異時間同一次元
だが、その時の納屋は冷たい風が吹いてくるような環境ではなかった。表は蒸し暑く、風もない空間に階段は掛けられている。
――汗を掻いていたから、冷たい風を感じたのかも知れないな――
と後で感じたが、冷静になって考えても他に何も思い出すことはできなかった。
その時にふと感じた生暖かい、いや、生臭い臭いがあった。魚や動物のような生臭さではない。どちらかというと、鉄分を含んだ熱を持っているかのような感覚だった。
――この思い、どこかで――
と感じたが、その時が初めてだったのは間違いない。
ではどうしてそう思ったのかというと、それ以降でも同じような感覚に陥ることのあった早良には、この思いが頭の中でループしていることに気付いていた。
「ふとしたことで、思い出してしまうんだ」
そんな言葉がピッタリであり、この時の臭いが、幼い頃からの早良にとってのトラウマとなってしまっていた。
その生臭い臭いは、早良の口の中からしてくるようだった。それからその臭いを最初に感じた時、いつも反射的に感じる口の中の臭い。やはり、間違いないようで、それまで掻いていなかったはずの汗を感じると、あの時のような頬に当たる冷たい風を感じたのだった。
その時、目を閉じてしまったのだが、目を開けると、急に別の人の顔が目の前にあり、その人の顔に見覚えがなかったことを自覚していた。そして感じたのは、その人の顔がえげつなく歪んだ唇を見せたことへの恐ろしさだった。
歪んだ唇から、異様な臭いが漏れてきた。
――これは――
そう、さっきまで自分の口の中に感じていた鉄分を含んだ気持ち悪い臭いだった。すると、その人の歪んだ唇の端から、真っ赤なドロッとしたものが溢れてくるのが見えた。
――血だ――
その時、幼稚園生の早良にそこまで理解できたのかは分からないが、血だと思った次の瞬間に、モノクロに景色が変わってしまった。
これも後から感じたことだが、
「血だと思った瞬間、恐ろしさから、真っ赤な色を否定したいという思いが頭を過ぎったのかも知れない」
という思いだった。
そう思うと、交通事故を目撃した時にモノクロに感じたあの感覚は、飛び散った鮮血を見て、
「あれを真っ赤な血だと認めたくない」
という思いが頭を過ぎったのではないかと感じた。
だが、よく考えてみると、真っ赤な鮮血よりも、モノクロのどす黒いドロドロとした液体の方がリアルな感じがして気持ち悪い。
「目の前に写る現実の世界が、本当の世界だと誰が言えるのだろう?」
と、早良は考えた。
リアル過ぎない方が気持ち悪いこともあると思えた。真っ赤な血よりもモノクロの血の方が早良にはリアルだった。それはきっと、一番最初に感じた血を見た時、思わずモノクロに感じたことで、自分がリアルと否定したいと思ったからだと感じていたが、実際は逆だった。
リアルさを求めるよりも、それを否定しようとして想像した方が、リアルな創造物となってしまい、余計にドロドロとした恐怖を、自分に植え付けてしまうのだろう。
目の前で飛び散った血に色がなければ、立体感も感じられない。ただ、そこにあるものが何であるか、分かっているにも関わらず、その微妙な色の違いにも気付かない。いや、気付かないように自分で仕向けているのだ。それが余計な恐怖を煽ると、自分で分かっていないのだろうか。それが早良にとっての特徴であり、短所なのかどうなのか、分かりかねるところであった。
早良はその時の記憶を、普段はまったく意識していない。それなのに、いきなり意識してしまうことがある。
それも時々起こることであるが、定期的というわけではない。
ある瞬間に感じるものなのだろうが、その共通性をいまだに知ることはできない。
「今分からないんだから、きっとずっと分かるわけもないよな」
と、自分に言い聞かせてみた。
その返事を言い聞かせた自分がしてくれるわけもない。本当に言い聞かせる相手である自分がいるのかどうかも分からないのだ。
交通事故の目撃と、幼稚園の時に感じた血の臭い。幼稚園の時に血の臭いを感じた時、友達が階段から落ちたらしかった。
早良は自分もその時、気を失ってしまったことで、その後の騒動をまったく知らなかった。どうやら救急車がやってきて、病院に担ぎ込まれたらしかった。大したケガではなかったので数日間の入院で済んだようだが、その時の修羅場のような事態を、気を失いながらも遠い意識の中で分かっていたかのように思う。
その証拠に、救急車のサイレンを感じた時、またしてもあの血の臭いが感じられてしまう。
――こんな思い、俺だけなんだろうな――
と思っていたら、どうやらそうでもないことが分かった。
誰もが自分の中だけに抱えていることというのは、えてして話をしてみると、共感できることが多いのかも知れない。それまでは、
――誰にも知られたくない思い――
と感じていたものが、ひとたびまわりに知られると、
「もっと早く共有したい気持ちだったな」
と言って、お互いの気持ちを開放させることへの喜びが生まれてくるのだということに気付くというものだった。
だが、交通事故の時の記憶はさておき、幼稚園の頃に味わった先生の家に遊びに行って、納屋でケガをした友達がいたという記憶は、本当に自分の記憶だったのかと、年齢を重ねるごとに強く感じるようになっていた。
年齢は重ねるもので、減っていくものではないので、明らかに記憶からは遠ざかっていて、薄れていくものであることに違いない。それなのに、急に鮮明に思い出してみたり、思い出したはいいが、肝心な何かが抜けているように感じたりするのは、明らかに何かの力が導いていることのように思えて仕方がなかった。
「あれは、本当に俺の記憶なんだろうか?」
と、早良は次第に記憶自体への疑問を感じるようになった。
だが、その鮮明さは記憶に間違いはないと思わせる、だとすると、記憶を持っているのが本当は自分ではないと考えることも無理のないことのように感じられた。
早良は、その時に自分がケガをしたという意識はない。しかし、その時の納屋の記憶がよみがえってきた時、なぜか顎の下がヒリヒリして、痛みを感じるのだった。
「なぜなんだろう?」
どちらかが本当のことなのだろうが、記憶だけでは判断できない。その時のことを知っている人は早良のまわりにはすでにいなくなっていた。
その頃のことを知っているとすれば、それは母親ではないだろうか。幼稚園の先生も、その時に一緒にいた人も、すでに早良のまわりにはいない。先生の家に一緒に遊びに行った友達が誰だったのかということすら、分からなくなっていた。
その時のことを唯一知っていると思われる母親に一度聞いてみたことがあったが、
「もう忘れたわよ。一体いつのことを言ってるの?」
と、相当昔の記憶を呼び起こさせようとしているかのように聞こえた。
早良くらいの年齢であれば、幼少の頃の記憶というと、かなり前のことになるのだろうが、実際には早良が訊ねたのは中学の頃、まだ十年も経っていないくらいの頃のことなので、大人にとって、そんなに簡単に忘れてしまって、
「いつのことなのよ?」