わず笑顔を向けるが、父親は踵を返して、今度は誰かを追いかけようとしている。すでに死んでしまった父親を追いかけることは、自分も死の世界に向かっていることを示しているのだが、さらに八重子を追いかけている一人の男の子がいる。
男の子はまだ小学生くらいだろうか。声は聞こえないが、唇の動きはハッキリと、
「お母さん」
と告げている。
考えてみれば、八重子が追いかけている人物がどうしてお父さんだと分かったのかも不思議なのだが、それも子供が八重子を見て、
「お母さん」
と口走ったことからの発想である。逆転発想とでもいえばいいのだろうか、夢の世界はそんなものまで許容範囲としているのだ。
八重子の父親は確か若くして亡くなったという。不治の病を克服しようという気持ちはあっても、若いので進行も早く、当時の医学ではどうにもならない病で、
「今なら治ったかも知れないわ」
と言っていた。
八重子も同じ不治の病なのではないか?
あまりにも唐突な発想であるが、追いかけてくる子供、それは将来の子供であり、父親は誰なのか……。こんな夢を見ているのだから、予想がつかないわけではない。
「まるで、自分の影と競争しているようだな」
夢の中の自分が呟いた。自分につながっている影。切っても切り離せない。それが夢の世界であり、夢の世界にいるもう一人の自分。その世界を垣間見たということは、賢治にとって、少なくとも今が大きなターニングポイントになっているのではないだろうか。
研究、そして小説、すべてを自分で受け止めて、素直になれる時期。そして、写真に写る自分の顔の違いについて考えることのできる時期。今、賢治にとって、何が大切かを考える時なのであろう。
結論など、簡単に出るわけもない。
季節は夏から秋に変わりかけている。空は透き通るように真っ青、見上げていると、飛行機雲の一筋に、目が離せなくなっていた……。
( 完 )
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次