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『イザベラ・ポリーニの肖像』 改・補稿版《後編》

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9.仕掛け



「パリのベルジュール画廊より『イザベラ・ポリーニの肖像』を購入した」
 ニューヨーク市立美術館がそう発表すると、アメリカの美術愛好家の間では大きな話題となった。
 『イザベラ・ポリーニの肖像』と言えば、一年前に、ついにベールを脱いだ『幻の名画』として二億ユーロで取引されたことはまだ記憶に新しい、そしてその絵画はその贈り名に恥じない傑作であることも知れ渡っている、それが突然ニューヨークにやって来るとあってはニューヨークのアートシーンが沸き立ったのも当然だ。
 
 五十年代以降、ニューヨークもまた芸術の中心と呼ばれるようになった。
 ただし、ニューヨークのアートシーンはデ・クーニング、ポロック、ウォーホルなどの現代美術が中心、専門家やマニアならともかく一般大衆にはその価値がわかりにくい作品が多いきらいはあった。
 しかも、昨今ではアラブや中国の富豪の手に渡ってニューヨークから流出してしまう作品も少なくない、ニューヨークのアートシーンは五十年代の輝きと勢いを失いかけていたのだ。
 そんな中、降ってわいたのが『イザベラ・ポリーニの肖像』購入のニュース、しかもそれは専門家やマニアならずともその良さを堪能できる作品、イザベラは大西洋を渡ったとたんにアメリカのアイドルに祀り上げられた。
 
 そしてその公開と同時に発表されたのが、恋愛小説の大家にしてベストセラー作家、ジェフリー・マンシーニの新作、タイトルも絵と同じ『イザベラ・ポリーニの肖像』。
 カバーにイザベラの写真がプリントされた本はミュージアムショップに山のように平積みされ飛ぶように売れた。
 もちろんアメリカ中の書店にも並べられ、小説を読めばどうしても実物の名画を見たくなる、かつてマディソン郡にある片田舎の何の変哲もない橋にすら観光客が詰めかけたのだ、アメリカ第一の、と言うよりも世界一の大都会であるニューヨークにならば桁違いの人々が詰めかける。
 小説はエンリコがイザベラの肖像画を封印するシーンで終わっている。
 そのシーンには、愛する妻から愛されなかったエンリコの複雑な想いばかりではなく、想い続けた男と添えなかったイザベラの、身分違いゆえに愛を告白することも叶わなかったプラッティの、それぞれの想いが絵と共に封印されたことが示唆されている、その絵が五百年の時を経て、ニューヨークにやってきているのだ、ニューヨーク市立美術館に足を運べばその絵を実際に目にすることができるのだ、小説を読めば誰しもそうしたいと願う。
 マンシーニがラストシーンに潜ませた仕掛けは見事に功を奏し、ニューヨーク市立美術館は連日の盛況を見せた。
 活気づいたのは美術館ばかりではない、ニューヨークや東海岸からばかりでなく、西海岸や南部から、そして海外からも人々がニューヨークに押しかけるようになった。
 彼らの最大の目的は美術館だが、それだけを楽しみに来るわけではない、ブロードウェイでミュージカルを鑑賞し、しゃれたレストランで舌鼓を打ち、ラウンジやバーで一杯やり、自由の女神を仰ぎ見、セントラルパークで寛ぎ、タイムズスクエアで買い物をして行く、その経済効果は計り知れない。
 ニューヨーク市立美術館は市が運営している、観光客が金を落として行けば税収と言う形で市も潤うのだ。

 そしてたたみかけるように映画版『イザベラ・ポリーニの肖像』の製作が発表された。
 監督はマンシーニ作品の映画化でこれまでに何本もヒットを飛ばして来たダレル・ホワイトヘッド、耽美的な映像を撮らせたら当代随一の映画監督だ、いやが上にも期待は高まる。
 しかも、他の配役は明らかにされたが、肝心のイザベラ役はシークレットのまま。
 マスコミはめぼしい女優のスケジュールを調べるなどしてすっぱ抜こうとしたが判明するはずもない、全くノーマークの新人女優なのだから。

 そして、撮影に入るとホワイトヘッドには確かな手ごたえがあった。
 イザベラ役に抜擢したサラが予想以上に良いのだ。
 映画で最も重要なシーンはモデルと画家と言う立場で二人が向き合うシーン、それは抱擁やキスをしないどころか手を触れることもない、究極的にプラトニックなラブシーンとなる。
 直接的、肉体的な接触がなく、動きも限られるとあっては見つめあう二人の表情が重要になるのは言うまでもないが、その点、実際に恋人関係にある二人の間には引き合う重力のようなものが存在する、それは目に見えるものではないが、サラとライアンの表情を生き生きと輝かせ、イザベラとプラッティの見えない絆をスクリーンに映し出した。
 そしてサラは大学で文学を専攻した女性、心ならずもエンリコと結婚した後のイザベラの心情を深く理解して、演技過剰に陥ることなく慎み深く演じ、プラッティとの秘めた恋を浮き上がらせた。
 しかも既に二億ユーロを手にしてご満悦のパオロは館でのロケを快く承諾し、十五世紀の雰囲気をカメラに収めることもできた。
 もっとも、庭は荒れ果てていたのでその整備のためにホワイトヘッドはかなりの資金を注ぎ込まざるを得なかったが……。
 
 クランクアップ後の編集作業は、ホワイトヘッドにとって悩ましいものとなった。
 映画をより良いものにするために撮影した映像を取捨選択しなければならないのはいつもの編集作業と同じだが、撮影したどのシーンを取っても『絵になる』ものばかり、どのシーンも捨てがたいのだ。
 音楽を依頼したのは、過去にも映画に魅せられた少年と映写技師との交流を描いたイタリア映画に印象的な曲を提供した人気作曲家、彼もラッシュフィルムを見てイメージを膨らませ、穏やかで抒情的な、美しい曲を作曲してくれた。
 クラシックギターの独奏と楽器の数を絞った室内楽で構成されたその音楽は映画の雰囲気にぴったりと寄り添い、耽美的な映像を更に美しく彩ってくれる……。

 映画が完成した頃、小説と絵画のコラボレーションで燃え上がった『イザベラ・ポリーニの肖像』人気にも陰りが見え始めていた。
 だが映画が公開されると、小説を読んだ人々、『イザベラ・ポリーニの肖像』を見た人々はこぞって映画を見に映画館へと足を運んだ。
 絵も小説も目にしていなくとも、ダリル・ホワイトヘッドの作品で、大きな話題になっている絵画を題材にしたものだと知れば興味を惹かれる、
 そして、そもそもホワイトヘッドの作品には固定ファンも多いのだ。
 映画が大ヒットを記録すると、美術館には再び客足が戻り、ホテルは軒並み満室となった。
 イザベラは再びニューヨークの話題をさらい、人々をニューヨークへ、美術館へと誘い始めたのだ……。