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短編集64(過去作品)

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 やらされているという意識が強すぎた。自分からやる勉強であればいくらでもできるのに、試験などで試されるのはあまり好きではなかった。だが、遊んでいても成績はそれなりだったので、友達の方からノートを見せてくれと言ってやってくる。ノートの取り方だけには自信があった。要点を掴むことに掛けては、自分で考えているよりも才能があるようだ。
 その日は夕方までいて、友達の家を出たのが午後六時頃、ちょうど夕陽が西の空に沈みかけている時で、家に帰りつくまでにはまず間違いなく夕闇に包まれていることは間違いないと思いながら歩いていた。
 さすがにこの時間は交通ラッシュの時間帯である。車は方々で詰まっていて、信号が青になってもなかなか進まない。車の種類は圧倒的に乗用車が多いが、中には大型トラックもちらほら見かける。少し狭い道では離合するのに大型トラックが道を塞ぐため、余計に混雑を招いているようだった。
 家までには歩道もない道もあった。しかも、そのあたりまでやってくると、日が沈みかけているあたりの空は明るいが、反対側は完全に夜の帳が下りている。
「あまり見られる光景ではないな」
 車のヘッドライトもつけている車もあれば、無灯火の車もある。車がライトをつけるのは、運転手の視界を助けるだけではなく、まわりから車の存在を見せるためにも必要である。
 運転手だって、元は歩行者だったはずで、そんなことは分かりきっているはずなのに、ハンドルを握ると忘れてしまうのか、スモールライトをつけている人すらいないくらいである。
――困ったものだ――
 と考えながら歩いていると、寒さが少し和らいでくるのを感じた。
――歩いているから、暖かいのかな――
 とも感じたが、実際には風がないことで、寒さを感じなくなっていた。ちょうど季節は冬から春へと向っている時期、まだまだ寒い日もあるかと思えば、急に暖かくなる時もある。天気予報ではその日は平年並みということで、昼間は暖かかったが、夜になると、さすがに冷えるだろうということだったので、制服の上からジャンパーを着ていた。
 空を見ると、雲が光って見える。昼間の暖かさを思い出させるが、空を見上げた後で前を見ると、モノクロに見えていた。
 光のすべてを吸収するかのように見えたが、実際にこの時間帯は一定時間モノクロに見える時間があるらしい。
「夕凪」と言われる時間帯らしく、その時間帯に一番交通事故が起こりやすいという。科学的にも、モノクロに見える時間があることは証明されているのか、その話は複数の人から聞かされた。
 歩いていると、後ろから一匹の犬が追いかけてくるのに気付いた。歩いているあたりは、大通りから離れているところで、近道なのだが、車にしても抜け道として迂回してくる人が多い。そのせいか車は多いのだが、人はほとんど歩いていない。民家も疎らで、途中には田んぼが広がっている。
――きっと、以前は田んぼのあぜ道だったんだろうな――
 と思われた。
 まだ都会には縁のなかった頃なので、これが普通の光景だと思っていたが、実際に都会に出てくると、この道のことをよく思い出す。友達の家に行く時だけに使う道ではなく、家にいる犬の散歩に使ったことがあった。犬がついてきた時も、
――犬の匂いが身体についているからかな――
 と感じたほどだ。
 静かに後ろから一定の距離を保ちながらついてきた犬だったが、しばらくすると吠え始めた。
「どうしたんだい?」
 思わず振り返り声を掛けたが、じっと坂下少年の目を見ながら吠えていた。
 犬も顔を見ながら話し掛けてあげると、言葉が通じるものではないかという思いはあった。それは言葉という概念ではなく、テレパシーのようなもので、目の力で気持ちが伝わると考えていた。
 昔、おとぎ話で聞いた花咲じいさんの話。あれなど、
「ここ掘れワンワン」
 などと子供騙しの呪文のようなものを唱えていたが、本当に子供騙しなのだろうか。
 じいさんとしても、何か気になるところがあったから地面を掘ってみたのか、まさか金銀財宝が出てくるなど、想像もしていなかったに違いない。
 しかし、所詮悲劇は犬に訪れる。人間の欲の犠牲になってしまったのは結局犬である。
「もし、その時、犬に話すことができていたら……」
 ひょっとして死なずに済んだかも知れない。
 人間は言葉で会話できるから、死なずに済むこともある。だが、それでもこれだけ殺人が多いということは、人間自体、一番残虐な動物と言えるのではないだろうか。しかし、動物の世界も弱肉強食。生き残るために、本能として、弱い者を食う。そこに言葉は本当に存在しないのだろうか。
 そう考えれば、人間だけが欲望のために同胞を殺害する。そういう意味で、一番残虐な動物と言える。
 動物同士、同じ種類の動物同士だけでも話ができたとすれば、そこにはれっきとした秩序が存在しているかも知れない。人間には分からない周波数があって、周波数の響き合いがまるで言葉と同じ役割を果たす。そんなことだってあるかも知れない。
 こうもりは、目が見えないので、自分で特殊な周波数の超音波を出して、その跳ね返りでまわりに何があるかを感じるという。それと同じで、言葉のような周波数が存在してもいいではないか。
 動物から見て、人間が話している言葉、これをどのように感じるだろう。人間と同じように聞こえているのだろうか。理解はできないまでも、同じように聞こえているとすれば、かなり高等な聴覚である。もちろん、動物の種類によって、上等、下等と区別をつけなければならないだろうが、人間だけが言葉を持っているというのも、あまりにもエゴイストな考えに思えてならない。
 そのように教育を受けてきたので、何の疑問も持っていない人がほとんどなのだろうが、坂下は少なくとも、その疑問をずっと抱いたまま大きくなったと言ってもいい。
 後ろからついてきている犬を意識しながら歩いていると、そのうちに気にならなくなってきた。
 犬も少し静かになったが、いきなり後ろから坂下に向って犬が飛びついてきたのだ。
「うわっ、何するんだ」
 あぜ道の向こうにひっくり返りながら叫んだ。いや、叫んだと思う……。咄嗟のことで自分でも分からなくなっていた。
 気がつけば、身体には泥がへばりついていて、目の前には土があった。もう少しでその土を食べることになってしまうような状況を、すぐに理解できないでいた。
 身体が完全に上下逆さまになっていて、顔の半分にはかなりの引っかき傷ができていることはすぐに分かった。ヒリヒリをまず感じたからである。
 何がどうなったのか分からなかったが、犬がいたのだけは覚えている。
「そうだ、犬はどうしたんだ?」
 すべては犬が引き起こしたこと、犬への怒りがこみ上げてきた。
 犬のことを気にしていると、なにやら、後ろの方が騒がしかった。
 横を見ると、何と大型トラックが、目の前で横転しているではないか。犬どころではないと感じた。
――大変だぞ――
 尋常でないことは分かった。まわりを走っていたであろう車は皆止まっていて、中から運転手が慌てて出てくる。
「おい、大丈夫かい?」
作品名:短編集64(過去作品) 作家名:森本晃次