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「つかさ」と「つばさ」

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 と言われるのが嫌で、声を掛けなかったのだ。
 もし描いているのが自分で、後ろに誰かが立たれるとこれほど気が散ることはないということは、自分も絵を描いた経験があるので分かっているつもりだ。気を利かせたつもりだったが、結局は好奇心に勝てず覗き込んでしまった。それでも彼女はそのことには触れず、自分のペースを貫いていた。
 普段の彼女からは考えられない。品行方正でいながら、いつもまわりを気にしながらの彼女とはまったくの別人のようである。
 緒方先生が学生時代のことを思い出していると、
「先生も絵を描いたことがあるんですね。絵って面白いですか?」
 と聞かれて、
「そうね。面白いかどうかは私には分からなかったけど、私の絵を見て、面白いって言ってくれた人はいたわ」
 というと、
「それはどんな人ですか?」
「私を美術部に誘ってくれた人なんだけど、幽霊部員でいいからって言われて入ったのよね。でもせっかくだからって思って絵を描いてみると、その絵を見て彼女は面白いって言ったのよ」
「その時、先生は見られていることを意識していました?」
 おかしなことを聞くと思ったが、
「分からなかったわ。集中していたのね、きっと」
「そうですか。でも、集中していた人が面白いと言われるような絵を描けるとは私は思えないんですよ」
 とまたしても不思議なことを言う。
「どうして?」
「だって、面白い絵って言われて、先生は嫌な気がしました?」
「いいえ、しなかったわ」
「それはきっと先生が集中しているというよりも、目の前にあるものに思い入れを深めていたからだって思うんですよ。それは集中しているからではないと思うんですよね。集中しているとすれば、それは自分の指先に通じるものなので、絵筆が直接当たっているキャンバスだったり図画用紙だったりはないんですか? だから、人から話しかけられると気が散ったような気がする。でも、そうではないということはやはり先生は目の前にあるものに思い入れを深めていたんですよ」
 と言われて、緒方先生はハッとした。
――確かにその通りかも知れない。私は自分が描いているものよりも目の前の光景に目を奪われていたんだわ――
 と思うと、それはそれでよかったと思った。
 だから、面白いと言われたんだろうし、描いているものに集中してしまうと、目の前のものを忠実に描こうとする意識が強くなりすぎて、却って本質を見誤ってしまうような気がした。
 中江つかさは、結構鈍感なところがあった。それが品行方正な性格から判断して、
「天然だ」
 と言われるようになったのだが、彼女は決して天然ではなく鈍感なだけで、結構考えていたりするのだった。
 その片鱗が絵画に見られると緒方先生は感じた。
――彼女の中に私と似たところがあるわ――
 緒方先生は自分が事なかれ主義だとは思っていたが、結構まわりを冷静な目で見ていると思っている。だから観察眼に関しては他の人とは違うものを持っていると自分で感じていたのだ。
 そんな緒方先生が目を付けた女の子が中江つかさだったわけだが、彼女とはきっと波長が合うのだろう。
――きっとまわりから見るとまったく性格が違って見えるだろうから、気が合わないと思われているに違いない――
 と緒方先生は思っていた。
 それは緒方先生にとっては好都合だった。どうしても先生が一人の生徒に肩入れしてしまうと、まわりからえこ贔屓などと言われて、自分の立場が悪くなるに決まっている。
 緒方先生は中江つかさを見る目が他の人を見る目と同じように見えるように心掛けていた。実際にどうだったのか分からないが、緒方先生が中江つかさのことを気にしているなど誰も思っていないように思えた。
 絵を描いている中江つかさと話をしていると、ずっとハッとしてしまっている自分がいるのに気付いた。今まで感じたことのない思いを、中江つかさの言葉の一言一言から感じられ、
――やはり彼女は私にとって特別な存在なんだわ――
 と思わせた。
 だが、それは緒方先生が今まで事なかれ主義を貫いていたためもあった。他の生徒ともっと早くから会話をしていれば、中江つかさに感じたようなハッとするような言葉が聞けたかも知れない。それは結果論にしかすぎないが、そのことを緒方先生は自覚をしていなかった。
 だが、中江つかさの視点が、緒方先生の心を動かしたのは事実だった。彼女の視点は、他の人が見る視線の高さとは違うところを見ているようで、他の人には見えない何かが見えているのかも知れない。
 だから、他の人が見えていることを彼女が見えていないと緒方先生は感じた。
――私が彼女のもう一つの目になってあげればいいんだわ――
 と思った。
 彼女をオンナとして見た時は、自分が男役になるのだが、一人の人間として見た時は、自分が支えてあげなければいけないと思う。その感情は、どちらが行き過ぎてもいけない。平衡感覚を保っていないといけないと緒方先生は思った。
 緒方先生は自分が男役になるであろうということは、ウスウス気付いていた。最初に悟ったのは、高校の時に好きだった先生から言われたことだ。
 最初は冗談かと思ったが、
「緒方は、女の子が相手でもいけるんじゃないか?」
 と言われて、
「えっ、何言ってるのよ、先生。私は先生一筋なんだからね」
 というと、
「そうか? たまにお前が女性を見る目がオトコの目になっているように感じるのは気のせいかな?」
「じゃあ、私が女性を相手に男役だっていうの?」
「そう思ったんだけど、気のせいかな? 忘れてくれ」
 と言われて、その話はそこで終わったのだが、彼との破局はその時から始まっていたように今になって思った。
――彼は私にレズっ気があることに気付いて、私から遠ざかって行ったのかしら?
 と感じた。
 もしそうだとすれば、敢えて緒方先生に女の子が相手でもいけるんじゃないかなんて言ったのかも知れない。その時の緒方先生の反応を見て、自分の考えの正否を確かめたかったのだとすれば、少し癪である。しかし、敢えて自分に言ってくれたのは、気付かせてくれたことと、彼の中に迷いがあることを暗に匂わせようとしてくれたのだとすれば、それは彼の優しさということになる。
 果たしてどうだったのか、別れてしまった今となっては確かめようがないが、どうせなら後者であってほしいと願う緒方先生であった。
 緒方先生は高校の時、好きだった先生と破局を迎えてから、美術館に行くことが時々あった。半分は気分転換、そして半分は美術館の空気が好きだったのだ。それは今でも続いている。
 実は緒方先生は中学時代までは美術館が嫌いだった。美術に興味がないというのもその理由だったが、何と言っても美術館というと、ただ贅沢に広く、天井も高く作られている。空気の流れも確認できないほど、ただ無駄に広いと思っていたのだが、中学時代に学校から美術鑑賞と称して美術館で野外学習の時間があった時、ただ漠然と展示されている絵画を見ていると、急に息苦しくなった気がした。
 最初はそこまできついとは思わずに、早く展示場から抜けようと少し早歩きをした時、急に息苦しさを感じたのだ。