異時間同一次元
確かに自分よりも上の人はほとんどいなかった。いたとしても、彼らは自分から上だとはまわりに言わないだろう。自分の気配を消すかのようにひっそりと佇んでいて、虎視眈々と獲物を狙っているかのようなイメージだ。それは小泉も同じことで、小泉自身にしか自分のことは分からないと思っているからこそ、彼らの雰囲気を察することはできても、何を考えているかなど、想像するだけ無駄なことは分かっていた。
それだけに、彼らと競争するということは最初からしない。元々目標が違っているのだから、競争心を抱くこと自体無駄なのだ。だから、学校で競争相手がいるとすれば、それは自分よりも下の連中であり、競争相手にもならないと思っていたのだ。
しかし、今度は選ばれた人間が集まってくる場所だ。そんなことは最初から分かっていたはずなのに、実際に入ってみると、
――俺もあんな感じなのか?
と、自分を客観的に見ることが多かった小泉には、彼らの雰囲気が客観的に見た自分とあまりにもかけ離れていることにビックリした。
小泉の成績はあっという間に落ちていった。
入学してからの一学期は、中の上くらいだったはずなのに、二学期を終えた頃には、下の方にいた。一年生を終える頃には、進級すら危ういところにいたのである。
小泉の入学した学校は、中高一貫教育で、中学から高校へはエスカレーター式で入学できるのは、以前にも書いた。
しかし、他の学校にはない中学での進級できるかどうかのラインは、この学校には存在する。
「義務教育というのは、公立中学に言えることなんだよ」
と言っていた人がいたが、確かに私立の、しかも名門中学校であれば、学年の進級に落第があったとしても不思議ではない。
ただ、言葉としては、落第という言葉を使っていない。
「留年」
という言葉を使うようにしているのは、文科省への配慮であろうか。
聞こえはよくても落第は落第だ。一定の成績を摂れなければ進級はできない。それが進学校として当然のことなのかも知れない。
小泉の成績が一気に落ちた理由は、分かっていたはずの進学校の現実を、実際に味わってしまうと、戸惑いが隠せなかった自分に対しての思いが一番の理由だった。
「こんなはずではないのに」
という思いが戸惑いになり、戸惑いがいつの間にか成績を押し下げていた。
要するに自分に自信がなくなったのだ。
自分に自信がなくなると、不安が襲ってくる。しかも、その不安は言い知れぬもので、どこから襲ってくるのか分からないから余計に不安になる。そもそも不安の何が恐ろしいのかというと、どこから来るのか分からないから恐ろしいのであって、その理屈が分からない以上、不安と自信喪失のループが頭の中を巡ってしまうのだ。
小泉はその頃から自分を客観的に見るという意識を忘れてしまっていた。だが、自分を客観的に見るという行為は、元々意識してするものではない。意識していないだけで実際にはしていることで、それを忘れてしまったことで、自分が何を恐れているのか分からないことで不安が募ってくるのだった。
「もう、どうでもいいや」
と思ったこともあった。
成績が悪くなったことで、母親も父親も心配しているようだが、何も言わない。何も言わないというのは、それはそれで不安を煽るものだ。
――一体、何を考えているんだろう?
またしても自分を他人事のように見ようとしてしまう。
ただ、この時の、
「他人事」
というのは、
「自分を客観的に見る」
という発想とは少し違っている。
客観的に見るというのは、あくまでも自分を一人の人間として冷静に見ることができるということだ、しかし、他人事のように見るというのは、自分を冷静に見ることができない。冷静に見ることができないから他人事のようにしか見ることができないということを意味していて、逃げの意識が強いのかも知れない。
だから、両親が何を考えているのか分からないのだ。ひょっとすると、自分をその時に客観的に見ることができていれば、両親が何を考えていたのか、すべてが分からないまでも、一端くらいは垣間見ることができたかも知れない。
その時の小泉には、一端でも構わなかった。すべてが見えるよりも、むしろ一端が見えたくらいの方がちょうどいい。自分のことすら分かっていない小泉なのに、親のことすべてが分かるなど、それこそウソくさいというものだ。
小泉は中学三年生位になってくると、そのあたりのことが少しずつ分かるようになってきた。
それは、自分が置かれている状況に自分が慣れてきて、頭が回るようになったからなのかも知れない。冷静に見ることができるようになってくると、次第に自分を客観的にも見ることができるようになり、そのことがその状況に自分を慣れさせたのかも知れないと思うと、小説も書けるようになってきたのだった。
「すべてがいい方向に傾いてきたんじゃないか?」
と小泉は考えるようになった。
それまでネガティブにしか考えられなかった頭が、次第にポジティブ志向になっていき、気が付けば、
「俺って、こんなに楽天的な性格だったのかな?」
と思うほど、スーッと気が楽になっていくのを感じていた。
小説を書くのも同じことだった。
かしこまって書く必要なんかない。小説というものを、
「読み手に分かりやすく書けなければ小説ではない」
などという発想を抱いたことが、そもそもの間違いだった。
小説を書きたいと思った時、本屋に行って、
「小説の書き方」
などというハウツー本を何冊か買ってきて、読み漁ってみた。
そこには、何を書きたいのかということを基本に、読み手に対しての配慮も書かれていた。しかし考えてみれば、それはプロになりたいと思い、プロを目指している人のために書かれた本であり、
「今の俺には、こんなの必要ない」
と思うような内容だった。
最初は、そんなことを分からずに、書かれている内容がすべて正しいと思いながら読んでいたので、戸惑いもあった。自分の書きたいことが見つからないのに、読み手のことなど考えられるはずもないからである。
だが、読み手のことなど考えないようにすると、頭の中がスーッと軽くなったような気がした。
――かしこまる必要なんかないんだ――
と思うことで、小泉は小説を書けるようになった自分を正当化していた。
それまで数行で終わっていた一場面も、まわりが見えてくるようになった気がしたことで、いろいろ修飾できるようになり、気が付けば原稿用紙百枚以上の作品を書けるようになっていた。
自分の作品を読み返してみると、
「おや? 結構さまになっているじゃないか」
と思えた。
本人は、読者に一切気を遣っていないように思えたにも関わらず、読み返してみると、なかなか読みやすい小説になっている。
「こんなに読み手に優しい作品になっているなんて」
と、小泉の中で、
「優しい」
というキーワードが小説を書く上で初めて登場した時であった。
優しいと思うことがそれ以降の小説を量産する原動力になったようで、一作品を書くと、次の作品のアイデアも勝手に生まれてきた。