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短編集65(過去作品)

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ターニングポイント



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 昭子にとって、その日は因縁の日であった。子供の頃に感じたことを大人になって感じるであろうことを予感した、そんな日であった。
 子供の頃というと、小学校を卒業するくらいまでを思う人が多いだろうが、昭子にとっての子供とは、十歳が境目だった。十歳の誕生日が近づいてきた時、
「私は大人になるんだ」
 と感じたものだ。
 初めて迎えた初潮は、もう少し後だっただろう。大人になった証拠だと感じたことをしっかりと認識している。それでもクラスメイトの中でもかなり早い方だったようで、先生が焦っていたのを思い出した。
「成長が早いと、ある程度まで来ると、無理が来ることになるので、気をつけないといけない」
 と母親が、先生から聞かされたらしい。
 赤ん坊でも早くから歩く子がいるが、あまり成長が早いと、身体が成長について行かないというではないか。高校の保健体育の授業で、何からの話だったか、先生が脱線した時に、その時の言葉を思い出すことになった。
 十歳になるまでは勉強が嫌いだった。大人になったということを何をもって感じたかというと、十歳を境に勉強が好きになったことだった。
 それまで嫌いだった算数が一番好きになった。理解できないことが嫌いでいた一番の理由なのに、何かのきっかけで、算数が面白くなったのだ。
 面白くなったから理解できるようになったのか、理解できるようになったから面白くなったのか、本当であれば、後者であろう。しかし、昭子が十歳の頃を思い出すに当たって、面白いと感じることよりも、理解できることの方が嬉しかった。
――これが私の本当の気持ちなんだ――
 と感じたものだ。
 勉強が理解できるようになると、何でも理解できてしまうように思えてくるから不思議だった。世の中の仕組みからすべてが理解できるのではないかと思えば、今度は社会科が好きになってくる。相乗効果の現れであろう。
 勉強が嫌いだった頃のことを最近では思い出す。
――理解できなかったから嫌いだったと思ったが、理解しようとしても、自分で納得がいかなかったから嫌いだったんだ――
 と思うようになってきた。それだけ子供の頃の方が考え方にはしたたかだったのではないかと感じるのは、
「二十歳過ぎればただの人」
 という言葉が頭の奥で聞こえてくるからかも知れない。
 昭子にとって一番よかったのは、面白いことや楽しいことが、自分の役に立つことばかりだったことである。勉強にしても、スポーツにしても、面白いと思って始めたことが、すぐに身についてくるのだった。
 これも十歳を境にしてだったが、それまでまったく泳げなかったのに、泳げるようになった。それには理由があったのだが、その理由というのも、本当は嫌な思い出になるはずであった。
 元々水が嫌いだったのは、温かい身体に冷たい水が刺激的だったからで、その刺激を通り越せば、本当はそれほど嫌いなものではなかったのだろう。いわゆる
「食わず嫌い」
 だったのだ。
 水に入りたがらない気持ちは、自分で感じるよりもまわりの方が敏感に感じるものらしい。
「そんなに恐がることないじゃんか」
 と言いながら、男の子達が数人で詰め寄ってくる。最初から尻ごみしていたからだろうか、彼らの顔には最初から恐怖があった。それもオカルトのような恐怖ではない。まるで舐めるように見つめる眼が気持ち悪く、その視線に恐怖を感じるのだった。
 どうしても身体が後ろ向きになって、相手に背中を見せてしまう。以前テレビの時代劇で、
「背中を見せるものではない。見せてしまえば、その瞬間におぬしは斬られてしまうぞ」
 というセリフがあったのを思い出した。弱腰な態度は相手を増長させ、気持ちに余裕を与えてしまう。こちらは、反対に萎縮してしまい、余裕などまったく消え失せてしまうのだった。
 しかも、その時は水の中だった。水が恐くてプールサイドにいたはずなのに、いつの間にかプールの中央まで進出していた。
 それが、相手に圧迫されたから意識する間も与えられずにそこまで進んでしまったのか、それとも、まったくの無意識で、相手の考えるがままに行動させられていたのか分からない。
 この時も自分が分かっていないにも関わらず、その選択肢は二つに絞られるような気がした。昭子の人生はいつもそうなのだ。
 プールでの恐怖はその時に、この世のものと思えないほどだと感じたはずなのに、自分で覚えていない。気がつけば、水に対しての恐怖は消えていた。
 水に顔をつけられたことは記憶にあるが、その時に水の中で目を開けていたはずである。目を開けていたにも関わらず恐怖が残っていないのは、恐怖の一線を越えていたからなのかも知れない。
――そんなことってあるんだ――
 昭子は、自問自答していた。
 水が怖いというのは、小学生なら誰でもあることだ。昭子自身も、水が怖いことが恥ずかしいことだとは思っていなかった。
「泳げないくらい、どうってことないわ」
 と思っていたくらいだった。
 小学生でも三年生くらいになると、ハッキリと悪戯っ子というのが決まってくるもので、そんな子達の近くには寄らないようにするのが昭子にとっての初めての生活の知恵だった。
 しかし、それを察してか、悪戯っ子の標的は昭子ではなかった。昭子も自分の中では、
「自分がいじめっ子なら、私のような子を苛めるだろうな」
 と感じていた。それなのに、彼らの標的は違う子に向いていた。
 隣の席の女の子で、いつもいhとりでいるような子だった。あまり逆らうことを知らず、当たり障りのないところにいつもその身を置いていたのだ。悪戯っ子にはそんな彼女の方が気になったのだろう。
 どこかわざとらしいところが気にならないでもなかった。避けている表情には明らかにいじめっ子に対しての蔑みが見える。それは昭子が感じるくらいなので、いじめっ子には敏感に感じられるに違いない。
 昭子にとって、悪戯の標的にならないことは、ホッとさせる反面、何か物足りなさがあった。
 もちろん、苛められたいわけなどあろうはずはない。だが、意識が他の子に行ってしまうことに何かしらの不満もあった。
 それでも、時が経てばそんな思いも消え去るもので、いつの間にか平和を欲するようになっていった。
 しかし、ある時、昭子に男の子たちの目が向いたのだ。それがプールだったのは、明子の肉体に何か彼らを引き付けるものがあったに違いない。
 だが、それが喜ぶべきものなのか、それとも迷惑千番なことなのか、分からない。だが、少なくとも喜んでなどいられない。
 プールに入ってからの視線は、気持ちの悪いものだった。ただでさえ、水が怖いと思っているのに、そこへ、背中から不気味な視線を感じるのである。これほど気持ち悪いものはない。
 なるべくプールサイドに近いところにいるつもりだった。だが、彼らのうちの一人が容赦なく昭子に近づいてくる。そのせいで、いやが上にも昭子は自分の身体がプールの中央へ向かっていた。
 そのことに昭子自身気付いていなかった。それが後から思えば悔しい。しかも、反対側から彼らが近づいてくるのも気付かなかったのだ。
 油断があったのは間違いない。
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次