夢ともののけ
本当は逆らっているつもりなのに、どうしても逆らえない自分がいると感じた優香は、密かに心の中で抗っていることをなるべく表に出さないようにしていると、その思いが緊張を生んでしまうのか、
「人と同じでは嫌だ」
という性格に結びついてくるのだった。
優香が国語の問題を焦って読んでしまうのは、
――テストを受けている時、いつも何か他のことを考えているような気がする――
ということに気付いたことで、自分への考えが少し変わってきた。
優香はテスト自体嫌いではない。人と競争を余儀なくされるテストではあるが、優香は成績がそのまま自分の評価に繋がることは嫌ではなかった。
「勉強したことがそのまま結果として現れるのであればね」
と、優香は麻美に言ったが、
「そうね。その日の体調がよかったり、自分の集中して勉強したところが試験に出たりすると、成績もいいけど、体調が悪かったり、集中して勉強していないところがたまたま試験に出たりした時は、どうしようもない結果になってしまうものよね」
「テストなんて、一発勝負の博打のようなものかも知れないわね」
と優香が言うと、
「そこまで言ってしまうと身も蓋もないけど、極論はそうなのかも知れないわね。そう思うと、テストって理不尽な結果に終わってしまう人が必ず出てくると言えなくもないんじゃないかしら?」
と、麻美はそう言った。
「それでも、私はテストって嫌いじゃないの。本当に成績は悪いんだけどね。どうしてなのかしらね?」
と、漠然としてだが、その理由を分かっていると思っていたが、口から出てきた言葉は真逆な理屈だった。
優香は知らなかったが、翼も自分の父親に嫌悪を感じていた。時々麻美に愚痴のようなものをこぼしていたが、それは麻美が翼の話を嫌がらずに聞いてくれていたからだ。
「うちの父さんは、すぐに自分の考えを子供に押し付けようとするんだ。子供が何を考えているかなんて関係なくね」
と翼がいうと、
「おじさんがそんな人だなんて、見ていて分からないわよ」
と麻美は言い返す。
それを聞いて、翼は挑発的な気持ちになり、
「そりゃあ、表から見てればそう見えるかも知れないさ。だけど、あの人には自分なりの理屈があるらしく、それを押し付けてこようとするんだ」
もし麻美が何も言わずにただ聞いているだけなら、翼は愚痴をこぼすこともないだろう。麻美は話を聞くのを嫌がってはいない代わりに、翼の話の腰を折ろうとする。翼は自分が話したことを相手がただ聞いているだけなら、愚痴を言っている自分が完全に悪者意識に駆られるが、麻美のように反対意見を言ってくれると、それに対してこちらも反発ができる。
それが翼にとって、愚痴を言うための大義名分であるかのようで、自分としても話しやすかったりする。
麻美の方としても、翼の話を聞くのは嫌ではなかった。自分も自分の父親に対して、大なり小なり不満があり、翼の気持ちも分からなくもない。翼の話を聞きながら、自分一人で、
「うんうん」
と頷いている姿が思い浮かぶようで不思議な気分になるのだった。
子供の頃というと、父親に対して、誰もがそれなりに不満を持っているものなのかも知れないが、優香のように、
「自分の意見を押し付けられている」
と、考えている人がどれほどいるだろう?
とにかく、父親の存在がウザいと思っている人はいても、その理由まで考えたことのある人がどれほどいるというのだろう。理由を考えないということは、そのうちに気付けば父親に対する不満が消えているとでも思っているのだろうか。
もしそうであるとすれば、優香には信じがたい考えであった。
優香は最初に書いた小説の中で、主人公が父親に対して感じている不満があることを書いたが、その内容までは記していない。
家族構成を描く中で、
「頑固に自分の意見を押し通そうとする父親」
という表現を使ったが、そのことが、主人公が抱いている不満につながっているという意識で読める人がどれだけいるというのだろう。
人に読ませる主旨の小説ではないので、言いたいことを思い切り表現すればいいのに、なぜ遠慮してしまったのかを考えると、
「やっぱり、どこか誰に見られているか分からないという気持ちが強くあったのかも知れないわ」
と感じていた。
確かに、自分やそのまわりの親しい仲間内だけで読むための小説を書いているので、書きたいことを書けばいいはずだった。しかも、父親に対しての不満を抱いているということは、今までに何度もまわりの人に宣伝していたはずである。それをどうしていまさら隠そうとするのか、自分でもよく分かっていなかった。
「下手に書いて、それが父親の耳に入ったらどうしよう」
と、思っていたのかも知れないが、小説を書く醍醐味は、
「自分の心の中に隠してきた思いを爆発させることだ」
と思っていたはずなので、父親の耳に入ってしまうことを考えるのは、どこか矛盾していることのように思えてならなかった。
実際には矛盾していることではない。もしこれが矛盾だというのであれば、考え方の時系列が自分の意識と違っているということになるのではないかと思った。
優香は、それから少しして、
「考え方の矛盾と、時系列との違い」
という発想で、新しい小説を書いた。
その時には、思っていることを包み隠さずに書いたつもりだったので、
――ひょっとすると、これを読んで不快に感じる人は結構いるかも知れない――
と感じたのだ。
自分の意見を押し付ける人というのは、結構まわりにいたりするものだ。その人は自分が他人に自分の考えを押し付けているつもりはないのかも知れないが、そばにいる人間には押し付けられたという印象しかない。
それが親子の間であれば、余計に気まずくなってくるというものではないだろうか。人によっては、
「親子なんだから、すぐにそんな蟠りも消えるよ」
という人もいるが、そんなことはない。
親子だからこそ許せない部分がお互いにあって、歩み寄ることができずに平行線を保ったまま、決して交じり合うことはないのだ。
親子だから蟠りが消えるなどと言っている人を優香は好きにはなれない。確かに言っていることは当たり前のことなのだが、その当たり前のことがうまく行かないのがこの世の中である。
そのことを分からずに、
「親子だから、蟠りが消える」
などと言っている人は、優香から見ると、
――まるでお花畑にいるかのようだ――
と感じてしまう。
何と幸せな性格なのかと思うのだが、そんな人から受ける説教など、最初から聞く耳を持っていない。
そんな自分のことを、
――素直ではない――
と感じていたが、それも最初だけだった。
「自分に素直にならないと」
と、父親が自分に説教したことで、その思いはあっという間に吹っ飛んでしまったのだ。
優香が小説を書けるようになったのは、半分はそんな父親への反発の気持ちからだった。それまでの自分の考えをすべて否定されているように思ったことで、優香は少し超著不安定に陥った。