夢ともののけ
しかし、実際の性格と表に出ていることが一致しているかというとそうとは言い切れない人もいるだろう。特に運動と読書というまったく別の行動に対して、どこに関連性を見出すかなど、普通ならありえないことのはずなのに、優香に関してはその思いが強かった。
一つの理由としては、優香はテストを受けている時など、本当に真剣な表情をしながら受けている。そんな表情から、どこに焦りを感じられるか、担任の先生にも分からなかった。
ただ、テストの回答を見る限りでは、明らかに焦りを伴った回答になっていた。
――あの様子から、どこに焦りがあるというのだろう?
と担任の先生も感じていた。
実際に試験中など、問題文をしっかり読み込んでいる様子は見てとれる。何度も読み返しているように見えるのだが、分かって読み返しているわけではないということになるのだろうか?
いや、問題文よりも先に設問から読んでしまった時点で、優香の焦りは決定的なものであった。設問から勝手な想像を頭の中に抱いてしまって、そこから問題文に初めて触れるのだから、逆の順序で期待している回答が得られるはずもないではないか。
ただ、麻美は優香のそんな状況を分かっていた。だが、それを直接優香に言ったとしても、優香自身が自覚しなければ何の解決になるわけでもない。麻美が小説を書くのを勧めたのは、小説を読むことを間接的に勧めているようなものだった。
だが、世の中何が幸いするか分からない。麻美が勧めたことが優香を開花させることになるなど、その時の二人、いや翼先輩を含めて、誰が想像できたというのだろう。
優香は小説を含めて、芸術全般が苦手だった。苦手だということは嫌いでもあり、音楽、絵画、工作、そして文章を書くこと、そのすべてに自分の限界を感じていた。
だからと言って、他に得意なものがあったというわけでもない。勉強も苦手で、いつも成績はひどいものだった。小学生の四年生の頃までは、テストというといつも勉強を避けるようになっていて、勉強もせずにテストを受けるものだから、成績は最悪だった。
いや、勉強をしていたとしても、成績は最悪だったに違いない。授業中に聞いたことはノートに書いているが、書いたノートを見ても、全然頭に入ってこないのだ。つまりは自分が書いたことすら分からないほど忘れているということになるのだろう。
そんな優香が勉強をするようになったのは、五年生の頃からだった。友達の中に頭のいい人がいて、
「どうしてそんなに成績がいいの?」
と、他の友達に聞かれた時、
「素直に覚えようと思ったからかも知れないわね」
と言っていた。
優香はその言葉の意味が最初は分からなかったが、よくよく考えてみると、
――私は疑問から先に入ってしまうから、先に進まないんだわ――
と思うようになっていた。
最初に算数で感じた、
「一たす一は二」
という理屈。
先生から教えられたが、その理由については教えられたという意識がない。理由もなく、皆理解しているのを見ると、自分だけがおいて行かれたような気がしてきたのだろう。最初のきっかけを逃してしまうと、そこから先、進むはずがなかった。
それでも、点数はいつも零点というわけではない。最低の点数ではあったが、正解する問題もあったのだ。
――根本が分かっていないのに、他に理解できることがあるというのは、どういうことなんだろう?
根本が分からないことよりも、優香によって、算数の点数がいつも零点ではない事実にビックリしていた。
――根本が分かっていなくても、意外と何とかなるものなのね――
と感じていたからだ。
根本は基本という言葉と同意語に違いない。基本と根本、どちらが備わっていなければ先に進まないというのか、優香には分からなかった。きっと同意語であっても、どこかに違いがあると感じていたからで、基本という言葉をやけに強調する人はあまり好きになれなかった。
基本という言葉を、一般論だと考えたことがあった。優香の父親は、何かにつけて、一般論を口にしていた。
「普通の小学生は」
だったり、
「普通の中学生は」
と、いつも頭に、
「普通の」
という言葉をつけていた。
――普通っていったい何なのかしら?
と思わずにはいられない。
百人の人がいて、八十人近くの人が感じることが普通だというのだろうか。父親の話を聞いていると、どうしても、
「数の理屈」
だと思えて仕方がない。
「民主主義というのは、基本は多数決なのよ」
と、学校で社会の時間に習った。
普段はあまり授業中の先生の言葉を覚えていることは少ないが、この時の民主主義に対しての言葉は、なぜか覚えていた。
――基本って何なのよ――
と、基本という言葉に対して反応したからだったが、多数決という言葉にも反応したのは確かだった。
「先生、多数決というのは?」
と、質問した人がいた。
彼は成績が悪いわけではなかったので、多数決という意味を分かっていたのだろうが、質問をしたということは、先生に理屈として説明がほしいという思いがあったからに違いない。
「多数決というのは、決を採った中で、過半数を超えた方の意見を採用するという考え方だよ」
というと、
「じゃあ、決を採る内容が二つ以上あった場合はどうなんですか?」
と聞いた。
「この場合は、いくつか考えられるけど、一般的なのは、一番得票数の多かったものを採用するという考え方だね。でもね、それだと公正を期するという意味で中途半端だという考えのところでは、決を採った後で、一番得票を獲得した意見であっても、過半数に達していなければ、二番目に票を獲得した意見との間で、決選投票が行われるというやり方もある。そうすれば、必ずどちらかが過半数を超えることになるからね」
本当は、
「それでも同数だった場合は、どうするの?」
と聞きたかったのだろうが、この際、そこまでは問題としていなかった。
知りたいのは、あくまでも、
「どのように公正を期すかということ」
なのである。
優香はその話を聞いていて、どこか違和感があった。
――少数意見は、まったく無視されることになるのだろうか?
という思いがあったからだ。
ただ、決定しなければいけないことが山積している世の中で、多数決というやり方が一番しっくりくつやり方であることは認めなければいけない。そして、多数決というやり方も、昔の人が知恵を絞って考えたことだと思うと、ただ無意味な違和感を抱いているわけにはいかなかった。
――違和感を抱くには抱くだけのれっきとした理由が必要なんだ――
と感じた。
しかし、そう思えば思うほど、抱いた違和感がどんなものだったのか、忘れていく自分を感じていた。
ただ、優香は昔から、
「人と同じでは嫌だ」
という思いをずっと抱いてきた。
その理由を、小学生の頃によく言われた父親からの、
「普通の小学生」
という言葉が、どうしても引っかかるのだった。
父親と言い争ったことはなかった。親に逆らうことのない子供は、親の増長を許したかのようで、さらに父親は自分の言っている言葉に自信を深めたのかも知れない。