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異時間同一次元

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「どちらかが変わっているという言い方をするんだったら、むしろ、二人とも変わっていると言った方がいいように思うんだ。元々モノクロに見えるということをお互いに誰にも話をしたことがないのは、自分の中でその経験が他の人にはない変わった経験であるということを意識していたからなんじゃないか?」
 と小泉は言った。
「小泉くんは、自分が変わっているという自覚はあったのかい?」
「俺にはなかったよ。でも、他の人も同じような経験をすることはないだろうと思ったんだ」
「でも、俺も君と同じ経験をしているだろう?」
「そうじゃない。一言でモノクロに見えるというだけで、お互いにどのような状況で見たのかって話をしているわけではないだろう?」
「確かにそうだ」
「いつ、どこで、何時頃、どんな状況で、お互いにいくつくらいの時、そして、その予感があったのかなかったのか……。もっと上げればたくさんあるかも知れないけど、その時の状況が少しでも違えば、同じ経験だとは言わないんじゃないかって俺は思うんだけど、違うかい?」
 と小泉に言われて、
「確かに」
 としか言えなかったのは、小泉の言い分には一理あり、正論だとは思うが、どこかしっくりと自分の中で受け入れて消化できる気がしなかった。
「どうやら、しっくりと来ていないようだね」
 と小泉に看破されたが、
「そこまで厳密に考える必要があるのかな?」
 早良が小泉を気に入ったのは、あまり細かいところを気にしないところがあることも理由の一つだったので、そんな小泉の言葉とは思えない内容が、その口から語られたことに納得がいかなかったのだ。
「厳密ではないんだよ。俺の言っていることは正論のように感じているから厳密に思えるんじゃないかな? 俺はそんなに細かい人間ではないことは君が一番よく分かってくれていると思ったんだけどな」
「じゃあ、どういうことなんだい?」
「感じ方は人それぞれ、厳密という意味ではなく、自由な発想だって思ってほしかったんだけど、少ししつこかったかな?」
 と言われて、
「いや、それならいいんだ。俺の方こそ少し意固地になりかけていたのかも知れないな」
 と早良は苦笑いをした。
 この時の苦笑いは、自分の非を認める時の苦笑いではない。どちらかというと照れ隠しの時に使う苦笑いだった。小泉はそんな早良を見てニッコリと笑ったので、どうやら早良の気持ちが分かっているようだった。
「ところで、君がモノクロに見えたその時というのは?」
 と聞かれたので、いよいよ交通事故を目撃した小さい頃のことを話し始めた。
「そっか、記憶は薄いものだったんだ」
 小泉は、早良の話を聞いて、早良が何を言いたいのかが分かったかのように、記憶の話を始めた。
 その頃の早良にはまだ交通事故の記憶はうっすらと残っていた。しばらくしてから、
「交通事故を見た」
 という記憶はあるのだが、人に話ができるほどの記憶が残っているわけではなくなっていた。
「記憶は薄いんだけど、印象の深さは大きなもので、結構なショックだったと思うんだ。インスピレーションのすごさとでも言えばいいかな?」
 と早良はいうと、
「でも、そのせいで君はモノクロに見えるようになったって思っているんだろう? それは記憶よりも意識の方を表に出そうとしている表れなんじゃないかな?」
 と小泉が言った。
「記憶よりも意識?」
「ああ、人によっては、意識よりも記憶を大切にしようと思っている人もいる。君とは逆の感覚でね」
「それは忘れたくないからということ? ということは逆に言えば、忘れっぽい性格なので、忘れたくないことを必死で覚えておこうという意識が強すぎるということかな?」
 と言って、早良は苦笑した。
――記憶しておきたいというのは、意識の表れだよな――
 と感じたからだ。
 それは、まるで禅問答のようで、考えが堂々巡りを繰り返してしまいそうな要素を含んでいるような気がして、早良は苦笑したのだった。
 小泉はその気持ちを知ってか知らずか、敢えてそのことに触れようとしなかったのか、話を続けた。
「忘れたくないという記憶がすべてじゃないからね。忘れたいと思っていることも、えてして忘れられないものだったりするんだよ」
 と、小泉は冷静に答えた。
 その時の交通事故のイメージを思い出すと、今度は別の記憶がよみがえってくる。
 あれはもっと昔のこと、小学校に上がる前だったか、意識として残っているのは、幼稚園の先生の家に遊びに行った時という思いだった。
 先生の家は旧家であり、大きな庭には蔵があったり、奥には広い田畑が広がっていた。その場所を覚えてはいるが、きっと今見ると、
「もっと大きかったような気がするな」
 と感じることだろう。
 実際に小学生の頃というと、低学年の頃に見たものを五年生くらいになって久しぶりに見ただけで、
「こんなに小さかったんだ」
 と感じるほどだった。
 その思いは最初に感じるもので、時間が経ってから感じるものではなかった。一種の直感のようなものだったに違いない。
 果たして幼稚園の頃の記憶なのだが、低学年の頃の記憶よりも近いように感じられるのはなぜだろう?
 とっさに思い出したからなのだろうか?
 そう思うと、人間の記憶って曖昧なように見えて、実は緻密なものなのではないかと感じられるようになっていた。
 まだ幼稚園生だった自分には、そんな大きな家というのは想定外で、まるで遊園地にでも来たような意識だったのかも知れない。
 しかし、後になって考えてみると、実際には今の自分が意識できるくらいの大きさだったように感じたと思えてならない。小さく感じたり大きく感じたりできるのは、あくまでも自分の想定内ことであり、想定外のことには対応できず、見た目そのままが実際の大きさだったと言われると、納得してしまう自分がいるのだった。
 母屋は新築だったようで、綺麗な洋風の建物だった。まるで先生が静養のお城に住んでいるお姫様のように感じられたのは、後になって思い出したからなのだろうが、家の大きさと先生の雰囲気に違和感がなかったということは、その頃から先生の中にある雰囲気を感じていたに違いない。
 ただ、母屋以外はというと、昔からの旧家のイメージそのままだった。舗装されていない中央部分は、昨日降った雨の後がクッキリと残っていて、タイヤの大きな溝がそのまま地面に残っていた。
「確かに納屋で遊んだ記憶はあるんだ」
 思い出しながら、早良は納屋の様子を思い出していた。納屋は思ったよりも明るく、開けっぱなされた至るところから、風が吹き込んでくるのを感じた。同時に異様な臭いも残っていて、
「牛の声でもしてくるんじゃないか?」
 と思ったのを覚えていた。
 普段から、誰もが覚えているようなことを覚えられないくせに、たまに思い出すことはなぜかハッキリと覚えていることが多い、たまに思い出すから覚えているのかも知れない。たまに思い出すということは、思い出したいという確固たる意識が存在しているからではないだろうか。そう思うと、先生の顔が思い出せないのが不思議だったが、相手が先生だったということはしっかりと覚えている。先生の顔を忘れてしまいたいという思いがあったのだろうか?
作品名:異時間同一次元 作家名:森本晃次