短編集66(過去作品)
友達があいにく家族とどこかに出かけるということで、一緒にいることはできないと、最前話をしてくれたのを思い出した。毎回同じパターンを繰り返しても飽きることがないのは、律儀な性格の裏づけがあってのことだろう。
目覚めが一番頭が働くのかも知れない。余計なことを考える必要がないからだ。よほど怖い夢を見て引きずってしまっても夢というのは賢治でなくても忘れるものらしいので、頭の中に混じり気などない。
余計なことが頭の中に溜まり過ぎると、時系列が崩れてしまう。頭の中には時系列が存在し、うまくコントロールできれば、記憶の歯車が狂ってしまうことはないだろう。混乱してしまうから、整理できずに記憶力が弱いと感じてしまう。
自分の記憶力に疑問を持つ人はいても、時系列にまで考えを波及させる人も珍しいのではないだろうか。そこまで考えることができれば記憶の整理くらいつきそうに思うからである。
いつも知的でいたいと賢治は考えている。知的な人間は好奇心も旺盛で、それでいて、下品なことに興味しんしんな人を好奇心の塊のように見られるため、あまり自分の中で好奇心を表に出すことを嫌ってしまう。
「知的好奇心」と呼ばれるものを本で読んだことがあるが、言葉を二つに区切って考えれば、その二つが相対的なものに思えて仕方がなかった。どんな人に存在するのか、顔が見てみたいものだ。
小説を書くとしても短編以上は無理だろう。すぐに忘れてしまうのだから、長い話を書こうとすると、頭の中が整理できるはずもない。まずは、情景描写から入ることを心がけるがなかなか思いつくものではない。
目覚めの日曜日、何かにひらめいたのかも知れない。やはり夢の延長なのか、覚えていないだけで、一つ何かが思い浮かべば、そこから発想が生まれてくるようだった。
発想というよりも、情景描写に近い。まずは、暗い部屋のまま最初は何も見えない状態でも目を開けてあたりを見続けていた。
まわりから徐々に世界を狭めて行く手法は、その時からなのかも知れないが、気がつかなかっただけで、自分の中に生まれつき持っていたもののようにも思えた。
静かすぎると、どうしても耳鳴りのようなものが聞こえてくるが、集中すると、それもなくなるものらしい。今まで耳鳴りが気にならなくなるほど集中したことなどなかったのだが、
――小説を書きたい――
漠然とした思いだったが、目覚めに向かう頭の中で急速な現実への意識が不明瞭なものをハッキリとした意識へと変えていったのかも知れない。
まだ眠っていたいという意識も心の中にあり、目覚めとの葛藤があるからこそ、目が覚めるまでに時間がかかる。しかし、その時は目覚めの意識が眠っていたいという意識をはるか上回っていたことで、一つの意識が教説に目覚めの促進を誘発したに違いない。
一度目を覚まして、もう一度寝てしまい、二度寝をする時もある。その時の目覚めは明瞭な時と、却って目覚めが悪い時と極端である。しかし、誘惑に負けたという意識があるため、目覚めの悪さは尋常ではない。
もちろん、目覚めに関しては個人差があり、一概には言えるものではないだろう。
目が覚めて行く間に考えることもある。前の日を思い出そうとしている時もあるが、そんな時は目が覚めるまでにはさらに時間が掛かってしまう気がする。目覚めも決していいものではない。
見たかも知れない夢を思い出そうとするが、完全に起きてしまうと忘れてしまう夢も、目覚めの段階では覚えていたりする。そんな時は、却って目覚めは悪くなかったりする。
その日は、見ていた夢を思い出そうとしていた。それでいて、部屋の中の情景をイメージできる。ということは、見ていた夢の原点は、この部屋にあったのではないかと想像できる。
考えているうちに汗が乾いてくる。乾いてくると意識がハッキリするどころか、また睡魔が襲ってくる気がした。襲ってくる睡魔は、もう一度夢の世界に戻りたいという回避の気持ちが強いからかも知れない。どれだけのいい夢を見たというのだろう。真っ暗な世界が広がる現実と、さほど変わらないのが記憶として残っていた。
夢の中のことを小説に書こうなどというのは、素人の賢治にとっておこがましいことは分かっている。小説というよりも、イメージを描写するということで頭を柔軟にしようと考えていた。
夢の中の出来事はどんなに長いものであっても、目が覚める直前に見る数秒だということを聞いたことがある。夢から現実に、そして現実から夢への転換が歪みとなって忘れてしまいそうになるものを引きずり出そうとする。
目が覚めると、机の上にノートとペンが置いてあった。そこには、書きかけの文章があったが、内容には記憶がある。だが、それを書いた記憶はなかった。この部屋には自分しかいない。他に誰が書くというのだろう。
夢の中で誰かが机の前に座っていた。真っ暗な部屋の中で、一箇所だけ蛍光がついている。決して明るくなく、影がかろうじて映っているだけだった。だが、その曖昧な影は目が慣れてくるにつれ、大きさが倍増してくる。
男の髪は白く浮かび上がっている。ところどころには黒い部分もあり、フサフサしているではないか。しかも膝まである白装束は明らかに白衣で、医者というよりも、博士を思わせる。
その男は大柄ではないくせに、背中を丸め、ノートを凝視している。明らかに目が悪い老人のようだが、よく見ると、皺のほとんどないその顔は、まだまだ若い男に見えた。
まわりを時々気にしているように見える。集中している時の視線はノートに釘付けになっていて、その目は輝いていた。目の輝きは若さだけではない何か漲るものがうちに篭められていた。
一瞬、未来の自分ではないかと思った。十年後の顔に、五十年後の肉体。異様な雰囲気を感じるに当たって、時々、ニヤリと顔がほころぶのが気持ち悪かった。男にとってこの部屋は居心地がいいのか、それとも勝手知ったるものなのか、必要なものが引き出しからすぐに出てくる。
よく似たレイアウトであるが、どうやら賢治の部屋ではないような気がしてきた。暗い部屋なだけに散らかっている雰囲気があり、暑苦しさも感じられる。息苦しさから汗が噴出してくるのだった。
小説を書くには、他に登場人物がいる。描写もワンシーンだけでは成り立たない。ここからいかに作り上げていくかだが、思い浮かぶのはそれだけだった。目が覚めてから戻ってきた記憶は、距離的な遠くを思い浮かべることはできないようだ。
登場人物の観点で、主人公は三人称だろう。自分について書くとしても、架空の人物をでっちあげ、第三者としての目から書くに違いない。だが、どこまで正確に描くことができるかは分からない。自分のことは自分が一番知っているようで知らないものだ。知ることが怖いと思っている賢治にとっては、特に難しいだろう。
だが、それでも一番近い位置で見ることができる。密着していても分からない。あるいは、身体を通り抜けているかも知れない。誰にも見えない自分の存在は、やはり主人公に分からせるのが一番だ。小説を書くなら、そんなストーリーも面白い。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次