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異時間同一次元

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 という思いは、中学に入学してから感じることになった。
 しかし、実際に入学しているのだから、その思いは薄いものだった。そのことから、小学生時代に自分が勉強が嫌いだったということを忘れてしまっているかというほどの有頂天を味わっていたのだ。
 無事に入学した有名中学だったが、本当の挫折を味わうのはそこからだった。しかもその挫折は入学してからすぐに味わうことになる。
――こんな簡単なことにどうして今まで気付かなかったんだろう?
 と感じたほどのことで、陥ってしまうと後悔よりも、さらに強い思いが小泉を支配していた。
 小泉が入学した中学は、全国から受験生が集まってくるような進学校である。当然、最初から学力の水準はずば抜けている。
――俺こそ一番だ――
 と思っているやつが列挙して入学してくるのだ。
 ひょっとすると、学力的には小泉よりも優れている人が入試で落ちているのかも知れない。入試というのは一発勝負。その時の体調などによっても左右されたりするだろう。しかもテストに出題された問題がたまたま勉強を重点的にしていたところだっただけかも知れない。
 もし、これが大人になってからの仕事であれば、そういうすべての要因をひっくるめたところでの成績になるので、別に考える必要もないが、受験というのは運も結構左右したりする。そういう意味で、
――俺はついていただけなのか?
 という考えも成り立つのだった。
 入学してみると、今まで学校では自分が一番、しかもずば抜けているように自分でも感じていたし、学校の先生もそう言っておだてていた。もっとも、このおだてがあったからこそ入学できたと言えなくもない。何しろ小泉という男、自分で意識はしていないが、案外とおだてに弱いタイプであった。
 そんな小泉が入学してすぐに最初の学力テストがあった。
 さすがに小泉もまわりのレベルが今までとは違うことは分かっていたが、
――少なくとも中の上くらいだろう――
 と、思っていた。
 それも自分で謙遜してそう思っていたのだ。本当はもっと上だろうとすら感じていた。だが実際に試験を受けてみると、学年で二百人いるうちの百五十番以内にも入ることができていなかった。
 これはショックだった。
「何で」
 そう呟きたくなるのも当然のことである。
 成績をすべてだと思い、受験勉強を初めてから、何ら抵抗もなく無事に受験を合格で追えたことで、彼は自分の実力を、
――俺が感じている通りだと思えばいいんだ――
 と感じ、それが動かしがたいものだと信じていたにも関わらず、実際に蓋を開けると、ここまで想像とかけ離れていたことに困惑した。
 困惑はやがてパニックに変わり、次第に彼の体調に微妙に影響してきた。
 授業を受けていても、先生の声が急に聞こえなくなってきたり、過呼吸に陥てしまった自分を抑えることができなくなってしまったりしていた。
――どうすればいいんだ?
 小泉はそう考えると、先が見えなくなっていく自分を感じるようになっていった。
 そんな小泉だったが、友達に頼るようなことはしたくなかった。自分が父親の性格を引き継いでいることは、中学生になって痛感したからだ。
――俺は父親が人の言いなりになっているのを見て、その反発心から勉強した。そして念願の中学入試に成功し、さらに高いところに上がったつもりだったが、結局は高いところに上がっても、その水準が上がったために、俺の居場所は底辺になってしまった。このままいけば、父親のように上の人間の言いなりにされるばっかりだ――
 と考えた。
 今までの小学生時代よりもさらに高みを目指したことで行きついた先は、さらに上下関係のハッキリとした場所であり、上に行かなければ、その存在価値すらなくなってしまうように感じられたのだ。
 小泉は、またしても挫折を味わった。
 いや、小学生の頃は挫折ではなかった。あの頃は理解できなかっただけで、一つクリアできると、先が見えていた。しかし、今はまわりは自分よりも優秀な連中で、いくら自分が努力しても、彼らだって努力をするのだから、その差を埋めることはできないと思ったのだ。
 実際にそうだった。
「無駄かも知れないけど」
 と思い、一度は必死になって勉強し、望んだ試験だったが、結局は自分の成績も上がってはいたが、まわりがさらに上がっていたので、ランクからすれば下がったようなものだった。
 小泉は「西遊記」の話を思い出していた。
「俺がこの雲に乗っていけば、天竺なんて一っ跳びだ」
 という孫悟空に、お釈迦さまは黙って孫悟空のやりたいようにさせたが、実際には、孫悟空が、
「世界の果てまで行ってきた」
 と豪語し、自分の名前を記してきたと言った場所は、何とお釈迦様の指だったのだ。
 そう、孫悟空は、お釈迦様の手の平で遊ばれていたのだった。
 その話を思い出すと、
「どんなに努力しても、無駄なものは無駄なんだ」
 と思えてならなかった。
 本当はこの話は、奢れる人を戒める話なのだろうが、小泉はそうは取らなかった。つまりは人間なんて、同じ話を読んでも感じ方ひとつで、まったく違った解釈をしてしまうということだ。
 それは、考え方というよりも、自分の姿勢という方が正解かも知れない。姿勢が違えば、考え方もおのずと違ってくる。そのことをこの時の小泉は分かっていなかった。
 小泉はその頃から内に籠るようになっていた。人と話をすることもなく、学校が終わればすぐに家に帰って、部屋に引き籠っていた。
 ゲームをするわけではなく、ネットを見ては興味のあることを本屋で探して、読書する日々が続いていた。それは勉強の本ではなく、ただの興味だけで読む本だったので、ジャンルはバラバラだった。
 そのせいもあってか、本を読んでもその内容をあまり覚えていることはなく、ただ、興味のあることにだけ邁進するようになっていた。
「先のことなんか考えたって仕方がない」
 という思いからだった。
 最初の頃は実用書のようなものを読んでいた。小説を読んでみようという気になれなかったのは、
「どうせ、小説なんか読んだって、しょせんはフィクション、楽しいことを書いていたって、俺には関係のないことさ」
 という思いが強かったからだ。
 実用書といっても、自分に関係のあるようなことには興味がなかった。科学のことだったり、歴史のことだったり、自分に関係のないことに興味を持って、その本を読み漁った。科学の本は、爆弾だったり兵器だったりの本、歴史は戦国時代や、明治以降の激動の歴史に興味を持った。
――明らかに自分に関係のない話だ――
 という思いの元、本を読んでいた。
 ただ、本を読んで得た知識を、誰かに自慢することはできない。自慢できる友達がいないからだ。
 そのこともあって、せっかく読んで得た知識だったが、すぐに忘れてしまうのだ。覚えようという意識よりも、
「どんどん新しいことを発見したい」
 という意識の方が強いので、新しい本を読み漁ると思っていた。
 自分が読み漁った本が、自分の本棚に並ぶのが嬉しかった。
作品名:異時間同一次元 作家名:森本晃次