「つかさ」と「つばさ」
噂のほとんどが真実で、あまりにも真実が多すぎて、理解に苦しむことで、結局何が真実なのかよく分からないまま、坂田つばさは学校を去るしかなかった。転校という処置はまだ妥当な処置で、それを知っている学校側のごく一部の人間も、そのことをひた隠しにしておこうと思うのだった。
そうでなければ、知っている人のほとんどは何らかの責任を取らなければいけない。だから坂田つばさのことを隠そうとするのは彼女のためではなく、自分たちの保身のためだけだったのだ。
そんなことを坂田つばさは知っていたのだろうか?
彼女は勘の鋭い女性でもあるので、分かっていたかも知れない。だが、ことを荒立てるのも好きではない彼女には、分かっていないふりをするのが得策であることは重々承知していた。
棚橋つかさに見られているくらいで、不安がるようなか細い神経をしている坂田つばさではなかった。
ではなぜ緒方先生に相談したというのだろう?
その理由は、棚橋つかさと緒方先生の関係に気付いていて、二人が距離を置いている間に、自分が気になっている相手を探りたいという思うがあった。
それには棚橋つかさの視線が邪魔だった。彼女の視線をごまかすために、緒方先生を利用するというのは、緒方先生の目を逸らすという意味でも一石二鳥の考え方で、
――我ながら、なかなかいい手を考えたものだわ――
と感じた坂田つばさだった。
坂田つばさが気になったのは、同じクラスの横山翼という男子生徒だった。
彼は律儀な性格で曲がったことが大嫌いな正義感を内に秘めたタイプの好青年だった。
横山翼という生徒は、先生たちからも信頼されていて、生徒先生を含めて彼のことを悪く言う人は誰もいなかった。
しかし、緒方先生は彼のことをあまり好きではなかった。
――何か胡散臭いところがあるわ――
と、絶対に他人に言えるはずのない言葉を自分に言い聞かせていた。
緒方先生が感じたのは、彼の中にある二重人格性だった。
緒方先生が学生の頃、クラスメイトに彼と同じように、クラス委員をやるほどの誰からも慕われていた生徒がいた。
彼はいつも笑顔を絶やすことはなかったが、実は陰で自分の妹を苛めていた。しかも、それは異常性欲のよるもので、それが発覚した時は誰もが驚いた。彼に対しての誹謗中傷はかなりのもので、完全に誰もが裏切られたと思った。
だが、
「人の噂も七十五日」
という通り、喉元過ぎれば彼に対する誹謗中傷はどんどん減って行き、そのうちに彼への批判をする人は誰もいなくなった。
誹謗中傷がなくなってから、彼は皆の前から姿を消したが、その時から、彼がいたということすらなかったことのように、誰も彼のことを口にする人はいなかった。
まるで申し合わせたように誰も口にしなかったが、それが彼の意図したるものだったのかどうか、今では分からない。
棚橋つかさと緒方先生は、お互いに付き合っていた時期があった。どちらから先に声を掛けたのかというと、最初に声を掛けたのは、意外にも棚橋つかさだった。
どちらの方が相手をより好きだったのかというと、緒方先生の方だった。最初こそ、
「私は教師なんだ」
と思い、気持ちを抑えていたが、次第に我慢ができなくなる。
その様子を棚橋つかさは持ち前の勘の鋭さから感じていたようだ。その感覚の正体まではすぐには分からなかったが、先生に対してゾクッとしたものを感じていたのは間違いない。
――これは絶対に先生の視線だ――
その視線の先が誰であるが、こちらも最初から分かっていたわけではない。
その点に関しては緒方先生には天性の才能のようなものがあり、相手に悟られにくい性質を持った視線だったようだ。
しかし分かってしまうと、今度はその天性の素質が相手にプレッシャーを与える。
――どうしてすぐに気付かなかったのかしら?
特に勘の鋭い棚橋つかさのような生徒には、すぐそう思わせることだろう。
棚橋つかさという生徒は、見る人によって、そして角度によって、まったく違った「色」を発するようだ。
棚橋つかさのそんなイメージを、まわりの人はまるでアジサイのように感じていたかも知れない。だが、アジサイはあくまでも目立つ存在ではない。つまりは、
「目立たないということが、最大の目立つための方法でしかない」
と言えるのではないだろうか。
この考え方は矛盾したものではあるが、矛盾しているだけに見えていない力を備えているのかも知れない。次元に対しての考え方で、
「メビウスの輪」
というものがあるが、これは明らかに矛盾したものだ。
その矛盾した問題を解決できれば、まったく想像もつかないような無限の力を発揮できるのではないかと、緒方先生は考えたことがあった。
緒方先生は物理学が好きだった。教師になる時、最初は物理学を志したが、なかなか女性では難しく、どうしても超えられない次元があった。
普通であれば、もう少し頑張ってみるのだろうが、緒方先生は早々に断念した。その代わり、自己の研究として頑張ってみることは諦めなかった。本を読んだり講演会に積極的に出掛けたりするのは自己の研究に相違ない。それこそ趣味の世界で最大の勉強をしようというものだった。
緒方先生は物理学を勉強している間に、矛盾ということに興味を持った。
「矛盾には無限の可能性がある」
というのが持論であり、その考えを誰にも話しをしていないのは、最初はそんな考えが恥かしかった。
しかし、どこまで行ってもこの考えが変わることはなく、さらにはどんどん増大していった。今では、その考えをハッキリと口にすることができる。声を大にして言いたいくらいだが、それは趣味の世界での行動と反していると思っていた。
「メビウスの輪にしてもそうだが、物理学というのは勉強すれば勉強するほど矛盾に満ちてくる気がする」
と思っていた。
実際に、かつてはタブーな考え方だとされてきたことが、今では正論になっていることもたくさんある。それは物理学に限ったことではなく、たとえば歴史やスポーツなどがそうであろう。
そのどちらも科学の進化という共通点がある。物理学でもそうなのだろうが、物理学と他の学問では明らかに違うと緒方先生は思っているが、それを声を大にすることはできなかった。
物理学を勉強し、矛盾について考えていくうちに、緒方先生は自分の中にあるものに気付き始めた。それが、
「自分が女性を好きなのかも知れない」
という思いだった。
そして、自分が男役であることも自覚するようになってきて、女性を求めるようになっていったのだった。
学生時代にはその思いを抑えてきたが、教師になると、なぜかその思いが強くなってきた。
女生徒の制服が眩しく感じられたからだ。
かつて自分も着ていたであろう学生服。自分に対しては何も感じなかったはずなのに、
――学生時代の自分が現れたら、絶対に我慢できなかったかも知れない――
と思いながら生徒たちを見ていると、そこに気になる女生徒がいた。
それが棚橋つかさだったのだ。
棚橋つかさには、今まで見たことのない矛盾が隠れているような気がした。実際に当の本人である棚橋つかさも気づいていたのだが、
作品名:「つかさ」と「つばさ」 作家名:森本晃次