異時間同一次元
だが、それは早良の勝手な思い込みだった。自分が記憶できないことを正当化させようとする理屈に損得勘定を入れこんだのは、あまりにもこじつけであることは分かっていたような気がする。その証拠にこの考えを誰にも話す気もなかったし、話したところで、
「一蹴されるに違いない」
と分かっていたことだろう。
だが実際に記憶として鮮明に覚えていなければいけないはずのことすら、まったく記憶の片隅にすらないこともたくさんあった。
「お前、あんなに衝撃的だったことなのに、覚えていないのか?」
と、ショッキングなことに一緒に出くわした人からはそう言われて、呆れられることも少なくなかった。
特に早良をビックリさせたのは、小学生の頃、一緒に帰っていた友達とちょうど学校の近くの国道で大事故を目撃した時のことだった。
「ガッシャン」
遠くで大きな音がした。
そしてそのすぐ後に、
「プッシュ―ッ」
という糸を引くような音がしてきた。
これが猛スピードで金属が衝突した時の音であることをその時に分かっていたような気はしたが、とにかく音の激しさに、身体がすくんでしまって、金縛りに遭ったかのような気持ちになった。
「おいおい、車の正面衝突らしいぞ」
という声がまわりから聞こえてきた。
その頃には実際に音が鳴った時から少し時間が経っていて、少し止まってしまった時間が動き出してからも少し経っていたようだった。だが、金縛りに遭ってしまった早良は、まるで一瞬前に響いた音であるかのように耳の奥に響いている金属音が、ずっと耳に残って離れない。
野次馬がどんどん増えてきて、放心状態の早良と友達の横を、何人もが通りすぎて行った。
我に返って、早良と友達がやっとの思いで身体を動かして事故現場に着いた時、何重にも重なった人の壁があったが、子供ゆえに足元からすり抜けて一番先頭にやってくると、そこには惨憺たる情景が目の前に飛び込んできた。
原型をとどめていない車、そして、車の正面から立ち上る煙、周囲には異様な臭いが立ち込めていたが、それがどうやらエンジンから漏れ出したガソリンであるということを知ったのは、後になってからのことだった。
「何だ、これは」
初めて見る惨憺たる光景に、どこからこんなに集まってきたのかと思えるほどの野次馬がまわりを占拠していた。
早良は座りこんだまま前にも進めず、ずっと様子を眺めていたが、しばらくすると、
「ウーウー」
という音に混じり、
「ピーポーパーポー」
という二種類の音が確認できた。
その頃まで救急車とパトカーのサイレンの微妙な違いを考えたこともなかったのでどちらがパトカーなのか分からなかったが、一緒に聞こえてきたことで、その状況がさらにただ事ではないことが分かった。
野次馬の声が幾重にも重なり、何を言っているのか分からない。いわゆる「騒々しい」という状況なのだろうが、そんな状況、それまでにも何度も経験したことはあったはずだ。
それなのに、声が幾重にも重なって聞き取りにくい状況を、
――こんなの初めてだ――
と感じた。
そして、その後にも同じような騒々しさは何度も経験しているが、あの時ほど騒々しさを意識したことはなかった。それは、まるで騒々しさというのが自然現象であるかのようで、毎日でも味わっているかのようにまったく違和感なく受け入れることができていたことだ。
本当であれば、そっちの方がおかしな感情のはずなのに、騒々しさに違和感を覚えたあの時だけがおかしな状況だったなどと思っている自分が不思議だった。
ただ、そんな感情を思い出すことはなかった。
――いや、あの後に一度だけあったような気がしているんだが、いつのことだったのか、すっかり分からない――
と感じていた。
しかし、この時の分からないという感覚は、
「忘れてしまった」
という感覚で、
「覚えていない」
という普段から感じている思いとは違うものだった。
忘れてしまったという感覚は覚えていないという感覚に比べると、明らかに少なかった。覚えていないという感覚ほど曖昧なものはないにも関わらず多いということは、本当に記憶がどこかに飛んでしまったということを表しているのだろう。
早良は、
「俺は時々目の前が急にモノクロになってしまうことがあるんだ」
と、小泉に話した。
それまでにも何度もあったことなのに、小泉以外の誰にも話しをしたことがなかったのは、それだけ心を寄せることのできる友達がまわりにいなかったからだろう。
早良は思う。
――人生のうちで、どれだけ心を寄せることができると思う相手に巡り合えることができるのだろう?
しかし、出会うことができる前に、出会うことができる機会がなければ、それも成立しない。大学に入学してたまたま小泉と知り合ったから、その機会に恵まれたのだろうが、知り合う機会がなければ、それも叶わなかったはずである。
また、心を寄せることができると思った相手に知り合う機会があったとしても、本当にその人が自分の期待に適っている相手なのかどうか、その見極めも難しいところだ。本人はそのつもりでも相手がそのつもりでなければ、
「知り合わなければよかった」
と却って後悔してしまう結果にならないとも限らない。
それを思うと、
「人の一生で出会うタイミングなど星の数ほどあるのに、その中から本当に知り合いたいと思える人に出会えるのは、それこそ砂丘で宝石を見つけるようなものなんだろうな」
と感じた。
小泉と出会えたのを、
「たまたま」
と簡単に口にしたが、本来であればそんなに簡単に口にできる言葉ではなかろう。
しかし、早良はそれを簡単に口にする。
「それだけ小泉との出会いはセンセーショナルなもので、たまたまなんて言葉では片づけられないのを分かっていて、簡単に使えるというのも、相手が小泉だからだ」
と考えていた。
そんな小泉なので、自分が真剣に話したことを一蹴されたり、上の空で聞かれたりするとショックも大きいだろうと思っていた。小泉という男は、早良が思っていたように、自分の話を一蹴したり、上の空で聞くことのない男だった。だから、
「そんなショックを感じることもないだろう」
と思っていたが、早良がモノクロの話をした時、小泉はどこか上の空だった。
――あれ?
早良は少し動揺したが、なぜかショックではなかった。上の空ではあるが、一蹴することはなく、小泉は小泉で何かを考えているように思えたのだ。
二人の間の溝を感じた瞬間だったが。不思議と寂しさやショックはなかった。それまで何もなかったのが不思議なくらいで、今までになかった小泉を見ることができたと思い、それはそれで新鮮な気がしたくらいだった。
だが、それも最初だけで、
「そっか、モノクロに見えるんだ。実は俺も同じような経験をしたことがあったので、その時のことを思い出していたんだけど、きっとそれは君が感じたモノクロのイメージとは違っていると思うんだ」
と小泉は言った。
「それは、どちらかが変わっているということになるのかな?」
と聞くと、