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『イザベラ・ポリーニの肖像』 改・補稿版《後編》

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8.小説と映画



「一通り書き上がりましたよ、まだもう少し推敲したいですし、編集の目も通さねばならないでしょうがね」
 作家のジェフリー・マンシーニからの連絡を受け、ジョーンズはニューヨークへ飛んだ。
 ウィリアムズがパリに向かった一週間ほど前のことだ。
 その原稿は既にメールに添付されたファイルで読んでいるが、ニューヨーク市立美術館館長のフォーク、映画監督のホワイトヘッドを交えた四者で今後の計画について細部まで打ち合わせるためだ。

「もうお読みいただけましたかな?」
 マンシーニのその質問は聴かずもがなのものだ、読んでいないはずがない。
 もちろんマンシーニ自身、わかっていて言っているのだが……その表情には会心作が書けたと言う自信が滲み出ている。
 その作品の中では、イザベラとプラッティの恋愛だけは想像の産物、創作だが、そのほかは出来る限り史実に忠実に描かれ、十五世紀イタリア貴族の暮らしぶりやポリーニの館の様子も専門家の協力を得て極力忠実に再現されている。
 小説のあらすじはこうだ。

 イザベラの父、アレサンドロは歴代ポリーニ家歴代当主の中で最も優れた人物として知られている、ポリーニ家は彼の代に最も隆盛した。
 そして彼にはアンジェロとアルツロと言う二人の息子がいた、どちらも聡明で人柄も良く、ポリーニ家は安泰だと考えられていた。
 イザベラは二人の兄から一回り歳が離れた第三子、幼少の頃から可愛らしく、優しく、聡明だった彼女は父や兄から可愛がられて育った。
 しっかりした兄が二人いるのでイザベラ自身は政治や経済にかかわる必要はなかった。 
 幼い頃から絵が好きで、音楽や文学にも並々ならぬ興味を持っていた彼女は、長じてからは芸術の振興に尽くした、むしろそうすることが父や兄を喜ばせたのだ。
 イザベラとプラッティの最初の出会いは、イザベラ十歳、プラッティ十八歳の時のこと。
 当時プラッティは著名な肖像画家の工房に入ったばかり、師匠の付き人としてポリーニ家にやって来たのだった。
 油絵を始めたばかりだったイザベラは、手持無沙汰にしていたプラッティを捕まえて絵を教えて欲しいと請い、他でもないポリーニ家令嬢の願いとあって師匠もそれを許した。
 二枚の肖像画が描き上がるまでの日々、イザベラはプラッティの指南を受け続け、そして彼が去る日、無邪気にこう言った。
「いつか私の肖像画を描いて下さいね」
 そして月日は流れ、イザベラ二十歳の誕生日。
「記念に肖像画をプレゼントしよう、画家は誰が良いかな? 誰でもかまわないよ」
 そう父に訊かれた時、彼女は迷うことなく答えた。
「プラッティ氏をお願いします、十年前に私の肖像画を描いて頂くとお約束したのです」
 画家として独り立ちはしていたもののまだ無名に近かったプラッティにとって、それは大抜擢だった。
 こうしてイザベラとプラッティは再会し、幸福な時を共有することとなる。
 十歳のイザベラがプラッティと出会っていたこと、十年後に再会した二人の間に恋が芽生えたこと、その二点だけはマンシーニの創作だが、その二つのシーンはマンシーニ特有の精緻で耽美な筆致で克明に描かれている。
 その後、事故で二人の兄を同時に亡くし、イザベラは婿養子を取らざるを得なくなる。
 相手はポリーニ家の遠縁にあたり、政治、経済に通じていてアレサンドロが片腕と見込んで頼りにしていた二回りも年上のエンリコと言う男。
 跡取りを亡くして気落ちし、すっかりふさぎこんで腑抜けてしまったアレサンドロに代わってポリーニ家の舵取りを委ねるには必要な人物だったのだ。
 イザベラはその三十五年と言う短い生涯を通してエンリコを夫として、ポリーニ家当主として立て続け、彼との間に生まれた二人の息子を慈しみ、自らは変わらずに芸術の振興に寄与した。
 そしてプラッティと再び会うことはなく、肖像画も夫の目に触れことのないよう、自らの衣裳部屋の奥深くにしまい込んでしまった、。
 だが、エンリコは妻の気持ちが自分には向いていないことには気づいていた、妻が想い続けている相手が誰なのか、それが気になるのは当然のことだが、彼はイザベラと結婚したことを後悔などしていなかった、イザベラは婿養子の自分を常に事実上の当主として立て、夫としても大切にしてくれ、社交上の儀礼をそつなくこなし、二人の息子も成して愛情を注いで育ててくれた……政略的な結婚ではあったが、イザベラは妻としての役割を立派に果たしてくれたのだ。
 イザベラの死後、夫のエンリコはプラッティが描いた肖像画を見つけ、妻の想い人が誰であったのかを悟る、だが彼女が申し分のない妻であり続けてくれていたことに感謝し、その肖像画を二人の息子と一緒に大事に掲げた。
 そして物語は、エンリコが肖像画を掲げた部屋に鍵をかけるシーンで終わっている。
 
▽   ▽   ▽   ▽  ▽   ▽   ▽   ▽

「見事な作品でした、十五世紀イタリア貴族の生活も事細かに描かれていて非常にリアリティを感じました」
 最初に口を開いたのはジョーンズだった。
「ジョーンズさん、私をイタリア系だと知っていて選んでいただいたのだと思っていましたがな」
 マンシーニは笑顔で答えた、その点はかなり気を使って書いたところでもあるのだ。
「と言っても色々と調べましたし、専門家の協力も得ています、それでもイタリア系であることはやはり強みだったと思いますがな」
「ラストシーンは余韻が残りますな、そしてその絵が五百年の時を経て人々の目に触れるようになった……美術と文学の相乗効果が期待できるラストシーンです」
 フォークはやはり入場者数が気になっているようだが、小説の出来栄え、とりわけラストシーンには彼も満足したようだ。
「プラッティとのシーンが秀逸でしたよ、互いに惹かれ合っていても身分が違うのでどちらも恋心を打ち明けられない、肖像画を描くと言う動きの少ないシーンでそれを余すところなく描き出せるのはさすがだ」
 と、ホワイトヘッド。
 イザベラとプラッティが惹かれ合っていたのではないか? と言うのはジョーンズの推測に過ぎないが、初めて絵を見た瞬間にそれを感じた、そしてマンシーニやホワイトヘッドも写真を見た時に全く同じ印象を受けていた。
 そしてそれこそが小説版『イザベラ・ポリーニの肖像』のメインテーマだ、最初に話を持ち掛けた時、ジョーンズには二人の芸術家なら同じように感じてくれるはずだと確信を持っていたのだ。

「君が言ったように、非常に重要だが動きは少ないシーンだ、映画でそれを描き切れるだろうか? 君にならできるんじゃないかと願いながら書いたんだが……」
「確かに簡単な仕事ではないですよ、しかしそれをスクリーンに描き出すのは僕が一番うまくできると自負してる、それにもう主役の二人には目星がついてるんですよ」
「ほう……それは誰ですかな?」
 真っ先に訊いたのはフォークだったが、他の二人もそれが誰なのかを知りたい気持ちは同じだった。

 ホワイトヘッドの眼鏡に適ったうちの一人、プラッティ役の候補はライアン・スタイナー32歳、長く舞台俳優として演技力を磨き、一年ほど前にスクリーンデビューを果たしたばかりの男優だ。