夢ともののけ
麻美と翼は従妹同士なので、それぞれの親のことは知っていることだろう。そういう意味で麻美に話をしていたのだと思っているが、麻美はその話をまともに聞いていたとは思えなかった。
翼は真剣に話をしていたのだが、麻美はどこか話を聞いているというよりも、はぐらかしているという雰囲気を感じた。麻美にしてみれば、そんな話を聞かされたとしても、自分にどうすることもできるはずもなく、聞かされるだけ損だと思っていたことだろう。
しかも、話は知っている相手の愚痴である。最初こそ相談だったのだが、話しているうちに次第に愚痴になってくる。翼としては自分が愚痴を言っているということを自覚はしていないだろうが、客観的に見ていれば、愚痴以外の何者でもなかった。聞かされる麻美もかわいそうだったが、聞いてもらえない翼もかわいそうに感じられた。ある意味、客観的に見ている優香も、かわいそうな一人なのかも知れない。
翼の父親も、優香の父親と同じように頑固なところがあって、相手に自分の考えを押し付けているようだったが、優香が本当に嫌いな父親へのイメージと、翼が感じている父親への一番嫌いなイメージとでは、若干どこかが違っているように思えた。
相手が違う人間なのだから、それも当然のことなのだろうが、まだ思春期に入りたての優香にはその違いがどこから来るのか分かっていなかった。ただ、自分と同じように父親への不満を密かに抱いている人間が、こんなにもすぐ近くにいたなどということを感じただけで、どこか頼もしく感じられるようになっていた。
優香が翼の言うことをずっと信じてきたというのも頷ける。無意識にだが、自分の中で翼に対して同類のように感じていたということなのだろう。
思春期になると、そんな翼に対して別の感情が生まれてきたことを優香は意識していた。ただそれがどこから来ているものなのか分かっていなかったので、それが恋心だとは気付いていなかった。
翼も優香が今までと違う目で自分を見ているのは分かっていたが、その感情がどこからくるものなのかが分かっていなかった。それなのに、分かっている人が一人いた。それが麻美だった。
麻美は自分が誰かを好きになるという感情は抱いていなかった。思春期になっていて、身体は大人のオンナになりつつあるのだが、感情が身体についてきてはいなかった。その代わり、自分のまわりで感じさせる意識に関しては敏感で、特にずっと一緒にいる優香や翼に対して、敏感に感じていたのである。
――優香は、翼のことが好きなんだ。でも、翼は優香の気持ちに気付いていない――
というところまでは分かっていた。
もし、翼が優香の気持ちに気付いていて、お互いに恋愛感情を持っていたとすれば、麻美はどう感じただろう?
麻美は、
――私は人のことをよく分かるので、その分、自分のことがよく分かっていないんだわ――
と感じていた。
優香と翼の関係を客観的な目で見て分かっているつもりになっているので、自分は完全に蚊帳の外だと思っている。だが、ずっと二人を客観的な目で見ることができるかと言われれば自信がなかった。ただ、翼を異性として意識できるかと言われれば、
「意識するには、今までずっと一緒にいすぎた」
という思いが強く、異性として意識することはないだろうと感じていた。
中学時代というと、誰にでも初恋の経験があるのではないだろうか。
「俺には、初恋なんかなかった」
という人もいるだろう。
しかし、そんな人は初恋をしていることに、その時気付いていなかったのだろう。だが、いずれ気付くことになるのだが、それが何年後かは、その人によって違う。気付いたとしても、
「だから、何だって言うんだ」
という人もいるだろう。
初恋の思い出として頭の中に残しておくには、あとから気付いたものはかなり難しいのではないかと思うのは、数年後の翼だった。
翼は女の子には結構モテた。思春期特有のギラギラとした視線や、背伸びしたいと思う感情は、翼の中では皆無だった。
「翼君には、ギスギスしたところがないから、人当たりもいいので、話しやすい」
と、同年代の女の子から人気があったのだ。
人畜無害という言葉が彼にはピッタリだろう。ただ、翼のまわりに優香と麻美がいることで、皆遠慮していた。二人に対して嫉妬するほど、翼のことを男として意識する女の子はあまりいなかった。
「翼君は、友達としては最高だけど、彼氏にしようとするなら、少し物足りない気がするのよね」
と、何を勝手なことを言っているのかと思うような話が、麻美や優香の知らないところで交わされていた。
そのおかげで、翼に対して女性の間でぎこちない関係になったりすることはなかったのだが、人気があるわりには、女性から告白されたりすることのほとんどない翼を見て、優香は少し寂しさすら感じていた。
優香はそんな翼のことを自分の小説に書こうと思っていた。本当であれば、物足りないと思っている人を小説の題材にするなど、まだ初心者の優香にとって、かなりの難問に違いないのだろうが、下手にくせのある人を題材にすると、勝手に物語が先行してしまって、「収拾がつかなくなってしまうのではないか」
と、優香は考えていた。
翼のことを書こうと思うと、自然と自分や麻美のことも書かなければいけなくなる。優香はなるべく自分のことを小説には書きたくなかった。
優香は自分の書く小説は、あくまでもフィクションであり、架空の物語として描きたいと思っていた。ただ、すべてが架空の物語を書くなどというのは、度台無理なことだというのは分かっていた。
「木を隠すには森の中」
という言葉もある。
ウソを隠すには、それ以外のことを実にリアリティに伝える必要があるということも理解しているつもりだった。
優香は架空の小説を書くにしても、その中に自分の経験や感じたことを織り交ぜなければ作ることができないと思っていた。
以前、小説を書けないと思っていた時は、完全に架空の話にこだわってしまい、そのためにまったくストーリーが浮かんでこなかった。最初に少し思い浮かんだとしても、そこから先はまったくの未知数。書き始めてすぐくらいは、何とか発想を膨らませて書くことができるが、膨らませた発想を収拾するには、リアリティが必要だった。
優香は、そのことを分かっていなかったのか、架空にこだわってしまい、作品の根本から目を背けていたような気がした。
優香の小説は、最初は誰にも見せることはなかった。
――人に見せるなんて恥ずかしい――
と思ったからで、小説を書いているのは、誰かに読んでもらいたいからだという思いから、完全に矛盾したものだった。
矛盾が頭の中にあると、どうしても殻に閉じこもってしまう。人に見せたからと言って、別に何かを言われるわけではないと思っているのだが、逆に何も言われないということの方が怖い気がした。
――内容が分からないから、何も言わないんだ――
と思えてならない。
理解されないことが、書いていて一番の寂しさではないだろうか。人に読んでもらいたいという思いは自分に自信がついてからだと感じていたが、果たして自分に自信がつくことなどあるのだろうか。