「つかさ」と「つばさ」
どうして振り返ることができないと思ったのかは、その時には分からなかった。だが、振り返ってみて、そこにいる姉の顔が確認できないという思いが強かったのは否めない。その思いからか、彼にはしばらくの間、道を歩いていても、後ろを振り向くのが怖いと思う時期があったのだ。
そんな彼を、
「まるで子供みたいだな。そんなに後ろを振り向くのが怖いのかい?」
と言われたことがあったが、
「うん、なぜか後ろを振り向くことだけは怖いんだ」
と言った。
「おかしなやつだな。お化け屋敷とかそういうたぐいのものを怖いと感じることはないくせに」
と言われたが、それは事実だった。
棚橋つかさは確かにお化け屋敷のような、明らかな脅かすだけのための作られた世界を怖がることはなかった。それだけ現実主義なのかも知れないが、そのために、まわりからは、
「淡泊だ」
と思われていた。
しかし、そんな彼が後ろを振り向くことだけは怖がるので、
「やつも、普通の人間なんだな」
と、まわりから少し見直されていたのも事実で、しかもその理由が本人にも分からないというところが、まわりにも好感が持てたようだ。
「棚橋君は、お化けが怖くないのに、後ろを振り向くのが怖いという理屈、先生には分かる気がするわ」
と、中学の時の担任だった、女性の先生はそう言った。
「どうして?」
と聞くと、
「私ね。大学の時に、弟を亡くしているの。病気だったんだけど、最初は弟が死んだ時、それまで感じていたほどの悲しみがなかったのよ。葬儀の時なんかも、涙が出てくることもなくてね。そんな自分が嫌で嫌で仕方がなくなったんだけど、ある時から、急に弟のことを思い出すようになったのよ。きっと夢に出てきたからなんだって思うんだけど、弟が自分のことを忘れないでほしいって訴えているような気がして。でも、私は忘れるなんて感覚はなかったんだけど、どうしてそのタイミングで弟が夢に出てきたのかって、いろいろ考えてみたわ」
と先生は話してくれた。
「それで、考えはまとまったんですか?」
「いいえ、まとまらなかったわ。少し考えるとまた考えが元の場所に戻ってきて、堂々巡りを繰り返すのよ。だから何度か繰り返すうちに、最初に何を考えていたのかが分からなくなって、繰り返しているということすら自分でも分からなくなってね。そんな状態で考えがまとまるわけはないわよね」
「そうかも知れませんね。僕も同じようなものかも知れません」
というと、
「そうね。棚橋君も私と同じように肉親を亡くしているんだからね。ただ、棚橋君を見ていると、自分とは違う感情に抱かれているように思ったの。でも、もし棚橋君の気持ちに一番近づけるとすれば、それは私なんじゃないかって思うのよ」
と先生は言ってくれた。
――俺の気持ちなんて分かる人、いるわけない――
とずっと思っていた。
それなのに、先生はいきなり彼の心の中に踏み込んできて、自分の気持ちを言い出した。以前の棚橋つかさだったら、
――余計なことを――
と思うのだろうが、先生も同じように肉親を亡くしたことからの経験を話してくれたことに怒りを感じる道理もなく、嫌な気はしなかった。
それよりも先生の言うように、
――先生だったら、俺の気持ちを分かってくれるようになるかも知れないな――
と感じたほどだった。
中学生という思春期であれば、女性と二人きりになれば、男性としての本能が出てきてしかるべきだろう。その感覚は多岐に及ぶものだと思っている。
男として女を見ているという思いから、恋心のようなものが芽生えてくるパターン。
大人の女性というイメージで、母性を感じさせられるパターン。棚橋つかさの場合は、姉を亡くしているので、年上の女性イコール姉というイメージに結びつきかねないとも言える。
さらに、年上である相手に対して「癒し」を感じるパターンである。これは相手が女性だからという癒しであって、男性であったら、頼もしさに近いものであろう。年上であるだけに、癒しと頼もしさの違いは、余計に鮮明なものではないかと感じるのだった。
棚橋つかさが感じた先生に対してのイメージは、最後の「癒し」だったような気がする。恋愛感情もあったのかも知れないが、
「恋愛感情ではない」
という思いを言い聞かせる自分がいるのを感じ、ただ、そのうちに言い聞かせているのが本当の自分ではなく、自分の中にいる別人であるということに次第に気付くようになった。
自分になら疑いを抱く棚橋つかさも、自分の中にいる他人のいうことにはなぜか従う気持ちになっていた。完全に表にいる他人の言うことは、ほとんど疑って掛かるのに、自分の中にいる他人には従順になれた。
そういう意味では、自分の中にいる他人は、自分にとって必要不可欠であることを感じていて、それを確信に変えたのが、中学の時の女性の担任だったのだと思うのだった。
「棚橋君は、先生のことをどう思っている?」
一度だけ、そう聞かれたことがあった。
「好きです」
とでも言ってほしかったのだろうか?
先生がそんな自己顕示欲の強い人だとは思えなかった。そんなことを口にするのは衝動的なことだと、すぐに感じた。
「いえ、いいの。今の言葉は忘れて」
と、すぐに先生が今の一言を否定したことで、棚橋つかさも、
――やっぱり衝動的だったんだ――
と感じた。
しかし、先生がすぐに否定したことで、却ってその言葉を忘れられなくなった。もし先生が否定しなければ、自然に忘れていく程度のことだったように思う。先生の否定した気持ちは、何か他のことを隠したい一心でのことではないかと思うようになった。
「木を隠すには森の中」
という言葉や、
「一つの真実を隠すには、ウソの中に紛れ込ませればいい」
という言葉を聞いたことがあった。
先生がすぐに否定したことで、棚橋つかさは、
――何かを隠したい一心がそこにあったのではないか?
と思うようになった。
言葉というと、
「棚橋君は、言葉についてどう思う?」
「というと?」
「言葉が人を動かすって言われることがあるけど、本当なのかしらね?」
と言い出した。
「その人の感じ方なんじゃないですか?」
と言うと、
「でも、言葉って難しいから、相手の受け取り方でイメージが変わってしまうのよね。そういう意味で同じ時間の違う次元では、別のことをしているとすれば、動いたと感じるのもありなんじゃないかって思うわよ」
「先生って、理想主義者かって思ったけど、案外と現実主義なんですね?」
「現実主義というよりも、理論で考えてしまうのかも知れないわね。堅物なのかしらね」
「そんなことはないですよ。先生は僕の憧れcですから」
と言うと、
「あら、そう? そんなこと言われると照れちゃうじゃない」
本気ではないのだろうが、そう言われると嬉しかった。
作品名:「つかさ」と「つばさ」 作家名:森本晃次