短編集65(過去作品)
自分が見つめている男性の態度は相変わらずである。見つめていることが分かっているはずなのに、それでも意識をしていないということは、それだけ視線に力がないのだ。
それとも自分を見つめている目が気になっているからだろうか。もしそうだとすれば、昭子自身も、気になる相手の対象が変わっていっているに違いない。
同い年なのに、可愛く感じられてしまうのは、今まで自分が年上の人ばかりを意識してきたせいかも知れない。可愛く感じられるのもまたいいもので、自分が表に出ないといけないという感覚になることで、主導権を握りたいという欲が人間には備わっていることを今さらながら感じていた。
十歳になった時に感じた、
「大人になりたい」
という気持ちを思い出した。しかも、予兆があったわけではなく、いきなり思い出したのだ。センセーショナルな感じが、昭子には新鮮だった。
それまで自分は何ごとも自然に受け入れてきたつもりだった。受け入れることが成長だと思っていたからだ。そこには何ら強制もなく、自然な気持ちが強かった。
「なすがままに、成り行きに任せて」
これが信条だといわんばかりだった。しかし、自分の意志に反し、強引な手段で、身についたこともあった。それが泳げるようになった時のいわゆる
「逆療法」
である。
――どちらがいいのだろう――
昭子は自問自答を繰り返す。ただ、自然の成り行きも、強制的なものも、自分の意志がともなっていなかったような気がする。自分の意志が備わっていないから、うまく行かなくとも、
「そういう運命だったんだ」
と諦めることができてきた。
傷は浅くて済んだであろう。しかし、本当にそれでよかったのだろうか? 自分の中で決定しなければならないこともたくさんあるはずである。
その中には順序立てて遂行するものもある。順序どおりに事が運べば、自分の中でも自信に繋がっていくだろう。
人生にはいくつかの分岐点、ターニングポイントがあるという。昭子の中にはそれまでにいくつかあったはずだが、その場面場面で意識していたとしても、後から思い出すことはほとんどない。意識していたことすら、忘却の彼方ではないだろうか。
成長期というのは、毎日年輪を刻んでいるようなものである。一日一日という単位を一番意識する時期なのかも知れない。
――昨日よりも今日、今日よりも明日――
これが逆行するなどということは、最初から頭の中にあるはずもなかった。
数円後に昭子は大学を卒業すると、彼からプロポーズされた。
「一日、一ヶ月、一年と、ずっと一緒にいたい」
そんなセリフだった。
そういえば、その日は彼と付き合う気持ちになった日でもあった。彼はそのことを知らないはずである。
――心が通じるとは、こういうことなのかしら――
大人になろうと決心した日だった。
それまでの自分は、誰かに後押しされることで大人になった気がしていた。十歳になってすぐ、プールでの出来事、今から思い起こせば、まるで十歳になったのと同じだったように思える。
自分の誕生日はしっかりと覚えているはずなのに、その前後のことが曖昧だ。自分の気持ちに実際の日にちがある一定の範囲の中で覆いかぶさっているかのようである。
男性への気持ちもそうだった。自分の中で曖昧な部分が多く、優柔不断だった時間が、今から思えば実に短い時間だったように感じるはずなのに、却って思い出そうとすると、気持ちを覆いかぶすかのように曖昧なものとなってしまう。
――これからの私の人生は、ターニングポイントをしっかりときちんとしたポイントで捉えることなんだ――
と思うことが、大切なのだと感じていた。
そういえば、プールで苦しかったあの時間、それまでは思い出そうとしても思い出せなかったのに、ターニングポイントを意識するようになってから、嫌でも思い出す。きっと、あれが今までで一番の、昭子にとってのターニングポイントだったに違いない……。
( 完 )
作品名:短編集65(過去作品) 作家名:森本晃次