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異時間同一次元

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 などと言えるほど古い記憶になるのだろうか?
 確かに母親はここ十年の間にいろいろなことがあったようだ。
 勤めていた会社を辞めて専業主婦になり、育児や家事に追われる毎日だったはずなのに、早良が小学校の高学年に上がった頃、父親の浮気が発覚。それ以降の家庭は完全に変わってしまった。
 誰も何も口にすることはない。何を考えているのか分からない毎日を送っていた。遠慮というものがこれほど苦痛なことだとは知らなかった。早良が自分で遠慮だと思っていることも、本当に遠慮なのか、自分でもよく分かっていなかった。
 そもそも、遠慮って誰にするものなのだろう?
 母親に対して? それとも父親に?
 遠慮してほしいと思っているのはこっちの方だ。自分は何も悪いことをしているわけではないのに、大人の都合で神経をすり減らすかのような立場に追いやられるのは溜まったものではない。
 学校でも次第に無口になっていく。元々、喋る方ではないので、無口になっていっても、誰もその変化に気付かない。それはそれで悲しいものだ。
 だが、それでも早良には関係なかった。下手に慰めの言葉などを掛けられると、どんな気持ちになったことだろう。きっと自分に対して相手が優位性を示していることに気付いてしまうと、自分が惨めになるだけで、自分の存在が相手を引きたてるためだけにあるのだと思うと、これほど情けないものはないに違いない。
 小学生の早良にそこまで気付いていたとは思えないが、後になって思うと、そこまで考えてしまう。

                  道化師

 早良には自分を惨めにしようと思えば、いくらでも惨めな想像ができてしまうような気がした。最初はそれを自分の特技のように思っていたが、それは惨めということの本当の意味を分かっていなかったからだ。
 それは、
「本当は分かっているのだが、自分で認めたくないという思いから、無意識に分かっていないと感じていたのかも知れない」
 という思いに近いものがあったに違いない。
 早良にとって、小学生時代の、特に高学年の頃はそんな思いが結構強い時期であった。
 親の不仲が、家庭の不和が、そんな早良を形成して行ったのかも知れないが、早良としてはそれよりも、
――こんな性格だったから、あの頃に惨めな思いをあまりすることなく過ごせたのかも知れないな――
 と感じた。
 つまりは、最初に感じた遠慮というものが、自分に対しての惨めな思いを打ち消すための思いだったのだと考えれば、自分を納得させることができた。屁理屈なのかも知れないが、自分を納得させることのできる理屈には手放しで受け入れる感覚であった。
「俺は自分の性格を無意識のうちに封印することのできる性格だったのかも知れないな」
 と感じたそんな時、早良に新たな経験が待っていた。
 今になってよく思い出すサーカスのテントの前に佇んでいる自分。
 確かにサーカスを見に行ったという記憶もなければ、サーカスを見たいと感じた記憶もない。
 しかしなぜか、天幕の中で何が行われているのか、見たような気がした。それはテレビで見たサーカス番組の影響なのか、それとも、ドラマの中のサーカスシーンが印象に残っていたからなのか分からないが、
――影響を受けていたからだ――
 という思いが強かった。
 ただ、記憶の中で、天幕の下から中を覗き込んだという思いだけは残っていた。当然下からちょこっと見ただけなので、
「その内容がどのようなものであったのか?」
 ということや、
「こんな雰囲気だったんだ」
 というイメージの類など、分かるはずもなかった。
 だが、天幕の下から覗き込むという行為に興奮していたという意識は残っている。だからこそ、記憶として残っていたのだろうが、どうして天幕の下から覗いていたのかまでは想像の域を出ることはなかった。
「別に俺はサーカスを見たいという気持ちがあったわけではない」
 というのが前提としてあった。
 そして、家族もサーカスに興味があったわけではなく、もし子供が、
「ねえ、サーカス見に行こうよ」
 と言ってきたとしても、
「我慢しなさい。あんなもの面白くもなんともないわよ」
 と言われていたに違いないと思った。
 早良はその言葉を想像した時、少なからずムッとしてしまった自分を感じた。
――自分で勝手に想像しただけだということを棚に上げたとしても、面白くないということを決めつけられるのは、どうにも気が済まない――
 と思った。
 自分で決めたことなら納得がいくが、いくら親とはいえ、いや、親だからこそ、勝手に自分の意見を押し付けられるというのは、虫が好かなかったのだ。
「親が、親だというだけの理由で子供に自分の意見を押し付けるのは、どうしたものか?」
 という話を誰かから聞かされたことがあったが、
――うんうん、まったくその通りだ――
 と、言葉にはしなかったが、心の中でそう唱えていた。
 それを見ていた言い出しっぺのその人にはきっと早良の気持ちが分かったのだろう。それ以上何も言わずに、何度も頷いていたのだった。
「言葉にしなくたって、思いは伝わるものだなんてよく言われるけど、そんなの嘘っぱちだよな」
 と、小泉は早良にそう言った。
 早良も至極当然だと思い頷いたが、その言葉を聞いた時にも、このサーカスの光景を頭に描いていたのだった。
 サーカスの中を見たわけではないが、天幕の外にも実はサーカスの小道具が置かれていたりした。もちろん、中を覗くことはできないが、コンテナのような木箱がたくさん置かれているのを見るだけで、いかにもサーカス小屋の近くにいるという意識を持つことができたのだった。
 後ろから気配がして、驚いて振り向いた。
 そこには一瞬のけぞってしまいそうなインパクトを与える人が立っていた。
 けばけばしい色の衣装を身にまとい、顔には白塗りをしていて、髪の毛は黄色く、パーマでも当たっているかのように縮れていた。
 身体つきは、完全に痩せていた。ピチッとした衣装が身体にピタッと嵌っていて、そのせいもあって、痩せていると感じさせたのだ。
 背は結構高かったように思う。身長が高いだけではなく、足の長さもビックリするほどだった。
 何よりも気持ち悪く感じたのは、口元だった。
 何も言わないその人の口元は、耳の近くまで避けていて、まるでかつて話に聞いたことがあった、
「口裂け女」
 の印象を持たせた。
 口裂け女の存在は、どこで聞いたのか覚えていないが、確か学校の先生から聞いたような気がした。授業を受けていて、時々自分の若かった頃の話をするのが好きな先生で、そこで出てきた「口裂け女」の話、怪談話の類だったが、その時の先生は準備も万端で、資料も用意しての脱線だった。イメージ画を見た時に感じたのは、
「何か気持ち悪いんだけど、初めて見るはずなのに、以前にもどこかで見たような気がするな」
 というものだった。
 それが、小学生の頃に見たその人物だということに気付くまで、少し時間が掛かったのを覚えている。
 そこまで考えるまでにどれだけの時間が掛かったのだろう? 本人には結構な時間が掛かったという意識だったが、実際にはあっという間の瞬時だったに違いない。
作品名:異時間同一次元 作家名:森本晃次