夢ともののけ
「人は、必ず過去よりも現在、現在よりも未来に希望を持っている。それを失って彷徨っている人もいますが、やはり、進歩し続けるものだって考えているから、そんな風にもなるんでしょうね。だから、時々人は過去を振り返ったりするんですよ。それは意識的にであったり、無意識にであったり、人それぞれ、そしてその時それぞれなんじゃないかって思うんですよ。そして、過去を思い出して瞑想したりする。その瞑想が小説のネタに繋がったり、読み手の人には、妄想のネタを元に、自分に照らし合わせて、勝手な想像をする。それこそ、その人の妄想なんでしょうが、瞑想と妄想とでは違うものなんだって、その時に感じるんでしょうね」
「というと?」
「瞑想は、発想する人にだけ与えられたものであり、妄想は発想する人であっても、与えられたもので想像する人であってもいいんですよ。それが、瞑想と妄想の違いなんじゃないかって感じます」
という彼に対して、
「私のイメージとしては、同じ意味にはなるんですが、瞑想は一人で耽るもので、妄想もどちらかというと一人で描くものなんだけど、そこに誰かの発想の介入があってもいいのかなって感じます」
と、優香は答えた。
「優香さんのイメージとしては、妄想の方がより具体的な感じなんですか?」
と言われて、
「少し違います。妄想は確かに無限の可能性を秘めているようにも感じるんですが、その分、危険性も感じるんです。妄想を抱くことで人との発想を共有することになり、まるで夢を共有しているかのような感覚になるんです」
「なるほど、そのイメージはよく分かります。私はよく瞑想するんですが、一人で瞑想していると、完全に時間を忘れているんですよ。まるで夢の中にいるような感覚とでも言うんでしょうか? でも、瞑想している時、妄想も頭を過ぎることがあるんです。瞑想と妄想って、共存しないもののように感じますが、僕の中では共存もありかな? って書煮たりもします」
と言われた優香は、
「自分が何かの発想に耽っている時、他の誰かが介入してくるとでもいうことですか?」
「優香さんは、瞑想に耽っている時、すべて一人の世界で終わっていると思っていますか?」
「あとから考えるからそうなのかも知れませんが、一人で耽っている時に、誰かの介入を考えたことはないと思います」
と優香がいうと、
「じゃあ、時々誰かに見られているんじゃないかって感じたことありませんでしたか?」
と彼に言われて優香は考えてみた。
「確かにありますけど……」
と言いながら、思い出してみた。
一番最近のことのように感じていることとして、確か家路を急いでいる時、いつも引っかかるはずのない踏切で引っかかったことがあった。
――ついてないわ――
と感じたのを覚えている。
その踏切を通る路線は単線のローカル線で、上り下りとそれぞれ一時間に一本ほどしかなかった。朝晩のラッシュ時であっても、二本あるかないかという廃線目前の路線だったので、踏切に引っかかること自体、実に稀なことだった。
「カンカン」
警笛の音が乾いた空気に乗って、少し遠くまで聞こえていきそうな気がしたが、静かなまわりに反響は、それほどしていないようだった。
踏切で待っている人は誰もいなかった。車も一台通りかかった程度で、その車も、すぐに横道に逸れて、別の道を行くようだった。
踏切で待つこと一分ほどだっただろうか? まわりには誰もいないはずなのに、優香は変な胸騒ぎを覚えた。
――誰かに見られている?
前後ろ、左右と見渡してみたが、誰もいない。踏切の横には道がすぐにホームがあったが、そこに誰も待っているわけではなかった。降りる人はいるかも知れないが、この駅から夕方のこの時間、乗りこむ人がいるとも思えなかったので、当然のこととして認識していた。
優香はその時、
――まるで夢を見ているようだ――
と感じた。
別にその踏切でまわりに誰もいないことを不思議に感じることはない。車が逸れたのも、線路に平行に走って、もう一つ向こうの踏切を使おうと考えただけのことであって、普段からあまり人通りの少ないこの道で誰とも出会わないのも、不思議ではない。何しろ降りる人はいても乗る人のいない駅でのことなのだ。他では不思議に感じることでも、ここでは当たり前のこととして認識されて当然であった。
優香が夢を見ていると感じたのは、誰もいないはずのその場所で、違和感があったからだ。その違和感は、
――誰かに見られている――
という感覚で、誰もいないことを当然だと思っている場所で、誰かに見られていると思うのは当然のように違和感である。
しかし、その違和感がゾクゾクとした寒気であり、身体に気だるさをもたらすものであると感じた時から、夢を見ているという感覚に陥った。
しかし、夢で身体に違和感を感じるというのは、矛盾していることである。夢は見るものであって、身体が感じるものではないからだった。
ただ優香はその時の光景を、
――今までにも同じような感覚を味わったことがある――
と感じていた。
それは、最近のことではない。少なくともまだ小さかった頃のことだったように思えた。そう思うと、その時の優香も、
――本当の自分はもっと年を取っているのかも知れない――
と感じた。
踏切に差し掛かっている優香が、
――私って、今いくつなんだろう?
と感じると、急に我に返ったかのようになり、気が付けば、自宅のベッドで寝ていた。
――やはり夢だったんだ――
と優香は感じた。
夢にしてはリアルさがあったが、リアルなのは身体が感じた感覚だけであり、実際に見ていた夢を思い出すことはできなかった。
夢は目が覚めてしまうと、どんな夢を見ていたのか、覚えていないことは往々にしてある。忘れてしまったといってもいいのだが、気になる夢は意外と覚えていたりする。
だが、この時の夢を優香はそれから何度かちょこちょこと思い出すことがあった。思い出したといっても、一瞬のことであり、またすぐに忘れる。その思いが、
――今までにも同じような感覚を味わったことがある――
というものに結びついているのかも知れない。
優香は踏切で待っている間の感覚を夢だと思いこんでいる。実際に夢なのかどうか分からないが、夢だと思いこむことが優香の中での信憑性なのであった。
――夢だと思わないと、踏切で待っているという出来事を思い出すことができない――
と感じていた。
夢というのは実に都合のいいものだ。
自分で信じられないようなことはすべて、
「夢だったんだ」
という思いで解決できる。
さらには、夢を見たということを自分に言い聞かせることで、表に出したくない自分だけで抱えておきたい思いが、その時には存在していたということの証明でもあった。それがどんなことなのか分からなくても、その存在を意識することができる。いつかそれが自分の潜在意識として表に出てくることがあるのだと思うと、夢を見ることを優香は否定する気にはなれなかった。
友達の中には、
「夢なんて見るもんじゃないわ」
と言っている人がいた。
「どうして?」
と聞くと、