夢ともののけ
最近は自分にある程度余裕のようなものが現れていると思っていた優香なので、屁理屈などという言葉を自分が使ったということに違和感があった。
「でも、あなたには私のしようとしていることが分かるというの?」
と聞くと、彼は書いていう小説の手を止めて、優香の方を見た。
「僕には、予知能力のようなものがあるのかも知れないんだよ」
と言い出した。
「それはどういう意味?」
急に話を変えられた気がしたので、拍子抜けした気分になった優香だったが、自分でもキョトンとしているのが分かる気がした。
「これが、今あなたが僕に聞いたことへの一つのヒントになるんだよ」
――そういうことか?
彼は話を変えたつもりはなかった。
自分に浴びせられた質問の答えを、相手に考えさせる形で返していると言えるのではないか。そう思うと、じれったさも感じられたが、これが彼のやり方なのかと思うと、無理もないような気がした。
ただ、優香に彼が何を考えているかなど分かるはずもない。やはり彼の顔色を窺うような表情になるのも仕方のないことだ。
「予知能力というのは、僕があなたのする行動に対して、前もって分かっているということなんだ。しかも、ひょっとすると君が何かをしようと感じるよりも前に、僕の方が分かっているんじゃないかって思うくらいなんだ」
「それは興味深い話ね。確かにそれが本当なら、あなたは予知能力があると思っていいかも知れないわね」
「ええ、でも予知能力というのが、あなたの考えている予知能力とは違っていると僕は思っているんです。もう一ついうと、私には、さらに別の力が働いているのかも知れません」
またおかしなことを言い始めた。
「その力というのは、予知能力と一緒に働くものなの? それとも予知能力の代わりになるものなのかしら?」
優香は自分でも、
――何を言っているんだろう?
と感じた。
しかし、彼は、
「なかなか鋭いところをついてきますね。確かにあなたの言い通りです。僕がさらに別の力と言ったものは、予知能力とは別のもので、一緒に働く力ではないということですよ」
と言った。
「それはつまり?」
優香には別の言葉が浮かんでいたが、彼が数秒後に自分が考えていた言葉を口にしたその時、身体が震えるのを感じた。
「ええ、あなたも分かっているようですが、それは予知能力ではなく、予言に近いものですね」
「予知能力と予言って違うのかしら?」
優香はあらたまって感じた。
「違うさ。予知能力は先に起こることを分かっていて、口にすること。それが能力だからできるのよ。でも予言は、分かっているわけではなく、ある意味、感じたことを口に出しただけ、能力というのとは違うものなんだよね」
「あなたは、予知能力者なの? それとも予言者なの?」
と優香が聞くと、
「僕は予言者さ」
と、彼は迷うことなくそう答えた。
「でも、予知能力もないわけではない。予言ができている自分が表に出ている時、予知能力を保持している自分が隠れているだからね」
と続けたのだ。
「予言者と予知能力の違いが、いまいちよく分からないわ」
と優香がいうと、
「そうかも知れないね。僕もハッキリとその違いを証明することはできないよ。でもね、予言者は自分の言ったことが本当のことになるという事実を保持している。つまり、そのことに対しての責任も持っているということなんだよ」
「私は嫌だわ」
優香は、即答した。
「僕だって、そんな責任は負いたくない。でも、予言したことが悪いことばかりでなければ、それもまんざらでもない気がしてくるんだよ。人間って、意外と自分が予言者でありたいように思っているけど、責任の二文字が目の前にぶら下がっていると、躊躇してしまうよね」
と彼がいうと、
「それは誰だってそうよ。だからあなたもそうなんでしょう?」
「そうなんだけど、実際にその立場になってみると、結構楽しいこともあったりするんだ。何しろ自分が感じたり念じたりしたことが現実になるんだからね」
という彼に対して、
「それは、他の人に対してのことなの? それとも自分にも言えることなの?」
と聞いてみた。
「自分に対してもそうだよ。でも、自分に対して予言する時って、そのほとんどはあまりよくないことばかりなんだ。だから、僕はなるべく自分のことを予見できない状態であってほしいって思っているんだ」
「でも、それだったら、楽しいことなんて何もないんじゃない? 自分がよくなることを予言できるから楽しいんじゃないの?」
「そうでもないさ。まわりが自分の予言通りに動いてくれるというのも、結構快感になるものだよ。それが分かっていないと、予言なんて絶対にしたくないからね」
「予言って、しなくてもいいの?」
「ああ、別に誰かのことが分かったからと言って、それを僕の口からいう義務はない。そんな権利もないし、つまりは義務がなければ権利もないし、権利もなければ義務も存在しないのさ」
優香はその言葉を聞いて、
――当たり前のことを言っている――
と感じた。
「でも、せっかくの力があるのに、それを使わないというのは、どうなんでしょう?」
というと、
「じゃあ、力がある人には無責任なことを口にしてもいいという特権でもあるというのかい? そんなことはありえないよ。その時はそうでなくても、後になって後悔するのが見えているから、僕にはそんな力は本当はいらないと思っているんだ」
「でも、楽しいこともあるんでしょう?」
「うん、あるよ。今がそうかも知れない。僕が誰かの夢の中にいる間は、何を予言しても、それはその人の夢の中でしかないんだ」
「そうよね」
「だから、僕が予言していることも大したことのないことだと思って考えてくれればいいんだ」
と、言って彼は自分が書いている小説を見せてくれた。
「いいの?」
「ああ、もちろんさ。ここは君が作り出した世界なんだからね」
と言って、快く笑っているように見えた。
優香は彼が書いている小説を読んでいると、さっきまで忘れかけていたものを思い出したような気がした。
「これって?」
「そうだよ。さっきまで君が見ていた夢さ。でも、何となくおぼろげにしか感じないんだろう?」
「ええ、そうなのよ。どうしてこんなにおぼろげなのか、私も不思議なんだけどね」
と優香が言ったが、
「そんなことはないだろう。君にはその理由が分かっているように思うけどな」
と彼に言われて、優香は自分の思っていることを口にしてみようと思った。
普段なら決して口に出さないようなことを口に出すというのは自分でも不思議な感覚だった。
「私、夢というのは、目が覚めるにしたがって、忘れていくものだって思っているのよ。目が覚めるまでには結構時間が掛かっていて、その間に忘れていくっていうのかしら?」
と優香がいうと、
「そうかな? 君は夢というものを勉強したことがあるんじゃないかい? 最初はそのつもりはなかったのかも知れないけど、本を読んだりしているうちに興味を持ってきたというような感じだね」
と言われて、