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短編集64(過去作品)

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 数人が坂下の手を取って、助け上げようとしてくれている。他の人は、警察に連絡しているのか、電話を掛けていた。まだ携帯電話が普及し始めた頃だったので、少し大きめの電話だった。
 助け上げられてからまわりを見ると、惨状が目前に広がった。大型トラックは田んぼに完全に突っ込んでいた。運転手はまだなかに閉じ込められているようで、何がどうなったのか、下手をすれば運転手にも分からないのかも知れない。
 しかし、ハッキリと分かっているのは、一歩間違えば、坂下が惨状に巻き込まれていたというのが間違いないということである。一瞬の差で、命を失うところだったようだ。
 その時の犬がどうなったかというと、ハッキリと分からない。犬が、
「危ない」
 と叫んだような気がしたのは後から考えたからだろうか。その時にまわりにいた人に聞いても、
「犬? そんなのはいなかったよ」
 と言われるだけだった。
 犬のことだけが気になっていたが、それ以外は翌日からは普通の生活に戻った。一応、怪我はしなかったが、事件の当事者として翌日以降、警察に呼ばれることはあるだろう。それ以外で、思い出すことはないが、犬を見るたびに思い出す。
 白い犬だった。薄汚れていたので、完全に野良犬だっただろう。野良犬であっても、坂下には可愛いものだった。逆に野良犬だからこそ、愛着が湧くこともあるだろう。飼い犬だったら、下手に愛想を振りまくわけにもいかず、飼い主の意向に逆らうこともできない。そういう意味で、野良犬に愛着があったのも事実だった。
 それからしばらくして、野良犬が車にひられてしまう決定的瞬間を目撃した。
「キャイン」
 その声は、
「助けて」
 という風にも聞こえた。女性の声だった。犬は即死で、近寄ってみると苦悶の表情はなく穏やかな表情だったのがせめてもの救いだった。
「可愛そうなことをしたな」
 運転手は犬を轢いたくらいでは気にも留めない。
「車は大丈夫だろうか」
 降りてきたが、車しか見ていない。大丈夫なのを確認するとすぐに走り去る。犬を見ることはなかった。
「あんなやつに見られたくもないか」
 人間が本当に冷徹な生き物であることを再認識した。中学生という思春期で多感な兆年にとって、その出来事はかなりショックだった。それでもすぐに忘れてしまうのが、
「結局、俺も人間の一人なんだよな」
 と思えてならない。犬の死骸がそのまま放置され、市町村が引き取りにくるだろう。死んでしまったら、保健所ではないらしい。ゴミとして扱われると聞いたことがあった。それも寂しい限りであるが、中学生の坂下には何もしてあげられず、自分の無力さを思い知らされた。
 それからしばらく犬のことが気になっていたが、高校を卒業する頃には犬を気にしなくなった。
 それまでは、自分が犬の言葉を分かるのではないかと思って、犬を見つけては目を合わせていたが、犬にはその気持ちがまったく通じていないようだ。
 すぐに目を逸らす犬もいれば、すごすごと立ち去る犬もいる。かと思えば、猛烈に吠える犬がいて、その必死な叫びに、声の存在などありえるはずもなかった。人間だって必死になれば奇声をあげるだろう。まさしくその声に違いなかった。
 そのうちに犬との距離が果てしなく遠い気がして、そう思うと、次第に犬への気持ちが冷めてくる。犬を見るのに飽きてきたのだ。
 犬に助けられたという気持ち、犬を助けられなかったという気持ちがトラウマになってしまったことには違いないが、その気持ちは心の奥深くに封印されてしまっていた。
 大学に入ってできた彼女と動物園に行ったことがあった。動物園には彼女の希望で出かけたのだ。
「私サルが好きなの。サル山に行ってみましょう」
 彼女は手を引っ張っていく。サルにはあまり興味はなかったが、人間に近い動物だということで、人類学に少し興味を持っていたので、サルに対しての見方も少し他の人と違っていたかも知れない。
「私サルの言葉が分かるのかも知れないわ」
「どうして?」
「だって、サルって目を合わせたらいけないっていうでしょう? 敵だと思って襲ってくるらしいのよ。でも私が目を合わせると、サルは襲ってくるどころか、何かを喋ろうとしているようなの。何かを訴えているのかしらね」
 確かにサルは猜疑心が強かったりするという。人間に対してもライバル心を持っているのかも知れない。ひょっとして、自分たちの進化したのが人間だということを本能から分かっているのではないだろうか。
 それにしても彼女の言葉で、それまで心の奥深くに封印されていた犬へのトラウマが再燃してしまったようだ。
「僕も以前、犬の言葉が分かるかも知れないって思ったことがあったんだ」
 彼女は頷きながら聞いている。坂下の話に興味津々というところであろうか。
「それで?」
 思い出しながら坂下は、中学時代の話を彼女にした。事故の後、一年くらいはずっと意識の中にあったのだが、一年を経過したと同時に急速に思い出すことがなくなってきた。ショックが薄れてきたということは悪いことではないが、交通事故に気をつけなければいけないという意識だけは持ち続けなければいけなかった。
 同時に犬への意識も遠くなってきた。それまでは犬が近づいてくると、その犬が凶暴なのか、人懐っこいのかは顔を見ればすぐに分かった。オスかメスかも判断がついた。散歩中の犬がいて、飼い主が気さくな人であれば、
「この犬はオスですよね?」
 と、普通はしないような質問をしてしまっていた。さすがに最初は訝しげな表情をする飼い主だが、坂下の興味津々の表情を見ると悪気がないのに気付いてか、
「そうですよ。よく分かりますね」
「はい、犬の顔を見れば結構分かるんですよ」
 ここまでいうと、飼い主も坂下に興味津々で、
「それはすごい」
 と言って、しばし会話になったりしたものだ。犬は大人しくしていて、二人の会話を不思議な顔で見ているが、飼い主が安心しきったような顔をしていることで、犬も安心している。
 しかし、高校に入ると、犬への見方が少し変わってきた。オスかメスかの判断にも翳り画見え始め、
「メスですよね?」
 と聞いても、
「違います」
 と答えられることが増えた。
――今までのは一過性の神通力のようなものだったのかな――
 一過性の神通力などが存在するのかは分からないが、そのように判断しないと納得がいかなかった。神通力なら、何かの弾みでつくこともあれば、使えなくなることもあるだろうという勝手な思い込みであった。
 そんな時、母親が一匹の子犬を連れて帰ってきた。
「うちも犬でも飼おうと思って」
 坂下には妹がいるが、中学二年生になっていた。二つ下である。
 坂下も妹もちょうど思春期で、親に対しては反抗期と呼ばれる時期でもある。気さくな性格で、そのために寂しがり屋な母親だったが、それを知られたくないから虚勢を張るのだが、それでも解消できない時は、開き直っていた。犬を飼おうというのも、その開き直りの表れだろう。
「あなたたちが相手してくれないから、私は犬で十分だわ」
 と言わんばかりである。
 犬を見た瞬間、妹は、
「きゃあ、可愛い」
作品名:短編集64(過去作品) 作家名:森本晃次