「つかさ」と「つばさ」
本当は、皆が去って行ったのはそんなのが理由ではない。彼に原因がないとは言いきれないが、それよりもクラスの皆に理由がある。
彼女に言い寄ってきた連中は、友達がいないか、あるいはどこかのグループに所属していて、彼を勧誘するつもりの人であろう。
友達がいない人は彼にすがる思いで近寄ってくるのだが、他に近寄ってくる人がいると一歩引いてしまう。それは自分が臆病だからというのもあるが、下手に押してしまうといずれ自分が苛めの対象になってしまうのでないかという被害妄想から来ている。
どこかのグループに所属している人は、話しかける分担を持っている人で、相手は彼でなくても誰でもいいのだ。
だが、どちらにしても、相性が合わなければどうしようもない。
友達がいない人はすがる思いがあっただけに、すぐには相性が合わないことに気付かない。しかし、一度気付いてしまうと、もうダメである。自分から身を引くことを気を遣いながら行って、そそくさと去っていく。まるで自分を忘れてほしいとでもいいたげで、その様子は気の弱さを前面に押し出していることであろう。
グループに所属している人は、相性が合わないと思えばそっけない。相手に気を遣うこともなく、それまで何事もなかったかのように彼から去っている。
どちらにしても、相手には忘れてほしいという思いを持っているが、その理由には大きな開きがあるのだった。
棚橋つかさにとっての坂田つばさは。そのどちらでもない。そういう意味では相性が合わなくても関係ない。むしろ相性が合わないくらいの方がお互いの気持ちに立ち入ることを遠慮するだろうから、都合がいいと言えるだろう。
坂田つばさとしても、彼女の視線を最初は気にもしていなかったが、
「どこか他の人とは違う」
と思っていた。
彼は、これまでに何度か引っ越しを繰り返してきている。そのたびに、同じように転校生と言うことで注目を浴びる時期があり、そして皆が去っていく時期があるのも分かっていた。
そして、その近寄ってきた理由も、離れていった理由も、前述の二つのパターンがあることを理解していた。
だから、棚橋つかさのような視線は、今までの彼のマニュアルには存在しなかった。それだけに怖いと思ったのだし、先生に相談するのが一番いいと思った。
棚橋つかさと先生の関係は、坂田つばさには途中から分かっていた。
――一度くらいは何かあったに違いない――
と感じたのも事実だし、その一度というのが、濡れ場に近いものであることも分かっていた。
坂田つばさは勘が鋭い方ではないが、自分に対して何かの圧力、今回のような鋭い視線を感じたりした時は、急に勘が鋭くなる。
それは、自己防衛本能がそうさせるのかも知れないが、そのことを坂田つばさは意識していた。
動物でも、危険を察知すると、どんなに臆病な性格であっても、必死になるとそれまで見せたことのないような力を発揮するものだ。
「火事場のクソ力」
というものがあるが、まさにその通りだろう。
「火事になって、それまで腰が曲がって動けなかった老人が、急に腰をしゃんとして、タンスを担いで逃げ出した」
などという話を聞いたことがある。
それに昔のアニメで似たようなものが……。(この際、関係のないことであるが)
坂田つかさは、棚橋つかさの視線を感じていたが次第に金縛りに遭うような気がしてきた。
――思っていたよりも、棚橋つかさという女性の目力って強いようだわ――
と感じるようになった。
そのうちに、棚橋つかさのことを先生に相談するのは危険な気がしてきた。
最初は先生でもいいのかも知れないが、一歩間違うと、前にも後ろにも進めないという、「袋のネズミになってしまう」
という意識を持ってしまったのだ。
――では誰がいいんだろう?
と思うと、その時に意識したのが、横山翼だった。
彼は曲がったことが大嫌いで、律儀なところがある。今までに坂田つばさが出会ったことのないようなタイプの男性だった。
だからといって、恋愛感情が生まれるわけではない。どちらかというと惚れっぽい性格だと思っている坂田つばさにとって、恋愛感情の外にいる人というのは珍しい。
しかし、恋愛感情の外にいる人というのは、彼女にとって頼りがいのある人の代名詞になっているようで、頼りがいがあることがどれほどありがたいことなのか、今さらながらに感じた坂田つばさだった。
――彼なら大丈夫――
と言って、彼の何が大丈夫なのか、漠然とした気持ちでしかない坂田つばさだったが、この感情が実は、
「起こるべくして起こった感情である」
ということに、気付いていなかったのだ。
横山翼
坂田つばさは、自分が大人しい性格で、あまり人と関わりたくないと思っていた。
それは人に遠慮するからだと思っていたが、それよりももっとベタに、
「億劫だから」
という理由が一番の根底にあったようだ。
人と関わることを最初から知らなかったことは、自分でも人生の半分は損をしていることだとは分かっている。しかし、一度関わることに背を向けてしまうと、今さらどうしていいのか分からない状態で、他人に聞くわけにもいかず、何をどうすればいいのか、そのことを自分で憂慮していたようだ。
坂田つばさにとって今までに誰かを好きになった経験もなければ、当然人から好かれたこともない。
――自分から好きになれないのに、他人が好きになってくれるはずもない――
という、当然の理論も分かっているつもりだ。
もっとも、そんな物わかりのいいことが、却ってまわりから見ると、
「お高く留まっている」
と思われるのだ。
他人が最初に納得しなければいけない本人の行動を、最初に自分で納得してしまって、せっかく相手が分かってくれようとするのを、自分から遮断してしまっていては、いつまで経っても他人と分かり合えるはずもない。当然、
「交わることのない平行線」
を描いても仕方のないことであろう。
「私のような人間って、他にはいないだろう」
というのが、坂田つばさの考えだった。
彼女は、自分が他の人とは違っていることを、物心ついた頃から自覚していた。それを自覚させたのが父親だった。
彼女の父親というのは、典型的な自己中心的な男で、自分の考えにそぐわない人間は、いくら親子や夫婦と言えども、容赦しないタイプだった。
暴力を振るうわけではないが、
「お前のような奴は、俺の子供じゃない」
と平気で罵るような人で、相手のことなどまったく考えていないような男だった。
「よくあんなので、ここまで生きてこられたわね」
と、陰口を叩かれていたが、誰もそれを指摘する人はいなかった。
誰もが至極当然の言葉だと思っていたからだ。
妻である母親はよくできた女性だったというか、父親の言いなりになっていた。
「あんな風にはなりたくない」
と、母親もまわりから言われていて、
「似たもの夫婦ってああいうことをいうのよ。そういう意味ではつばさちゃんは可哀そうよね」
と、つばさも幼女時代にはそうやってまわりから同情されていたが、それも小学生の低学年くらいまでだった。
作品名:「つかさ」と「つばさ」 作家名:森本晃次