「つかさ」と「つばさ」
「あの子のあの目、父親と同じ目だわ」
という人もいれば、
「あら、そう? 私には母親と同じ目に見えるわよ」
と、意見が割れていた。
だが、そのどちらも間違いではなかった。相手によって見方を変える。これが坂田つばさの特徴で、きっとあの両親のそばにいることで、そんな風になってしまったのだろう。それでもさすがにそれまで彼女に同情的だった目もなくなって、
「あの親にしてあの子ありだわ」
と、家族全体が嫌われるようになったのだ。
親の転勤の影響で、各地を転々としていたのは、つばさにとってはよかったのかも知れない。彼女と長く一緒にいると、友達ができないうえに、完全に孤立してしまうことになる。彼女も嫌だろうし、まわりも嫌だった。嫌になりかける前に転勤してどこか知らないところに行ってくれる方が、全体で好結果をもたらした。
転校先を転々とするうちに、次第につばさの棘は取れて行ったようだ。大人しい性格は治ることはなかったが、人に不快な思いをさせるほどのことはなくなった。以前ならそばにいるだけで不快になっていたまわりも、それほど気にしなくなっただけ、まだマシだったに違いない。
転校してきて最初に緒方先生を頼ったのは、緒方先生なら自分の気持ちを察してくれると思ったからだ。
本当は、棚橋つかさの視線を、そこまで意識していたわけではないが、棚橋つかさと先生の「怪しげな関係」に気付いてしまった坂田つばさには、好奇心が芽生えた。
それまでなるべく他人へ関心を持つということがなかった坂田つばさが最初に持った興味だった。
本当は好奇心旺盛な性格だったのかも知れない。一度タガが外れると、その興味は衰えを知ることはなかった。興味の矛先は緒方先生に向いたのだ。
「緒方先生に、棚橋つかさの視線が怖いことを告げると、どういう反応を取るだろう?」
という思いだったが、坂田つばさの期待していたほどの感情はそこには現れることはなかった。
それが、先生の技なのか、それとも本当に先生の眼中にはないことで、自分の考えすぎだったのかということは分からなかった。だが、先生に一度楔を打っておけば、棚橋つかさとの関係がギクシャクしてくるのではないかと考えたのだ。
実際に、少しギクシャクしているように思えた。どっちの方がギクシャクしているのかというと、棚橋つかさの方だった。
最初は、先生に近づくためについた嘘が、本当のことになって、自分に戻ってきた。棚橋つかさの視線が、本当に坂田つばさを捉えようとしたのであろう。
――しまった。ミイラ取りがミイラになった――
と感じたことだろう。
後悔しても、もう遅いのだが、これも坂田つばさの思いこみすぎたせいか、棚橋つばさの視線は、思ったよりも強いわけではなかった。
それでも、視線を浴びている時は気持ち悪いものだった。元々人と関わることができなかった坂田つかさは、自分が人に視線を送ることはあったが、他人から視線を浴びせられることなどなかったのだ。
――避けられることばかりだったのに――
と、気持ち悪いと思いながらも、初めての視線に痺れた感覚があったが、その複雑な感情が余計に相手の視線に恐怖心を煽られてしまったのだろう。
何事も考えすぎる傾向にあるのが、坂田つばさの本当の真髄なのかも知れない。
そのことを最初に気付いたのは、坂田つばさ本人だった。
それはもちろんのことなのだろうが、それはそれまで人と関わらないようにしてきた坂田つばさだから気付いたことであった。
もし、他の人のように当たり前に他人と接してきた人であれば、こんなに早く自分が考えすぎる性格であることに気付かないだろう。なぜなら他人と関わりたくないと思っている人は、決して関わることをしないだけに、考えていることはおのれのことばかりのはずである。
そのことは自覚していた。自覚はしていたが、すぐに表に出てこなかったのは、そのことを認めたくない自分がいたからに他ならない。
――もし認めることができていたら?
と考えてみたが、
――それはそれで、逆に自覚できないでいたのかも知れない――
と感じた。
これは一種の矛盾である。
坂田つばさも矛盾について考えることがあった。
「メビウスの輪」
を矛盾を考えた時に最初に思い浮かべるのは、自分だけではないと思っていたが、自信があったわけではない。
しかし、緒方先生と矛盾について話をした時、
「そうね、メビウスの輪のような異次元への発想に近いものがあるのかも知れないわね」
と先生が言ったことで、
――やっぱり先生とは共通点があるんだわ――
と思わせ、納得するのであった。
坂田つばさは、しばらくこのまま自分の視線は緒方先生ばかりを見て過ごすものだと思っていた。しかし、それを覆す人が現れた。それが自分と同じ名前の「横山翼」だった。
一度は大丈夫だと思っていた棚橋つかさの視線を再度感じた時、最初よりも気持ち悪く感じていた。ずっと浴びていた視線であれば、対処のしようもあるが、一度感じなくなってさらに感じるようになったのだから、一度対処しても、また復活するかも知れないと思い、それがまるで、トカゲのようなハンパではない執念を持った生命力を感じさせるものは、本当に恐ろしいと感じたのだ。
――どうしよう――
そう感じた時だった、目の前に横山翼が立っているように感じたのは……。
横山翼の視線は、普段感じることはあまりない人が多かった。どちらかというと目立たない性格。一言で言えばそうだった。
だが、それは彼が自ら閉じ籠っているからではない。本人がどう感じているかというよりも、目立たないのは、持って生まれた天性の資質によるものだろう。
「石ころ」
という言葉が一番よく似合っているかも知れない。
石ころとは、路傍の石とでも表現できるが、目の前にあっても、誰にも意識されない。河原のようにたくさんの石がある場合は、そのうちの一個に誰がいちいち気にするというのか。だが、そうでなくて、石ころというのは、舗装された道に一つあったとしても、誰も気にする人はいない。本来であれば、その場所にあるのは不自然だと思うようなことであっても、石ころに限っては、誰も疑問に感じることはない。
それは、まるで保護色のようではあるが、少し違う。そこに確かに存在はしているが、同色であれば、見えないはずなのに、何か気配を感じてしまうと、気になって仕方がない。そういう意味では保護色とは正反対のものだと言えるのではないだろうか。
目の前にあっても誰も気づかない。もしそれがただの石ころではなく、爆弾だったとすればどうだろう? 誰も気にしないのであれば、目の前に見えているにも関わらず、その意志を蹴っ飛ばしたとしても、別に何も感じない。
「何かが触れた」
という程度の感覚であろう。
もちろん、石だということは分かっている。見えているのだから、頭に入っているはずだ。だが、その頭に入ってくるだけで、そこから石に対して思考が働かない。爆弾だったら身体が吹っ飛んでしまうだろうから、死んでから、
「石だと思って蹴ったら、爆弾だった」
と感じるだろうか?
ひょっとすると、
「石を蹴った」
作品名:「つかさ」と「つばさ」 作家名:森本晃次