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短編集65(過去作品)

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 子供の頃は母親が大きく見えたものだ。それが自分の成長に合わせて縮んでくるように見える、何しろ相手は女性なのだ。
 自分の成長に合わせて、次第にふっくらとしてくる母親。体格同様、性格も丸くなっていって、穏やかさを帯びてくる。
 お袋とはよく言ったものである。包容力を感じ、
――暖かさを今頃になって感じるなんて――
 と思ったのは、高校に入ってからだった。
 その頃には彼女もできて、女性に対しての意識が自分の中で成就する予感のあった時であった。
 女性に対しての感覚は、暖かく柔らかい。しかし、壊れやすくて神経質で、悪いところも決して忘れてはいけない。
 それを分かっているにも関わらず、どうしてもわがままになってしまうのは、子供の頃に感じた母親というイメージであろう。自分の母親が違えば違うほどその意識は強くなってくる。
 子供の頃のお小遣いと言えば、百円でも大金だった。千円などというと、スポーツ観戦でもない限り、持たされることはなかった。
 友達同士で行くところで、母親が許してくれたのは野球観戦だけだった。当時としてはまだ女性ファンが少なかったプロ野球、なぜか母親には贔屓チームがあった。
 贔屓チームというよりも、贔屓選手がいると言った方が正解で、その選手は四番でもなければ、エースでもない。打順は下位で、守備力を買われての出場だった。
 しかし、シーズンが終わってみれば同じチームで全試合出場していたのはその選手だけという意外な結果も出ていた。他の選手は途中好調でも、どこかでスランプに陥り、ファーム落ちを経験させられたり、あるいは、ケガをしたりしていた。
 ケガをするのもいつも好調な選手である。それだけに目立つのだ。まわりも騒ぎ立てるが、一番悔しい思いをしているのは、何と言っても当人であろう。
 スランプに陥る人は、健康なだけに、ケガをしている選手が羨ましいかも知れない。逆にケガをしている選手は、ケガさえなければ他の選手に負けないという自負があるだけに焦りを伴うだろう。
 スポーツ選手たるや、それくらいの自信を持っていなければやっていけないものではないだろうか。
 その選手は、どこか父親に似ていた。顔が見ているというよりも、雰囲気が似ているのだ。
 守備の堅実さには定評がある。守備がうまい選手は、
「いぶし銀」
 などと呼ばれるが、それもバッティングもそれなりに粘れる選手でなければなかなか評価されない。しかし、その選手のバッティングはトップリーグの打撃ではなかった。
「三振かホームラン」
 振りが大きく、一発しか狙っていない。堅実な守備とは別に、バッティングはあまりにも大雑把である。
 そのアンバランスさが玄人好みするところでもあった。あまりインタビューに答えるタイプではなかったが、ある日スポーツニュースのコメントで、
「私は役目を自分なりに考えて、それを実行しているだけです」
 と答えていたが、考えてみれば、あんな大雑把なパッティングをしていれば、本来なら二軍落ちになっても仕方がない。それがならないのは、選手と監督コーチとの間で、暗黙の了解ができているからなのかも知れない。
「あの人は、堅実なパッティングをしようと思えばできるのよ。でも、他に同じ役目の選手が何人かいるから、彼は敢えて、相手投手へのプレッシャーを掛けるために、わざとあんな大振りを繰り返してるんだわ」
 と母親が話していた。
――おそらく間違いないだろう――
 と信二は思った。
 母親の意外な性格を見たような気がした。いや、それは自分の性格にも当てはまる。
――遺伝なんだろうか――
 人にはいろいろな性格があり、なるべく人のいいところを探そうとしているところ。そう言ってしまえば聞こえはいいが、なるべく他の人とは違うところに注目したいというところであろうか。
 その思いが結果としてなるべくいいところを探そうとして見ていると感じるのも実に皮肉なことである。それだけ普通に見ると無意識に相手の揚げ足を取っているわけであるからである。
 しかし、これも減点法かどうかという違いである。
 最初に相手が自分よりも優れていて、百パーセントに近いところから見てしまうと、どうしても減点法になってしまう。それは自分をいつも卑下しているからなのか、それとも謙虚な姿勢がそうさせるのかは、その人によって違うだろう。少なくとも自分は謙虚な姿勢だと思っていた。
 大人になるにつれて、その感覚は変わってくる。自分も成長してくるからで、子供の頃に減点法だった一番の理由は、成長前の自分がまわりから比べて晩生だったからではないだろうか。そのことに気付き始めると、今まで分からなかった自分のことが見えてくる。客観的に自分を見つめる目が見えてきたと思った。
 しかし、それは厳密に言えば違っていた。
 以前の方が客観的に見ていたわけで、今は主観的に自分を見る目を養うことができたのだ。客観的にしか自分を見ることができなかったから、そこに成長がなかったに違いない。そのことに気付いたのは、やはり母親が自分と同じような視点を持っていることに気付いたからである。
 客観的に自分を見ていたとしても、実際には主観的に見ていたと思っていたのだ。自分の側から見ているはずなので、
――自分が見えるはずがない――
 と感じていたはずである。
 その気持ちがまわりすべてを大きな存在にしてしまっていて、自分が見えていないことに気付かせていない。
 自分を意識しているくせに、自分の顔は鏡でしか見ることができず、一番意識しにくいはずだということをちょっと考えれば分かるはずなのに、誰もそのことに疑問を感じず生活している。
――想像力が豊かなのだろうか――
 そう感じずにはいられないが、意外と誰もが自分のことを無意識に意識することで、理解しているのかも知れない。
――自分を中心とする想像力というのは、無意識だからこそ生まれるものかも知れない――
 好きなものをいつも与えられていたと思っていた。アパートやコーポ住まいの多い友達から比べれば狭くても一軒家というのは、裕福な証拠だと思っていたからだ。実際に不自由もなかったし、人から羨ましがられることはあっても、羨ましく思うことはなかった。
 いつも遊びに行っていた友達の家が自分の家よりも裕福だと思っても、その裏には父親がいつもいないという寂しさがあることから、どちらがいいかと言われれば今の生活をありがたいと思う。
 その頃から、自分の顔を鏡でしか見れないことに気がついた。どんな顔をしているのか分かっているつもりでいるのは、
――俺はこんな顔なんだ――
 というイメージを勝手に作り上げて、想像の中での表情を豊かにしているに違いない。
 与えられているものを素直に嬉しいと思う気持ち、幼い頃に持っていたはずだ。
 わがままを言って母親を困らせた記憶があるが、それもどこか演技だったように思う。演技というよりも、自分の方を絶えず見ていてほしいという健気な気持ちの表れだったことに気付いたのは、いつからだっただろう。
 歯止めが利かないのも幼児の特徴だ。
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次