夢ともののけ
「ちょっと待って。話が飛躍しすぎていて、私にはついて行けないわ」
と、優香は自分の頭の中が混乱しているのを感じた。
「僕が小説を書いているというのも、これから起こることを書いているわけで、それこそ夢を共有している証拠だって言えるんじゃないでしょうか?」
優香の混乱をよそに、彼はまた別の話を始めそうだった。
「別に話を広げているわけではないですので、そう難しく考える必要はないですよ」
と、優香の気持ちを察しているかのように彼は言った。
「あなたの書いている小説って、今この瞬間のことを書いているんでしょう? ということは、この会話も最初から分かっていたことであって、そう思うと私は誘導されているんじゃないかって思えてくるの」
と優香がいうと、
「その感情は、今この状況でなくても、感じることってあるんじゃないかな? 本人は忘れているだけで、同じような感情を持ったことは過去にも何度かあったと思うんだ。改まって考えてみるとどうだい?」
と言われて考えてみた。
「そういえば……」
優香は、彼の話にどんどん引きこまれて行くのを感じた。
「小説を書いている時の自分を客観的に考えてごらん」
と言われて優香は、彼の言葉に素直に従った。
「私は小説を書けるようになるまでに、結構時間が掛かったと思うの。それまでにいろいろ試行錯誤を繰り返してきたってね」
というと、
「それは誰でもそうだよ。君に限ったことではない」
彼は、少しでも優香が考えに入ったり、言葉に詰まったりすると、口を挟んでくる。
最初は嫌だったが、次第にそれも慣れてきたのか、嫌ではなくなってきた。むしろ口を挟んでくれた方が話しやすい気がする。それだけ彼は誘導尋問がうまいというべきか、気を遣っているというべきか、優香にはありがたい気がした。
「元々は自分の部屋も机の前に座って、原稿用紙を目の前にして書いていたんだけど、書けることといえば数行だけで、すぐに結論に至ってしまう。話にも何もなったものではなかったわ」
と、思い出しながら話していると、少しイラついてしまっていたようだ。
「それで?」
彼はそんな優香の気持ちを折ることもなく、先に進めさせた。
「それでね、次に考えたのは図書館だったの。図書館だったら、まわりの雰囲気に自分も触発されるんじゃないかって思ってね」
「でも、ダメだった」
「ええ、却って恐縮してしまって、結局ダメだったのよ」
「それは恐縮ではなく、自分がその場に行けば、まわりの雰囲気に呑まれてくれるという他力本願な気持ちがあったからよね。でも、実際に行ってみると、正直な自分が顔を出した」
「ええ、だから、小説を書くというよりもまわりが気になってしまって、皆何を考えているのかというのばかりが気になってしまったの」
「惜しかったね」
「えっ? どういうこと?」
「そこまで行っているんだったら、せっかくまわりが何を考えているかを見ているわけでしょう? そこまで来ているのなら、どうしてその思いを貫かなかったのかな?」
言われてみれば、ハッとした。
「その時は、雰囲気に圧倒されていたのかも知れないわ」
「それは違うね。君は自分が想像していたものと違ったことで、自分の中で対応ができていなかった。だから軽いパニック状態に陥って、何も考えることができなくなってしまった。しかも、そのことを自覚していないので、図書館ではできないと思いこんでしまったんでしょうね」
「そうかも知れないわ」
「それから?」
「それから私は喫茶店に行って書くようになったの。原稿用紙もやめて、ルーズリーフだったりレポート用紙だったり、縦書きもやめて横書きにしたの。それがよかったのか、それから書けるようになったのよ」
「喫茶店だったら、描写するにはもってこいだからね。表を見れば歩いている人、車の量からちょっとしたハプニングまで、いくらでも見ることができる。店内を見渡せば、一人の人を集中的に見ることもできるし、あなたとしては、願ったり叶ったりだったんでしょうね」
「ええ、その通りです」
「要するに小説を書くというのは、想像力なんですよ。これはフィクションに限らず、ノンフィクションでも同じことだと思うの。そしてその想像力が小説として表に出ると、それが感性という言葉に変わる。あなたは、感性という言葉が好きでしょう?」
「ええ、好きです。感性を持っていると言われるのが一番嬉しく感じますからね」
「それは僕も一緒です。新しいものを作り出そうとする人には不可欠なものが想像力であり感性なんです。一見、違ったものに思われがちですが、続いているんですよ」
「まるで出世魚のようですね」
と優香がいうと、彼は声を出して笑い始め、
「そうそう、その通り。今の表現もあなたの想像力が作り出した賜物であり、まさしく感性なんですよ」
と言われた。
普段の優香なら、ここまで声を立てて笑われるとバカにされたかのように感じるが、この時はそんな感覚はまったくなかった。
――ただ、褒められている――
という思いが強く、優香は彼をじっと見つめていた。
「僕が書いているこの小説だって、想像力で書いているんですよ。そしてその内容は、今ここで話している会話の内容なんですよね。僕の方が少し早く書いているんですけどね」
「どうしてそんなことができるんですか?」
「優香さんは小説を書けるようになった本当の理由を自分で分かっていますか?」
と言われて、少し考えたが、
「分かっているつもりでいます」
「どんな感じなんですか?」
「最初は、まったく何も書けなかった。書けなかったというよりも、目の前のことをただ書くだけで、数行で結論に達してしまう。だから、描写が必要になってくるんですよ」
「文字数稼ぎですね?」
「ええ、一言で言えばそういうことなんですが、他の人の書いた小説というのは、読んだだけでいろいろ想像できてくる。そのためには、一つのことを表現するのに、二つや三つ思い浮かべて書いてみる。そして、その中の一つをさらに細分化して考えてみると、さらに分かれてくる。それを繰り返しているうちに、何となく書けるようになってきたんですよ」
「自分で読み返してみましたか?」
「ええ、読み返してみると、書いている時よりもさらに想像力が増えるような気がして、嬉しくなりました」
「今も読み返しているんですか?」
「今は、一度書いた小説は、最後まで書き終えなければ読み返すことはしなくなりましたね」
「どうしてですか?」
「第一印象を大切にしようと思ったからです。でも、今は少しその考えが変わってきていますけど」
「というと?」
「確かに最初は第一印象を大切にしようと考えたことが始まりだったんですが、第一印象から何か派生させることを途中で嫌うようになったんです。小説が変わっていく気がしたからですね。でも、私の小説って最初に思い浮かんだ内容と終わってみれば変わってしまっているのが結構あるんです。それはいいと思っているんですが、最初に感じたことは貫いているつもりなんですよ。それはきっと、途中でブレないからだって思うようになったんです。つまりは省みないことだってね。だから、途中で読み直すことをやめました」