異時間同一次元
小さい頃ならまだしも、小説を書くようになった中学時代の小泉には、その矛盾がハッキリと分かった。しかし、
「小さい頃にその矛盾を感じたから、今になってからでもその矛盾を感じることができるのであって、小さい頃に矛盾に気付かなかった人は、大人になったからといって、本当に矛盾に気付けるのか、不思議なものだ」
と感じていた。
小泉にとって、この矛盾は誰にでも気付くことのできるものに感じられるが、まったく疑問に感じない人は、いつまでたっても気づけるはずはないと思っていた。
それは、考えが一直線であるからであって、ちょっとでも隣の筋の考え方を見る余裕があれば、すぐに気付けることである。しかし、真っ直ぐにしか前を見ることができなければ疑問などありえないだろう。
ただここでの真っ直ぐというのは、あくまでも自分に対して真っ直ぐという意味で、生き方全体に対してまっすぐでいるというわけではない。生き方全体に対して真っ直ぐな人間というのは、実に希少価値であり、必ずどこかで挫折して、真っ直ぐには生きられないことを悟るはずだからである。
自分に対してまっすぐな人間ほど、生き方に対して真っ直ぐではいられない。それは逆も言えることで、生き方にまっすぐな人は、自分に対して真っ直ぐではいられないということを示しているだろう。
そのことを考えていると、生き方と自分に対しての姿勢と同じ人は誰もいないように思えた。すべてが対称であり、それはまるで自分の姿を左右対称に映し出す鏡のようではないか。
のっぺらぼうを感じるということは、その左右対称を意識することであり、ひいては鏡に写る自分を意識するということである。だから、鏡に写る自分を想像した時、
「目と鼻と口がなかったら、どうしよう」
と思うのも、無理もないことであるに違いない。
のっぺらぼうを意識していないつもりでも意識するのは、
「のっぺらぼうというものを想像できているはずなのに、実際には想像を絶するものがのっぺらぼうである」
という、まるで禅問答のような発想から来るものではないだろうか。
だから意識していないつもりでも意識していると思わせる。
その感覚があるからこそ、小説も書けるようになったのかも知れない。
自分の中で意識していないと思っていることを意識していたり、意識していると思っていることを意外に意識していなかったりと、その現象を考えることで、小説のネタが少しずつ剥がれ落ちてくるのを感じさせるのだろう。
小説を書けるようになった小泉は、自分でも不思議なくらい、まわりを見ることができるようになった気がした。だが、それはあくまでも自分中心の発想であり、自分に関わりのないものは、相変わらず見えてこない。
狭い範囲での発想こそが小泉の小説の根底にあるもの。だが、それは小泉にだけ言えることではなく、誰もが感じていることではないかと思うようになっていた。
「小説家なんて、プロでもアマチュアでも、自己中心的でなければ書くことなんかできないんだ」
と思った。
つまりは、小説というのは、自分を中心にした人間物語だからである。
「だから、フィクションばかりを小説のように感じるんだろうか?」
自分中心であって、ノンフィクションであれば、もはや小説ではなく、ただのドキュメンタリーであり、それを小泉は自らが書きたいと思っているものではない。何もないところから新しいものを作り出す発想。それが小泉の小説なのだ。
さらに小泉を悩ませている理由の一つにある、
「人の顔を覚えられない」
という心の中のわだかまり、
「それこそ、のっぺらぼうの発想」
と、小泉は感じていた……。
早良氏
小泉に声を掛けられ、のっぺらぼうのことを聞かれた早良だったが、彼は彼で、子供の頃からのトラウマのようなものを引きづっていた。
早良は子供の頃、近くの公園に大きなテントが立ち、そこでサーカスが行われたことを今でも覚えていた。
人の顔を覚えられないという致命的な欠点を持っている小泉と違い、早良には実際の記憶が断片しか残っていないという、これも致命的な欠点があった。
「どっちの欠点がより致命的なのか?」
と、聞かれても、一概には一言で言い表せっることではない。
二人の性格、育ってきた環境、そして時代背景。それぞれが多様に絡んでくるからだった。
早良は子供の頃の記憶を、小泉ほどハッキリと覚えていない。理由はハッキリと分からないが、一つ言えることは、
「俺の記憶の小さい頃というのは、何十年も前の時代だったような気がするんだ」
というものだった。
小泉や早良の小さい頃の記憶といえば、今から十数年前くらいのものなので、少なくとも二十一世紀には入っていたはずだ。しかし、早良の記憶というと、まるで昭和後半くらいの意識が強く、時代背景としては、高度成長時代の終わり頃に近いものだったようである。
「それって、父親の持っている記憶くらいなんじゃないか?」
と言われると、
「確かにそうかも知れない。俺の親父は五十歳前後なので、高度成長の終わり頃にちょうど、親父が小さかった頃になるんじゃないかな?」
小泉もそう言われて、早良と一緒にい頷いた。
早良は小泉と同じで、ミステリーを読むのが好きだった。早良の読むミステリーは、最初こそ小泉と同じように戦前から戦後にかけてのものが多かったが、途中から社会派小説を読むようになった。
ちょうど時代が高度成長時代から、一段落して公害問題や貧富の格差が問題になってきた時代をターゲットにした小説が多かった。時代にして、昭和五十年代前半、今から三十数年前といったところであろうか。
早良が小さい頃の記憶が薄いため、小説を読むことで、その時代がまるで自分の過去だったような錯覚に陥るというもの仕方のないことなのかも知れない。近くに大きな公園があったというのも、そこに大きなテントがあったというのも、実際の自分の記憶なのか怪しいものだった。
だが、そのテントに入ったという記憶もないのに、テントの中で何を見たのかということだけは、なぜか鮮明な記憶の中にあった。
「あれは、確かにサーカスだった」
生まれて初めて見たサーカス。
いや、後にも先にもサーカスなど見たのは、あの時だけだった。早良はサーカスが好きだというわけではない。むしろ興味があるわけでもない。他の子供のように無邪気に楽しめたわけもないのだが、もし楽しめたように見えたのだとすると、それは晃かな演技だったはずだ。
演技をするというのは、早良にとってはこの上ない苦痛であった。楽しくもないのに楽しいふりをする。一体誰のために、そして、何のためにである。
そんなふりをしてまで自分に何の得があるというのだろうか? 損得のみで行動するわけではないのだろうが、損得勘定が記憶の中で一番鮮明に残るはずである。
損得勘定は記憶の中に残っていない。それを思うと、
「記憶を司る意識は、損得勘定なくして存在しえないものなのかも知れない」
とまで感じたほどだ。