短編集65(過去作品)
そう思って信二は改めて考えてみたが、思い当たらない。当たるはずがないのだ、ほとんど今までに友達を家に連れてきたことがなかったからだ。
友達同士で集まるなら、決まった家庭があった。それほど大きな家ではないが、子供が数人遊べるくらいのスペースはある。父親は仕事の関係で遅く帰ってくることもあって、遊ぶにはちょうどよかった。
――こんな家庭に生まれてみたかったな――
と思うこともあったが、あくまでも憧れ、それ以上思っても願うことはなかった。
そこで、お父さんの姿を見ることはほとんどなかった。日曜日は、会社の人とゴルフにでも行っているのだろうと思っていたが、実際には出張の多い人で、海外出張などもしょっちゅうだったらしく、なかなか家でゆっくりというわけにもいかなかったようだ。
商社勤めだったということで、金銭的には余裕があったに違いないが、家庭としては、寂しかったのかも知れない。だから、子供の友達が遊びに来ることで、家庭内が適度に暖かくなっていたのだろう。いい意味に取れば、これも人助けだと言ってもいいだろう。
友達はあまり明るい性格ではなかった。母親も控えめな人で、もし信二たちが遊びに行かないと、本当に寂しい、まるで毎日が通夜のような生活になってしまっていたに違いない。
それを思うと、信二の家庭など恵まれていたのだろう。父親は仕事で遅くなることはあっても、毎日帰ってくるし、母親も共稼ぎではあるが、夕方にはキチンと夕食を作ってくれる。
「それって羨ましいよな」
一度だけ言われたことがあった。相手を羨ましいと最初は思っていただけに、不思議な感覚だった。外食も多くて、好きなものが食べられることが羨ましかっただけだったが、相手から見る羨ましさは、一つのことだけではなく、全体的なことだったのだ。
「ちょっと何かを忘れただけで、学校まで取りに行かされる屈辱感は分からないだろうな」
普段は、母親から言われて忘れ物を取りに行くことを他言したりしない。自分の屈辱を自らで宣伝するようなものだからだ。しかし、何も言わないでいて、ただ羨ましがられるのだけは耐えられなかった。
――お前の羨ましいといっていることの裏にはこんな屈辱があるんだぞ――
と心の中で何度も反芻していた。
――待てよ。ということは、自分が羨ましがっている裏にも、人に言えない何かを隠しているのかも知れないよな――
信二は、それを隠すのが嫌で、自分から公表したが、それはあくまで信二の性格であって、相手がどういう性格か分からない。なるべくは隠しておきたいという素直な性格なのかも知れない。
信二の場合は、それを素直な性格とは認めたくない。相手に言わないのは逃げであって、卑怯者のように見えるからだ。
無難なように見えても、見方によっては、卑怯者に見えることもある。例えば苛めっ子や苛められっ子がいて、
「自分は苛めていないから悪くないんだ」
と傍観者を決め込んでいる大多数の連中の中にはいくつかの言い分も存在するだろう。しかし、基本的には傍観者も苛めている側の人間である。そのことを信二はすぐに知ることになる。
人を羨ましく思う気持ちの中には、何か痛みを伴うものを感じないわけにはいかない。小学生でそこまで感じていたと思うと恐ろしくなるのだが、それ以外のことは、本当に子供の記憶でしかなかった。
遊んだことというと、テレビアニメを見たり、テレビゲームをしたり、小学生で他に何があるというのだろう。勉強もするにはしたが、ほとんど実に入っていなかった。実を伴わないことに対しての記憶はほとんど薄いものであった。
中学に入って急に変わったからかも知れない。
成長期であり、変わったというよりも揺れていた考え方が一つに纏まったことが変わったと思った最大の理由かも知れない。
しかし、身体もしっかりとしてきて、何よりも声がしっかりしてくることを
――声変わり――
というではないか。
男と女の違いもあるだろう。
小学生の頃は、女子が背も高ければ骨格もしっかりとしていた。しかし、五年生くらいから、徐々に男子が大きくなってきて、女子を抜いてくる。目に見えてそうなってくるのだが、女子の精神的な違いも感じてくる信二だった。
異性への意識があったわけではない。だが、異性としてではなく、この世には男と女しかいないという生物学的な考えが頭にはあった。
――小学生のくせにませていたんだな――
と考えるが、まさしくその通りであった。
女の子の胸に意識がいく。下半身がムズムズしてくる。これが男としての生理であることを知らなかったが、何となく恥ずかしいことだという意識はあった。
――親にはそんな気持ちを知られたくない――
この思いが一番強かった。絶対に叱られるに違いないと思ったからである。
その感覚に根拠など何もない。ただ、低学年の頃に忘れ物をしただけで、学校まで取りに行かされていたという事実がトラウマになっているだけだった。
それともう一つ、
――お母さんも女なんだ――
という気持ちがあった。もちろん、胸は大きいし、他の男の人、例えば先生と話している時の母親は普段自分と接している母親とは違っていた。
女の子がオンナになるという感覚を見ているだけで味わっていたのだから、おかしな感覚である。誰が教えてくれるわけでもない。自分が異性に興味を持ち始めると、変わっていく女の子が皆大人に見えてくる。
――俺も男になってきている証拠なんだな――
と我ながら感じたものだった。
――女の子からどう思われているんだろう――
と感じたことが、異性への意識の表れだった。そのことはハッキリと覚えている。
友達の家によく遊びに行っていたのは、異性に興味を持つ前だった。
異性に興味を持ち始めると、友達との間も少しギクシャクしてくる。友達の中には本当に彼女ができて、男同士で遊ぶことをやめてしまったやつもいた。
小学生のくせにませているというべきなのだろうが、そっちの方が却っていいかも知れない。
彼女ができたくせに、男とも一緒に遊んでいると、きっと自慢話になりかねない。のろけ話を聞かされるのは小学生ではまだまだ人間ができていないので、真剣に嫌な思いがするだろう。相手を嫌いになるに違いない。
男の友情と、女との愛情などという理屈が小学生に通用するはずもなく、ましてや、女性に対しての思いがあるわけでもないので、女性に対してうつつをぬかす友達のことが分からないはずだった。
だが、何か寂しさを感じる。彼女ができた友達の表情が浮ついてはいるが、本当に楽しそうなのだ。
「どうしてそんな表情ができるんだい?」
と訪ねたいくらいだが、きっと、
「俺にも分からない」
という答えしか帰ってこないだろう。
信二にとって、男友達と、母親はまったく別格のものだったが、そこに女性を意識し始めると、それぞれに違和感が生じてくる。だからこそ、その時期の記憶は、子供から大人への急激な心の変化に伴って身体や頭がついていっていないことで、記憶が曖昧だったりするのだった。
母親への記憶は子供の頃の記憶の方が強い。誰に聞いても母親のイメージは子供の頃のものと、大人になってからとでは変わってくるという。
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次