夢ともののけ
優香が人に小説を読んでもらえるようになったのは、書き始めてから半年も経ってからのことだった。
「半年でここまでできれば十分だよ」
と言ってくれる人もいて、
「だったら、最初から見てもらっていればよかった」
と返事をした。
それは、下手だった最初の作品から、半年が経ったその時の作品と時系列で見てくれていて、その成長ぶりを自分以外の人が証明してくれるという意味での言葉だったが、その本当の意味を、聞いた相手は分かってくれただろうか?
半年経ってやっと自分でも、
「これなら人に見てもらってもいいかも知れないな」
と感じたわけで、逆に言えば、
「そろそろ人に見てもらわないと、その機会を逸してしまうことになりかねない」
という思いがあったのも事実だろう。
最初はゆっくりと書いていこうと思っていた。そのくせ、小説を書き始めるのは、いつもちょっとした書き出しのアイデアが思いついた時だった。前の小説を書いている最中に思い浮かんだことであれば、その時書いていた小説を書き終えてからすぐに取り掛かっていた。そのため、読み直しなどすることもなく、新しい作品に取り掛かるため、新しい作品を書くために、前の作品は中途半端な状態で終わってしまうことが多かった。
そのため、どこかに発表するということも、投稿するということもない。
――前に書いた作品を読み返してみよう――
と感じたのは、やはり小説を書き始めてから半年が経ってからだった。
そういう意味で小説を書き始めてから半年のこの時期、優香にとって小説を書く意味を見つけたのだと言える時期なのかも知れない。
最初に小説を書きあげるまでに、結構かかった。これは時間という意味ではなく、
「いろいろやってみて、やっとしっくりいく書き方ができた」
という意味の、
「かかった」
である。
最初は、どこの作家もやっているようなパソコンの前に座り、文章を打ち込んでいく作業から入ったのだが、なかなか思うような文章が書けない。打ち込むのに必死になっているせいか、書いていて、何をやっているのか分からなくなってきていた。
次にやってみたのは、昔の作家のように、机の上に原稿用紙を置いて、マス目を埋めていく作業だった。数行書いては納得がいかずに、クシャクシャに丸めてゴミ箱にポイ捨て。いかにも明治の文豪を思わせるやり方だった。
だが、これも数行書くと、先が続かない。続かないわけである。数行書いた時点で、作品が完結してしまうからだ。
完結する作品は、作品と呼べるものではなく、起承転結が数文字で終わってしまっている。描写もなければ、感情も含まれていない。これでは小説などと呼べるものではなかった。
優香が小説を書こうと思ったのは、麻美がいたからだった。麻美は小学生の頃からよく本を読んでいて、
「私もこんな小説を書けるようになれればいいのにな」
と言っていた。
「そんなに本って面白いの?」
と優香が聞くと、
「最初はそんなことなかったんだけど、一度読み始めると止まらなくなるの。マンガなんかよりも、私は小説の方が面白いと思うわ」
という麻美の言葉の意味を、優香は分かっていなかった。
だが、一度騙されたつもりでミステリーを読んでみると、これが結構面白い。やはり想像力を掻き立てる作品は、マンガには出すことのできない魅力を秘めていたのだ。
そんな優香が小説を自分でも書けるのではないかと思ったのは、読み進むうちに時間を忘れて本の中に入り込むことができたからだ。
優香はよく麻美から、
「あなたの発想は奇抜なところがあるわ。まるで『小説よりも奇なり』という言葉がピッタリと嵌るようだわ」
と言われていた。
本当は、天然なところがある優香に対して、半分皮肉を込めての言葉だったのだが、優香はそれを素直に受け止めた。この言葉を素直に受け止められる時点で、優香に天然なところがある証拠だと言えるだろう。
優香には乙女チックなところがあり、それまで見ることのなかった少女マンガも、抵抗なく見るようになった。
優香が少女マンガを見るようになって、気になった作家に、明治時代を背景にした作品を描いている人がいた。明治時代というと文豪がたくさん生まれた時代でもあり、優香自身詳しくはないが、それぞれの文豪は知り合いで、自分の作品や自分の性格を鼓舞しながらも、まわりの人も認めるというようなストーリー仕立てのマンガが好きだった。
その漫画家は女性で、女性の視点から男性の文豪を描いた。しかも、女性が描く絵なので、美少年に描かれている。以前からマンガをあまりよく思っていなかった優香だったが、その理由の一つが、あまりにも登場人物の男性を、美少年に描きすぎているというところにあった。
しかし、その作品の中で、彼らは文豪としての知性と教養を秘めている。実際の作家たちの肖像画は、年を取ってからのものなので、青年期を想像したこともなかった。だが、文豪というだけで、青年小説家を思い浮かべると、少々行き過ぎた描写になっている美少年であっても、優香には許された。
彼らの様子を想像しながら、優香は明治時代の街の風景に思いを馳せる。もちろん、そんな時代を知っているわけではないが、図書館で見た明治時代を描いた絵画などを見ていると、何となく想像ができた。ただそれも、都会と呼ばれるところの風景であり、田舎の風景はなかなか思い浮かばない。昭和初期の絵画で田舎の風景が残っているのがあったので、その後継を頭に描くにとどまった。
マンガの内容は、最初文豪同士の友情物語なのかと思っていたが、途中から数人の女性が登場することで、一気に恋愛マンガへと変化してくる。今までの優香が知っている小説や漫画で、このような一気に変化を遂げる内容のものは知らなかったので、読み進んでいくうちに止まらなくなった。
そのマンガは、まだ連載中で、最後どうなるのか、誰も分からない。
――作者すら分かっていないかも知れない――
と思うと、何かワクワクするものがあった。
――私も、ワクワクするようなストーリーを書きたいわ――
と思うようになった。
だが、小説はマンガと違って、表情もなければ情景もない。すべてが作者と読み手の想像によるものなので、そのどちらも同じとは限らない。
逆に同じであるはずがないだろう。別の人間なのだから。
優香は想像力を働かせてマンガを読んだ。マンガなのだから、描写も表情も備わっているのに、想像力を働かせたのだ。
――どこに想像力の入り込む隙間があるというのか?
優香にも分からなかったが、何も考えずにマンガを読んでいると、気が付けば想像力を働かせていたのだ。
――よく分からない――
自分の行動がよく分からない。マンガを読んでいる時であっても、何も考えていないなど、今までの優香からは考えられないことだった。
優香は、絶えず何かを考えている人間だと自覚していた。何も考えていないと思った時でも、ふと我に返ると、何かを考えていた。