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短編集65(過去作品)

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 自分で分かっているつもりでも、わがままを言い始めると、止めることができない。確かにわがままは子供の特権のように思えるが、それ以上に気持ちを繋ぎ止めておきたいという気持ちの表れのはずだ。
 保育園の先生から、
「信二君はよくできた子です」
 と母親が褒められている。その表情を見て、信二も嬉しくなってくる。しかし、次第に違う気持ちが芽生えてくる。
「もっと僕を褒めてほしいのに」
 母親の前ではわがままを言って困らせてみたいと思う気持ちが芽生えれば、そこから先は歯止めが利かない。
「保育園でちゃんとできるのに、どうしてお家ではできないの?」
 母親の声が次第に荒げてくる。顔も赤くなってくるのが分かり、怒られていることへの恐怖が走る。
 しかし、それでいて、どこかスッキリした気分になるのは、自分に対して正直な気持ちの表れではないだろうか。幼児なのに、そこまで本当に考えていたのかは今さらでは分からない。だが、後から考えると、やっぱりすがすがしい気分になってくる。
 成長するにしたがって、母親に逆らうことが怖くなってくる。自分の感覚が成長に追いつかれてくるからだ。子供の頃に感じたことであったとしたら、大人になるにつれて記憶が逆行していても不思議はないだろう。忘れ物をしたからといって家まで取りに行かされたあの時の記憶が、幼児の頃の記憶よりもさらに昔だったように思うわりには、センセーショナルに覚えているのは、自分の中で母親に屈服している自分への戒めのようなものがあるからなのかも知れない。
 信二にとって、一番記憶が薄いのは、小学五年生くらいではなかったか。
 六年生になって信二は変わった。信二は中学受験を志すようになったからだ。友達の中には中学受験を志す友達もいた。それはほとんどが、親の意向によるものだったが、信二の場合は自分から望んでのことだった。
 勉強が好きになったのは、四年生の途中だった。先生が勉強を隙になる話をしてくれたのが原因だったが、詳しくは覚えていない。ただ、それまで、
「どうして勉強しないといけないの?」
 と質問しても、誰もそれに納得する回答を示してくれなかったが、その先生の回答は、信二を満足させるものだった。
「誰のためにするわけでもない。自分のためにするんだ」
 という答えは誰にでもできた。しかし、それをさらに分かりやすくしてくれる回答をその先生は示してくれたのだ。
 勉強だけではない。何事も、
「どうして?」
 という疑問にキチンと答えてくれる内容であるならば、それが納得のいくものであれば、何ら疑問は残らない。勉強だって楽しくできるというものだ。
 百人に聞けば、ほとんどが勉強は嫌いだと答えるだろう。それは、皆どうして勉強しなければいけないのかという明確な答えを持っていないからだ。
「勉強は強制的にさせられているんだ」
 という意識がある以上、それだけのものでしかない。楽しいことであっても、強制的にさせられれば、どうしても反発してしまう。
 反発することで実力を発揮する人もいる。それが順位に繋がってくるのだが、それは本来の順位とは違っている。順応性の強い人は順位が上の方かも知れないが、絶えず疑問を頭の中で浮かべている人の順位はそれほどでもないだろう。
 どちらが将来性があるかなど度返しである。そんな理不尽な順位のつけ方にその先生は疑問を感じていた。感じていたことを素直に生徒に話をしてくれた。
 信二にしても、心の中でモヤモヤしていたものに一点の光を見出したような気がした。それが先生の話だったのだ。
 先生の話を聞いていると、まず算数が分かるようになってきた。小学生の勉強で軸になるのは、算数、国語、理科だろう。その中の算数が分かってくると、これほど楽しいものはない。
――そうだ。分かってくるということが、楽しいことに繋がるんだ――
 こんな単純なことも最初は分からなかった。分かることが楽しいのだから、勉強が分かることも、理屈が分かることも同時進行なので、これほど楽しいことはない。勉強ができるようになると、まわりからの目も違ってくる。
「あいつ、最近変わったな」
 それがいい意味だけだと思っていたが、どうやら違う意味もあるようだ。一種の嫉妬のようなものだった。
 まわりから受ける嫉妬にも、気持ちの悪いものが普通なのだが、気持ちのいいものもある。自信があるものに対しては、実に気持ちのいいものだ。優越感に浸れるというのだろうか。相手よりも優位に立ったと思うからだ。
 その思いが信二には強かった。誰よりも賢くなったように思う。元々勉強を始めたのも、それまで分からなかったことが分かってくることで、まわりがすべて自分よりも賢いと思っていた自分の卑屈さを解消できるところにあったのだ。
 中学受験一本に頭の中は凝り固まっていた。他のことを考える余裕がないというよりも、むしろ他のことを考えたくなかったのだ。
――他のことを考えるのがもったいない――
 と感じるのは、ラーメンにかやくを入れずに食べたい気持ちに似ている。
「ネギや生姜を入れると、ラーメンのダシの味が落ちてしまう」
 と言って、いつもネギ抜きのラーメンを食べている信二らしい理屈だった。
 信二にとって勉強は犯しがたいものであった。自分の努力がそのまま点数になって現れるのだから、これほどやりがいのあるものはない。
 小学生の低学年の頃には、
「どうして勉強しなければいけないんだ」
 という思いが強く、勉強しても身に入らなかった。疑問があれば、どうしても気が散ってしまうのは信二だけではないだろうが、信二の場合は極端である。
 勉強するのが嫌いだったわけではないが、理屈が分からないと理解しようとしない性格が災いして、暗記モノでも覚えたとしても、すぐに忘れてしまう。一生懸命に時間を掛けて覚えたはずなのに、一日経てば忘れてしまっていて、覚えたはずの時間が、あっという間だったことに驚かされてしまう。
 たった一日での時間の感覚の違いは、それだけ一日という時間を永井と感じさせるものであった。
 最初に感じていた時間が長く、後からあっという間だった場合と、最初に感じていた時間があっという間で、後から長かったと感じるのとでは、感じ方の違いがあることに気付いたのは、中学に入ってからだった。
 最初に感じていた時間が長かった場合は、精神的な要因が多い、逆に最初に感じた時間があっという間だった時は、肉体的な要因が大きいように思う。後から考えてあっという間だったということは、それだけ最初にウエイトが乗っている。考えに考えたあげくの答えがあっという間だったという結論をもたらしている。
 逆に後から長かったように思うのは、肉体的に自分の中で余韻を感じることができるからだ。それも心地よい余韻が残った時に感じるのが、あとからジワジワと思い起こすことができることであろう。
 精神的な面は、心地よいものではないことの方が多い。余韻のようなものがあったとしても、モヤモヤに覆いかぶされて思い出せないようになっていることが大半ではないだろうか。
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次