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異時間同一次元

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 一場面程度を書こうとすると、二、三行で終わってしまう。しかし、本などでは、数ページ必要だったりする。本で数ページというと、原稿用紙でいえば、少なくとも五枚以上書かなければならないだろう。そう思うと、その時の自分の技量が小説を書くなどということに対してどれほそ無謀なことだったのかを、さらに思い知らされる結果になっていたのだ。
 小泉は、分量を最初に考えるのはいけないことではないかと思うようになっていた。
――とりあえず、思ったことを書き綴っていこう――
 と思った。
 頭に思い浮かぶことを書いていくと、どうしてもすぐに終わってしまう。自分の書いた小説と、プロの作品を読み直してみると、明らかに違うのだが最初は何が違うのかということすら分からなかった。
「そうか、描写がないんだ」
 ただ思い浮かんだことだけを書いていると、見えていることしか書くことができない。
 想像は具体的なことは何も写してくれない。たとえば色にしても、まったくついていないのだ。もしこれがミステリーだったとして、殺害現場での想像であったとしても、血の色は黒でしかない。
 だが、殺害現場を思い浮かべてみると、モノクロの方がリアルな感じがするのはなぜだろう?
 血の色は真っ黒なのだが、赤い色よりも気持ち悪さを感じる。
「そうだ。俺が好きだったミステリーは、明治から昭和初期の映像のない、あるいは、残っていたとしてもモノクロの時代のもののはずだ。小説を読んでいる時想像した風景は、まさにモノクロの世界。時代背景も違和感がなく、しかも想像がリアルだったこともあって、俺はミステリーに嵌ったんだ」
 ということを思い出していた。
 そう思うと、恋愛小説の場面もモノクロで書いてみようと思った。
 ただ、色は勝手な想像でつけていた。服の色や時間帯など、どうしても色が必要な場面があったからだ。
「そっか、描写ってそういうことなんだ」
 逆にモノクロを想像すると、色を表現することだったり、時間帯や登場人物の紹介であったりと、描写にはいくつもの種類があることに気が付いた。
 確かに、プロの書いた小説ではそのあたりが表現されている。
「分かっていたはずなのに」
 と思ったが、小泉は先を読み急ぐくせがあったので、描写に関しては適当に読んでいたようだ。
 それでも、ボリュームは感じていた。だからこそ、違和感もなく読みこめたのだ。自分の作品とを読み比べて、そんな基本的なことに気付かなかったのも自分の技量のなさだけではなく、それだけプロの作品に、読者をさりげなく引きこむ力があるかということを示していたのだ。
「俺にはここまでの作品は書けないな」
 と感じたが、別にプロになりたいわけでもなく、ただ趣味として時間を使いたいだけなので、別に問題はないと思われた。
 小泉はそれからほどなくして小説を書くことができるようになった。
 恋愛小説と言っても、学生の恋愛でしかない、
「子供の恋愛」
 だった。
 だが、小泉の頭には小説を読んで培われた、
「大人の小説」
 のノウハウのようなものがあった。
 それを混同してしまうと収拾が付かなくなるが、うまく組み合わせるような形で書けるようになった。そのうちに、それぞれの恋愛を登場人物を変えて描いてみたり、さらには同じ人物が時代を超えて恋愛を繰り返す形のものも描けるようになった。
 そして、今度はタイムスリップする話を書こうと思うようになった。恋愛小説に、SFを絡ませる形だが、今まで書いた小説の中には恋愛小説の中にミステリーを搦めるものもあったりして、却って恋愛だけの小説というのは、
「俺には書けないのかも知れないな」
 と思うようになっていた。
 中学時代の小泉は、学校の勉強もそっちのけで、小説に没頭するようになっていた。
 家族も小泉が勉強もせずに小説を書き続けていることを知らない。
「あんな家族になんか、知られたくない」
 そう思うようになって、自分が親と本当に違う性格であるということを自覚し、嬉しくなっていた。
 父親が何を考えて毎日を過ごしているのかなんて、知る由もなかった。もちろん、知りたいとは思わないし、そもそも話をしたいなどと思うはずもなかった。
 だが、父親の方は、小泉と話をしたいとずっと思っていたようだ。
 小泉は知らなかったが、父親の方では、小泉が自分と性格が似ていると感じていたようである。そのことを知ったのは、中学三年生の頃で、いきなりだった。
 小泉の学校は中高一貫教育だったので、高校入試はなかった。落第さえしなければ、普通に進級するのと同じで、高校に入学できる。それだけに高校生になったという自覚はあまりなく、校舎も同じなので、まったく実感が湧かないのだ。
 中学三年生の頃の小泉は、小説をそれなりに書けるようになったと思っていた。書く量も少しずつ増えていき、短編ばかりではあったが、この一年間で、百作品近くは書いていた。
「俺もこんなに書けるようになったんだ」
 と、自らを褒めてやりたかった。
 そんな気持ちになったのは、生まれて初めてだったと思う。勉強ができるようになった時の快感とは違うものだが、どちらが嬉しいかと聞かれると、
「喜びの次元が違う」
 としか答えようがなかっただろう。
 小説を書くようになってから、テレビドラマも気にして見るようになった。部屋に籠ってテレビを見るのは、ゲームをするのと違って目的のための手段としてのことなので、
「他の人とは違う」
 という自分の意識にそぐわないことはなかった。
 テレビドラマを見ていると、最初の頃は何でも見るようにしていたが、そのうちに見る者が偏ってくるのを感じた。
 恋愛モノでも愛欲関係はあまり見ないようになり、シリアスモノの中でもミステリー関係としては、警察関係モノは見ないが、検事や弁護士関係、あるいは探偵モノは見るようにしていた。
 同じミステリーでも、警察関係は組織という一括りをテーマにしたものが多く、検事、弁護士関係は、事件そのものや人間関係に重きを置いたものが多かった。探偵モノはその中でもコミカルなものも多く、さらにはトリックの斬新さがまだ中学生だった小泉の心を捉えたのだ。
「シリアスやドロドロした話よりも、コミカルだったり、人間模様を描いた作品が見ていて興味が湧く」
 と感じたのだ。
 実際に自分で描く小説も、シリアスな小説は書けないと思っていた。書いていて気持ちが重くなったりしてくると、先が書けなくなるからだった。それに比べてコミカルなものや人間関係を想像して描くと、少々自分の偏見が入っていたとしても十分に読むことができると考えたからだ。
 ドラマの中には学園ドラマもあった。
 最初は敬遠していたが、途中から見るようになった。
 敬遠していた理由は、
「そんなの理想論だ」
 と感じたからだ。
 学園モノというと、一人の教師が主人公で、学園がエリート養成学校のような厳しい校風だったり、先生がそんな学風の中で黙って従っている状況。そして、そんな先生たちこそ、個性が最悪な人たちだったりする。
 変態教師がいたり、暴力教師がいたり、
「長いものには巻かれる」
 という先生がいたりと、偏った先生が多い。
作品名:異時間同一次元 作家名:森本晃次