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短編集65(過去作品)

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ボンキナー



                 ボンキナー


「ボンキナー」というお菓子を子供の頃に食べた記憶があった。子供の頃と言っても、小学校五年生くらいなので、記憶があったというのはおかしいかも知れない。
 貧しい家庭というわけではなかったが、お菓子は与えられたものだけを食べていた。自分で買い食いするなどもっての他、考えたことすらなかった。
 しかし、憧れはあった。小学生でも学校にお金を持っていて、帰りにパン屋でお菓子やパンを買って食べる子供がいた。
 羨ましかった。
 だが、彼らから言わせると、よほど自分の方が羨ましかったのかも知れない。
「信二は家に帰れば親がいるじゃないか。俺の場合は誰もいないんだよ」
 両親揃って共稼ぎの友達は、母親からお金だけを渡されていた。信二にとって、家に帰って親がいないという寂しさは分からない。ただ、贅沢に見えることが羨ましかったのだった。
 いつも買い食いしていて、学校の帰りにパン屋の奥にあるテーブルから歩いている信二を見つめている。そういえば寂しそうな表情に見えなくもないが、表からだとガラスに光が反射して、ハッキリとは見えない。
 逆に中から表はハッキリ見えるらしいが、表が明るいと逆光になって、こちらも表情がハッキリとしないようだ。
 お互いの気持ちを表しているようではないか。お互いに羨ましく思い、自分を蔑んでみたりする。そんな必要はまったくないのに、それが当たり前のようになってしまっている。
 それでも自分がハッキリとしない気持ちの正体が何であるか分からないと、まわりのことが薄っすらしか記憶できないようになってしまっている。だからこそ、「ボンキナー」の記憶も遥か昔だと思ってしまうのだし、もっと幼かった頃の記憶の中に封印されてしまっているに違いない。
 幼かった頃の記憶というと、一環していないようで一環している。
 まず基本は母親である。
 あまり食事を摂れなかった信二を連れて、いろいろドライブに行ったらしい。記憶としては飛行機を見た記憶があるので、空港の近くだっただろう。しかし、今行った場合の記憶とは全然違う。
「本当に同じ場所なの?」
 と聞きたくなるくらいだが、
「何言ってるの、あんたを連れてきたのが何年前だと思っているの」
 と詰られてしまう。当たり前のことで、あれから二十年以上も経っているのだから質問自体が愚の骨頂であり、質問することすら馬鹿げているであろう。それでもいくつになっても子供は子供、質問すること自体には何ら違和感を感じることのない母親だった。
 母親は厳しい人だった。何かを学校に忘れたと言えば、その剣幕はひどく、
「学校まで取りに行ってらっしゃい」
 と言われ、実際に取りに行かされたものだ。
 その時の屈辱感たるや、泣きながら嗚咽しながら屈辱感を身体全体で感じていた。それでも物を忘れることがなかったのは、本当は自分がたるんでいるせいかも知れない。
 最初こそ、学校まで取りに行かされる行為自体が屈辱だと思っていたが、実はそうではなかった。モノを忘れてしまう行為、つまりは、自覚が足らないことが屈辱だったのだ。
 本当なら屈辱感を味わえば、次からは忘れるはずもない。そのため、母親は敢えて屈辱感を与える仕置きをしているではないだろうか。まさか、子供にそこまで分かったとは思えないが、
「母親に悪い」
 という感覚が心のどこかに芽生えていた。
 あれだけの屈辱感を味わされているのに、
「これは当然のことなんだ」
 と思ってしまう。しかし、他の友達にそんなことはない。もっとも、他の友達はほとんど忘れたりしないという思いが頭にあるからであろうが、それでも、友達が忘れ物をして、親から学校まで取りに行かされるところなど、想像もつかないからだった。
 学校への道すがら、情けない自分の姿をいつも想像していた。顔は鼻水や涙でグジョグジョになり、文字通り、情けない屈辱感丸出しの顔になっていることだろう。
 母親の顔も思い出すのだが、なぜかその時に思い出す顔は、直前に見た鬼の形相ではない。幼い頃に空港に連れて行ってくれた時に助手席から見た、運転中の横顔だった。
 運転しているのだから、真剣な眼差しである。しかし、運転中であるにも関わらず、時々横を振り向いてくれて、ニッコリと笑ってくれた。今から思えば、それだけ信二のことを心配していたのであろう。
 そのことを、思い出すのが、母親の逆鱗に触れた後だというのは、何と皮肉なことであろうか。
 信二にとって、母親は絶対の存在であった。父親も怒る時は本当に怖いのだが、母親ほどの存在感がなかった。
 信二にとって、四六時中見張られているように思うことすらあったくらいで、学校の授業中に思うこともあれば、夢に見ることも多かった。
 夢ではいつもニコニコしている。決して怒ったりはしない。だが、夢の中で母親が豹変したことがあった。急に鬼のような顔になり、追いかけてくる。必死に逃げるので、後ろを振り向かないでいると、次第に怖くなり、振り向いてしまう。
 すると、そこにいるのは、本当の鬼であった。その時に、
「これは夢なんだ」
 と気付くが、追いかけてくる鬼が怖くてひたすら逃げていた。
 そんな母親をいつも見ているせいか、友達と遊んだりするのでも遠慮がちになっていた。特に父親の相手の家庭に対しての気の遣い方には考えがあるようで、
「相手の家庭の迷惑にならないようにね」
 と言われていた。
 その考えは最初は、母親のものだとばかり思っていた。だからこそ、
――絶対にダメなんだ――
 と思っていたが、次第にそれが父親の意見が大きいことに気がつくと、おかしなもので、どこか反発してみたい気持ちになってくるから不思議だった。
 しかも、
「お父さんに逆らってはダメよ」
 とその一件から母親が諭すようになっていた。本当であれば、父親の威厳を感じるべきなのだろう。あれだけ絶対だと思っていた母親が、さらに気を遣っているのが父親だと思うのが一番自然だからだ。
 しかし、その時の信二は違った。父親の威厳というよりも、今まで感じていた母親への絶対の思いが揺らいでくる方が大きかったのだ。
 あまりにも絶対なものを感じていると、まわりの動きによって、絶対なものが崩れてくることがあるというマイナスイメージを初めて感じていた。
 そう思うと、母親の絶対的威厳は、自分に対してだけだということに気付く。家庭内での威厳は、父親が持つか母親が持つかなのだろうが、母親が持つ方が父親よりもさらに子供に絶対感を感じさせるもののようだ。
 父親と母親の威厳がひっくり返るようなことはなかったが、父親というのは、いつも母親の影に隠れているというイメージは払拭された。逆に母親の威厳は、後ろに父親がいることで保たれていて、子供にとっては眩しさを放つものであることを知ったのだった。
 友達の家に行けば、父親と母親のどちらが威厳を持っているのかということを、無意識のうちに探ってしまおうと考える。
 たいていの場合は、その威厳が表に出ることはない。どの家庭でも隠そうとするもののようだ。
――うちはどうだろう――
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次