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「つかさ」と「つばさ」

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 という意識は飛んでしまっていて、最初から爆弾だったということを分かっていて、蹴っ飛ばしたと思うかも知れない。
 そして死んでから、
「どうして爆弾だと分かっていたのに、蹴っ飛ばしてしまったんだ」
 と後悔するだろう。
 考えてみれば、自分が何かをして失敗した時など、後から思い起すと、記憶が断片的なことが往々にしてあった。それは、石ころのように、意識が途中で飛んでいるからなのかも知れない。
「ひょっとすると。意識が飛んでいる間に、石ころが介在しているのかも?」
 とも考えられた。
 自分の中で納得できない出来事が今までにも何度かあったと思っている人も少なくないだろう。そんな時、石ころが介在していたと考えるのは、突飛すぎるだろうか?
――いや、やっぱり突飛すぎるよな――
 と考えているのは、当の横山翼だった。
 彼は自分がまわりから石ころのように思われているとは感じていなかった。確かにまわりに馴染めず、影が薄いのは分かっていたが、
「まさか、この俺が」
 と思っていたのである。
 なぜなら、彼こそまわりの誰よりも自分が石ころを意識していたということに気付いていたからだ。
 石ころというものは、意識しないから石ころである。それを意識してしまうと、もはや石ころではなくなってしまう。そう思ってはいても、自分が石ころのように思われているという意識がない状態が続いている。これは、矛盾している発想であり、
「石ころパラドックス」
 と、その後に石ころの矛盾について気が付いた横山翼が命名した発想であった。
 このお話の登場人物のそのほとんどが、矛盾というものを意識しているという点で、共通していると言ってもいいだろう。
「矛盾という発想は、個性が生み出したものではないか」
 と感じたのは、緒方先生だったが、もう一人、別の観点からそう感じていたのが、横山翼だった。
 横山翼は自分が石ころのような存在だということに気付いた時、矛盾を感じた。他の人も同じ感覚なのかも知れないが、それを認めたくないという思いが自分の中で無意識に働くことで、石ころという発想を自らで抹殺しているのだった。
 石ころのような存在である自分に気付いた横山翼は、同時に自分が律儀な性格であることに気付いた。
「律儀だ」
 ということは自覚していたが、それが自分の特徴となるほど、まわりと違っていることに気付いていなかった。
 元々、
「他の人と同じでは嫌だ」
 と思っていたこともあって、それに気付いた時は逆に嬉しかった。
 どうして他人と同じでは嫌だという発想になったのかというと、人の性格というのが、根本では皆同じだという発想から来ているものだった。個性として表に出てはいるが、根本は同じもの、それが人間だと思っていた。だから、
「人間なんてつまらない」
 とまで思っていたのが少年時代だったのだが、どこかホッとした気持ちでいたのも事実で、なるべく目立たないような態度を取るようになったのも、そのホッとした気持ちが嵩じたものだったのかも知れない。
 人間がつまらないとは思いながらも、自分もその人間、目立たなければそれが一番の特徴とまで思っていた。
 だが、高校生になった頃から横山翼は、急にまわりの視線を気にするようになった。誰かの視線を浴びることなどなかったはずなのに、最近になって人の視線を怖く感じるようなのだ。
 その視線が誰であるか、何とそれは中江つかさだった。
 彼女は横山翼とはまったく正反対の性格で、いつも目立っていて、友達も多い。それは誰が見ても品行方正で、人当たりも素晴らしい。
「俺にないものをすべて持っている」
 と、横山翼に感じさせた女性だった。
 だが、彼女は表向きは棚橋つかさを意識していた。ただ、それは異常恋愛に近い感覚ではなく、単純に棚橋つかさを意識していただけだった。それも坂田つばさを意識する棚橋つかさをである。
 横山翼は中江つかさを特別な存在だと思っていた。
「今までにあんな人に出会ったことなどなかった」
 と思わせた。
 あんな人というのは、自分とはここまで正反対な性格なのに、見ていてその性格から考えていることが分かるような気がしてくる相手だった。
 実際に、分かっているわけではないのだが、本人は分かっている気になっている。こんな感覚は横山翼にとって、生まれて初めてのことだった。
 中江つかさは、絵画もやれば、最近では小説を書き始めたようだった。横山翼が中江つかさの視線を感じたのは、小説を書き始めた頃のことだった。
 中江つかさを見ていると、彼女の興味は自分や棚橋つかさだけではなく、緒方先生にも坂田つばさにも感じていることだった。
――俺に、大なり小なり、今関係している人物ばかりじゃないか――
 と感じた横山翼は、中江つかさに自分のすべてを見透かされているようで怖かった。
 いや、怖いというのは恐ろしいという意味だけではなく、ゾクゾクする感覚も含まれていて、ときめきに近いものであることは、最初から分かっていた。
 だが、分かってはいるが、その正体を感じることはできない。感じることができないことで、余計に興奮度が増してきて、彼女の視線を心地よく感じられるほどになっていた。
――こんな気持ちになったの、初めてかも?
 と思ったのは、別に中江つかさに対して恋愛感情が湧いたわけでもないのに、まるですでに恋人の関係になっているかのような感覚があった。
 彼女には、恋人同士になったとしても、わだかまりのようなものはまったくないと思えた。
 どちらからもわがままなどあり得るはずもなく、お互いに干渉し合わない関係を気持ちよく継続させていくことで、さらにお互いを向上させる何かが潜んでいるように思えたのだ。
 だが、それは完全な妄想の世界であり、そこに淫らなものはまったくなかった。淫らな発想をすれば最後、二度とその妄想の世界に戻ってくることはできない。分かっているつもりだったが、ただ一つ、自分が中江つかさに従順になることで、その矛盾は解消されるように思えたのだ。
「矛盾の解消」
 それこそが、従順な発想の原点であり、「矛盾と無限」のループの解消法ではないだろうか。
 矛盾に対してのキーワードとして、横山翼には二重人格性というものがあった。それが、律儀な性格の自分と、相手によって従順になってしまう自分とのギャップが二重人格だと思っていた。
 中江つかさに対して従順に感じるのは、本来の性格だと思っていた律儀な性格を覆すものであり、そんな矛盾をハッキリさせる相手である中江つかさが自分における、
「矛盾の解消」
 に唾がるということも、おかしなものだ。
 それこそが矛盾というものであり、無限ループを思わせるものだと考えてもいいのではないか。
 この一連の話の中で登場してくる人物たちは、それぞれに共通性があるのだが、お互いにかぶっている部分があることに気付いていない。中心にいるのが緒方先生であるのは分かっているのだが、緒方先生の役割はあくまでもそれぞれの登場人物を結びつけるものだった。
 しかし、考えてみれば、それぞれ「つかさ」であったり「つばさ」であったりと、同じ名前の人が登場しているというのは偶然であろうか?