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異時間同一次元

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 前の作品を書いている時には、次作について考えることはできなかった。それはまるで、両手で別々のことができないことで、音楽ができないと思った小学生高学年の頃を思い出させた。
 小泉は、小学生の頃には、他の芸術に対しても、
「何かできればいいな」
 と漠然と考えていたが、それを無理だと悟ったのは、小学三年生の頃だった。
 音楽をしてみても、絵を描いてみても、どうも自分の思うようにはいかない。
「センスがないというべきか、それともそれ以前のセンスを引き出す才能がないということなのか」
 と考えてみた。
 音楽ができない理由としては、やはり左右で別々のことができないことが一番だった。
 ピアノにしてもギターにしても、左右の手で別々のことができないとうまく演奏することができない。それを自覚したことで自分が音楽には向かないことを自覚したのだった。
 小さい頃、家族で東北地方に旅行した時、すでに冬だったこともあって、宿のまわりには雪が積もっていた。雪など見たこともなかった小泉は、当然のようにはしゃいでいた。家族もはしゃぐ小泉を諫めるようなことをするわけではなく、小泉はノビノビと雪原を駆け回った。
 駆け回ったと言っても、小さな子供なので行動範囲は実に限られたもの。大人の目の届く範囲でしか遊ぶことができないというのも、大人を安心させる理由でもあった。
 初めて触った雪は、最初、冷たいとは感じなかった。
――雪って冷たいって聞いていたのに――
 と、少し拍子抜けした小泉だったが、少ししてから、指先から痺れてきたのを感じた。
 痺れは指先だけで、すぐに手の平の感覚がなくなってくるのを感じ、
――何だ、この感覚は?
 と子供心に声に出せない驚きで戸惑ってしまった。
 冷たいと思っていた雪がそれほど冷たいわけではないと思った時、小泉は雪を手の平ですくって、オムスビを作るかのように手の平でこね始めたのだ。
 こね始めて数回で、指先の痺れと手の平の感覚がなくなるという段階的なことが自分に起こった。その間、少し時間があったかのように最初は思ったが、実際にはあっという間のことだった。
「どういうことなんだ?」
 両の手の平を目で交互に眺め、さっきまで大きかった真っ白な雪が次第に小さくなっていくのを感じた。
 手の平は真っ赤になっていて、指と指の間から、水が零れていくのを感じた。
 零れる水は、言わずと知れた溶けた雪であり、真っ赤になっている手の平は、雪の冷たさによるものであることくらいまでは、子供の小泉にも理解できた。
 小泉が雪を丸めたかったのは、雪合戦のように丸い球を作って、どこでもいいから投げたかったのだ。
「どうしてそんな気分になったのだろう?」
 と後から思い出しても、その時の心境を計り知ることはできなかったが、とにかく道も分からないような雪原状態の中、とにかく何か一石を投じたかったというのが本音だったのかも知れない。
 そんなに遠くに投げられるわけもなく、何しろ雪原状態ということもあり、目の前に見えている木々までがどれくらいの距離なのかも見当がつかない。
「見当がつかない」
 ということが分かっただけでも、今から思い返してもすごいことではないかと思う小泉だったが、
「きっと自分が感じているよりも遠かったんだろうな」
 という印象が頭の中に残っていた。
 小泉は実際に雪を投げることはできなかった。一つ作ろうとしただけで、すぐに溶けてしまったからで、再度作ろうと思っても、今度は指が痺れてしまって、思うように作ることができない。
 それでも自分の中の想像で雪のつぶてを作り上げ、放り投げている姿を想像していた。
 やはり遠くまで投げることはできない。放物線を描いて、破裂するように雪原に落下したかと思うと、どこに落下したのかすぐに分からなくなるくらい、真っ白な中に溶け込んでしまっていた。
「なんだ、結局、自分の手の平の上に乗っていたとしても、投げたとしても、結局は消えてなくなる運命だったんだ」
 と感じたが、
「なんだ」
 と言いながらも、その気持ちはどこか寂しさを残し、気持ちをどこに持って行っていいか分からない言い知れぬ思いに駆られていた。
 手の平の感覚は次第に戻ってくるようだった。すでに雪原への興味が薄れてしまっていた小泉には、もう二度と雪のつぶてを作ろうという気持ちにはならなかった。
 だが、この時の気持ちだけが、心のどこかに引っかかっていたのだろう。小学三年生の時に、ピアノを弾いてみて、左右でまったく違った動きをすることができないことを思い知らされた自分が思い出したのは、なぜかその時のことだったのだ。
 小泉は左右で別々のことができないことにショックを覚えたが、この時も雪原の時のように我に返った時には、音楽に対しての興味は失せていた。
「俺って、こんなにも諦めが早かったんだ」
 と思い知らされたが、だからと言って、ショックだという印象はない。
「ふーん、そうだったんだ」
 という程度のもので、諦めが早いことがいいことなのか悪いことなのか分かるはずもなく、それ以前に、
「いい悪いという感覚とは次元が違っている」
 という印象を持った。
 小泉が音楽への興味が潰えたのは、その時だった。
 絵に関してはどうだろう?
 絵画を描こうと思ったのは、音楽がダメだと感じてから後のことだったように覚えている。
 かといって、さほど時間が経ってからのことではなかったようにも思うので、半年も経っていなかったことだろう。
 どうして絵を描こうと思ったのか、ハッキリとは自分でも覚えていない。何か気になる絵があり、そんな絵を描きたいと感じたわけでもなかったので、漠然とした理由だったのではないだろうか。
 小泉は絵を書き始めてから、自分位は才能がないことをすぐに悟ったが、音楽の時のようにすぐに止めてしまおうとは思わなかった。
――ひょっとしたら、うまくなれるかも知れない――
 という思いがあった。
 それは誰にも言っていないことであり、小泉自身も自分の中のすべてに知られたくないという不思議な感覚にあった。
 絵を描くためにはどうすればいいか、小泉はこの時、実際に本を読んでみた。
 学校の図書館で、絵を描くための本があったので、それを開いて読んでみた。読んでみるとさすがに難しく、途中で挫折したが、ところどころ気になるところがあったようだ。
 挫折してからすぐには、
「全部忘れちゃったようだ」
 と感じたが、実際に絵を描いてみると、思ったように描けなかった。
 その時に思い出したのが、絵を描くための本に書かれていた内容だったのだが、
――ああ、あの時に読んだ内容は、今の心境を示しているんだな――
 と感じるところがいくつかあった。
 それを自分では、
――読んでいた内容の本を思い出した――
 とは思っていない。
 確かに読んでいた本の内容を思い出したに違いないのだが、それは理解できなかったことに共感したという意味であり、思い出したという表現は、適切ではないと思うようになっていた。
 まず最初に感じたのは、
「絵を描く時、最初にどこから書き始めるか?」
 ということだった。
作品名:異時間同一次元 作家名:森本晃次