短編集66(過去作品)
真っ青な空が白く見えてくると、さすがに目を逸らさなければいけないと思い目を逸らすが、その先には先ほどの残像が残っているのか、今度は飛行機雲だけが、イメージされる。その飛行機雲すら静止した状態ではなく、動いている状態で瞼の裏に残っているのが気持ち悪く、飛行機雲を注視してしまったことを後悔してしまう。
小説を書いていて、一番のネックになっているのは、堂々巡りを繰り返すことだ。イメージを膨らませていくと、違う次元の発想をしていても、どこかで同じレールに乗っかって、同じ発想を抱いてしまう。同じ人間なのだから当たり前で、思い浮かんだことが以前にも思ったにも関わらず、再度思い浮かべてしまう。
――これはいいぞ。自分らしい発想だ――
と思うのだが、それも当然である。
しかも、ついさっき思い浮かんだことの方が、リアルにそう感じる。時間が近い方が、より重なる部分が同じになり、たった今思い浮かんだことだと思い込んでも、まったく疑うことなどないだろう。
世の中にはそれと同じことがたくさん転がっているように思う。無意識の行動も、すべて何かと結びついていて、一つの発想から広がっていくことが、接点になって現れるのではないだろうか。
写真を見て、毎回違う表情であると気づいた時、残像が残っているはずの瞼に違う顔が浮かんでくる。もちろん、鏡や写真としての被写体を見なければ自分の顔は確認できないので印象が薄いのは当たり前だが、それだけ意識の外に誰かの顔が深い印象として残っているのかも知れない。
八重子の話を聞いていて、楽しい話を思い浮かべた。心に余裕の浮かんでくるような小説だが、ストーリーを考えながら、途中で挫折してしまう。
まわりから責めて行って、次第に焦点を狭めながら核心をついていくような手法で、いつものように考えていたが、ある程度まで狭めてくると、怖くなってくるのだ。
誰かと夢を共有していることを思い出した。
――今日こそ誰かを確かめたい――
と、いつも考えているが、目が覚めると忘れているのだ。
その日は、念願の夢を覚えていることができた。しかし、それが本当によかったのかどうか、ラストへの猛スパートが賢治を襲った。
その日は、最初から夢だと分かっていた。真っ暗な場所で目が覚めた。目が覚めたことが夢の中に入り込んだことを意味していたが、そのことをすぐに理解できたのだ。夢を理解できる時、それが目が覚めて覚えているか忘れているかの分かれ目だった。
夢の中を見るのは、まるでテレビのブラウン管から覗いているようだ。起きている時はブラウン管を眺め、夢を見ている時はブラウン管から眺めている。ブラウン管はいろいろなところに存在しているのだろうが、賢治の見るブラウン管は限られている。その一つが、賢治の部屋のテレビだった。
ブラウン管から見る部屋は、まず最初は真っ暗なのだ。明るいtころから始まらないことが夢を思わせ、意識させる。現実を意識せず当り前だと思っているのと同じで、夢の中では夢を夢として当り前だと思っている。空気があるのかないのか、そこに質量が存在するのかも分からず、空気の存在が夢の中では黄色く見えるのではないかという考えが浮かんでくるのは、現実との違いを夢が感じているからである。
現実の世界からは、夢が想像でしかないように、夢の世界では現実は想像でしかない。ということは夢を見ている人間は自分であって自分ではない。もう一人の自分が存在し、そこに本当は、現実世界の自分も一緒に存在している。だが、それでも現実世界では、夢の中の自分は存在できないのだ。それだけ現実の世界というのは、夢の世界が存在することを、限りなく無に近いと思っているに違いない。
夢の世界の自分は、現実の世界を基本として夢ができあがっていることを理解している。それだけ謙虚だとも言えるのだろうが、それだけでは夢の世界の存在はありえない。そこに現実世界の自分がいない限り、存在しきれない世界なのだ。
明るさも色も、そして質量も空気さえもが自由自在な夢の世界。夢の世界の自分は、そのすべてを意識しながら、
――色や質量、空気はないんだろうな――
と思うことで、現実世界の自分に思い込ませている。ただ明るさだけは、夢の世界の明るさというものが存在し、それに準拠しているのだろう。明るさがないと、いくらなんでも、夢の世界の存在が信じられないからだ。
明るさは色に反映している。すべてがモノクロに見える世界。つまり夕凪の時間帯を意識した明るさではないだろうか。夢から覚めて覚えているわけではないが、意識の中でそれぞれの世界を共有しているものが、モノクロに描かれた世界という認識である。
夢の中には女がいる。女は真っ白な肌をしているが、クッキリとした黒髪、さらには鮮やかに彩られた真っ赤な唇。ハッキリと色を持っている。しかも、髪も唇もキラキラとした眩しいばかりの色を持っていて、全体世界とは違っていた。
それでも世界から浮いているわけではない。そこにいて、何ら違和感はないのだ。ただ、モノクロはまわりの光を吸収していて、光を与えることなどありえない。それなのに、彼女自体からは、色を感じ、明らかに光を放っているのだ。
――宇宙空間と、太陽のようだ――
太陽がいくら明るい光を発しようとも、地球に対しての生命の源になり、さらには色や空気の存在の恵みともなっているにも関わらず、他の世界は暗闇に覆われている。太陽と地球の間には果てしないほどの距離が存在するのに、その間の空間は真っ暗な世界である。太陽といえど万能ではない。きっと、よほど太陽と地球とは相性がいいのだろう。
そう考えると、夢の世界と、その女とはよほど相性が悪いのかも知れない。夢の中に存在しえるはずのない人が現れたのだ。これは尋常ではない。今までなら、そんなことを考えるはずもなかったが、なぜか意識が夢の中で存在している。きっと、現実世界の自分が意識していることに違いない。
夢の中の女が八重子であることに気がつくまでに少し時間が掛かった。夢に女が出てくるとするならば、八重子以外には考えられないのにそれだけ時間が掛かったのは、女が誰であるかということは、意識の外だったのだ。
すぐに誰だか分かると思ったからだろうか。いや、そうではない。八重子が賢治の夢の中にいるという構図があまりにも嵌っていて、まったく違和感がないからだ。それこそ石ころのような存在、そばにいても、まったく意識しない存在ともいえる。
だからこそ、色がハッキリしていたのかも知れない。彼女の存在を鼓舞するためには夢の中では考えたことのない色という概念が彼女を通して存在したのだ。そのことを八重子は分かっているに違いない。
八重子は動かない。目は前を見つめているだけで、瞬き一つしない。その様子を二人が眺めている。
ここでは、俺たちと呼ぼう。俺たち二人はお互いに見つめ合うことをしない、それはまるで鏡を見つめているのと同じだからだ。
相手は自分なのである。お互いに見つめ合えば、どちらかその瞬間の力が強いものの影響を受け、片方の自分は、相手の行動の対照としてしか動くことができない。存在しえないとも言えるだろう。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次