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短編集66(過去作品)

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 いろいろなことが頭を巡る。地球であれば、成層圏があって、そこに近づくにつれ、空気が薄くなったり、空の青さが濃くなったりするが、その星は中心に近づくだけだ。中心を越えると、今度は上がっていくのではなく、落ちていくことになるのである。
 ところどころに大きな穴が開いていて、そこから他の星への輸送便などが発着する。飛び出してしまったことはないらしい。だから、この星には犯罪はないのだ。一歩間違うと、まったく重力の働かない世界に飛び出してしまい、出た瞬間に身体が破裂して死んでしまうことは誰もが周知のことだった。
 人々がお互いをなるべく干渉しないように生きているようだ。そのかわり、人情のようなものも存在しない。まるで地球の都会のようではないか。
「隣は何をする人ぞ」
 そんな声が地球から聞こえてきそうだ。
 不思議なことがある。彼らは何を食べているのだろう? 文明という言葉とはほど遠い生活の彼らは、肉食ではない。旅人が肉を食べようとするが、
「この星の動物は食べてはいけません。食用ではありません」
 と諭された。
 また、植物も、
「放牧動物の餌になるものですから、人間の食べるものではないです。この星では家畜が草を食べる以外は、食することはないんですよ」
 だから争いなど起こるはずもない。共存共栄の精神がないからだ。誰もが仕事もせずにのんびりとしている。だから身体に空気も溜まって、空に浮くこともできる。そういう世界の星である。
 そう考えると、循環機能は地球と似ている。それぞれ機能に応じた肉体や社会構造になっている。逆に社会構造自体が、機能に応じて作られているのだ。宇宙が循環していると考えると、それもよく分かる。星が丸いのもそのせいではないかという風に考えても、さほど突飛ではないだろう。
 結論として、彼らは空気を食べていた。無限になくならない空気。今まであって当たり前だと思っていたが、どうしてなくならないのか不思議に感じたこともない。科学者の中には、真剣に無限に存在する空気を食料にできないかと考えている人もいるようだが、地球ではナンセンスな発想だ。この漫画家は、そんなナンセンスな発想に一石を投じているのだった。
 賢治は、そんな内容の小説を書いてみたいという気持ちはあったが、あまりにも漠然としたことで、星の世界というイメージは湧いてくるかも知れないが、人間関係のない、感情もまったくない世界を描くことなど、できるはずもなかった。
 夢を見ろといっても、きっと無理だろう。夢だって、潜在意識の範囲内でしか見ることのできないものだ。どんなに空を飛びたいとしても、彼らのように浮くくらいのことしかできない。
 この作家も同じなのかも知れない。
 自分の中での発想を十分に生かしているつもりでも、結局は潜在意識の域を超えることはできない。奇想天外な内容にしたくても、読者がついてこれなければ、どうしようもないだろう。
 作家というものが人間である以上、この議論は堂々巡りを繰り返し、袋小路に入ってしまって、長い話にも向かない。だから、一話完結の漫画になってしまったと賢治は考えていた。
 その時は、あまり発想が湧いてこなかったが、今思い出すと、いろいろなイメージが湧いてくる。放射状に散らばっていく発想は、まとまりのないもので、そのために、最初に読んだ時は、イメージが湧いてこないと思ったのだろう。
 さらに賢治の発想は豊かになる。
――男と女はいるのだろうか?
 人間がいるのだから、男と女がいて、繁殖を繰り返してきたはずだ。だが、それも地球人の発想だから考えられることで、元々地球人型の人間という発想も自分本位ではあるのだ。
 地球人、宇宙人という言い方だって、おかしなものだ。地球人には名前があって、個人名で相手を呼ぶ。自分も地球人なので、
「おい、地球人」
 などとは言わない。
 しかし、相手が宇宙人なら、名前を聞く前に、すべては何とか星人なのだ。火星人、バルタン星人、しかりである。だから、想像する星にはなるべく自分たちに似通った生物がいてほしいと願い、それに叶う小説だったり漫画が売れたりする。今さら砂漠があるだけで、生物も何もいない星の話を書いても仕方がない。そこに人間がたどりついたとしても、話は続かないだろう。
 男がいて、女がいる。
 ひょっとして、地球人と同じような身体であっても、性格まで同じとは限らない。男のように見えて、実は地球人の女のようなものであったり、生態系が逆だったりするかも知れない。見た目と発想が違うのは、想像力の許される範囲であろう。
 星に果てしない夢を抱くのは、果てしなく遠い宇宙のかなたのものは、すぐれた望遠鏡でも容易には見えるものではない。だが、まったく存在していないわけではない。数学が好きな賢治の発想で、どんどん半分に割っていって、どんなに小さくなっても、「無」になるということはないのだ。
 八重子の見た飛行機雲でも、雲がたなびいている先に、実際の飛行機が見えなかったとしても、そこには確実に存在している。存在しているのを鼓舞するかのごとく雲だけがたなびいているのだ。
 小説を書くのに、いろいろなイメージが湧いてくる。
 しかし、書く意欲は時間の経過とともに薄れてくるのは、せっかく思いついたイメージを忘れていってしまうからだ。忘れないようにしようと頑張っても、どうしようもない。思えば思うほど、忘れていってしまうのだ。
――距離感とバランス――
 これは小説を書きたいと思ってから早い段階で気付いたことだった。特に絵を見て、
――小説とイメージが似ているな――
 喫茶店で見た八枚の絵。そこには八枚でなければならない何かがある。もし、七枚だとバランスが悪く、立体感を感じることができない。一枚で十分魅力的な一つの絵なのだろうが、すべてが同じに見えることで、それが半減してきたのだ。
 そのために、一つよりも全体で映えているように見えるのだが、集団意識の成せる業を思わせられてならない。一つ一つに個性があるものであるとしても、集団の中に入ってしまえば、全体でしか美しさを感じることができなくなる。感覚の麻痺を予感させられるのであった。
「飛行機雲って、後ろの方から消えていきそうなんだけど、あれって広がってから、次第に薄くなって消えていくんですよね。それが不思議な感覚というか、新鮮さを感じるというか、見始めると止まらなくなってしまうんですよ」
 と、八重子はいう。
「そうだね。先を見ているつもりでも、気がつけば消えていく方に気が入ってしまって、目が離せなくなるものね。空に吸い込まれていく感覚があるからか、思わず手を伸ばしてみたくなるものだ」
 手を伸ばして、取ろうとしているわけではなく、自分の手と飛行機雲、そして空との間を無意識に測ろうとしているのであろう。そのうちに目の錯覚が襲ってきて、眩しさすら次第に分からなくなり、真っ白に見えてくる。そのまま真っ白な飛行機雲が、まわりの白さに取り込まれていく。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次