夢ともののけ
――自分がその世界に入り込んでいたんだわ――
と思うのだった。
夢を見ている世界にたくさんの矛盾を感じているのだから、小説を書いている自分も、いろいろな矛盾を感じているように思えた。
――ひょっとすると、小説の原点というのは、矛盾が作り出したものなのかも知れないわ――
と感じた。
夢の世界も、小説の世界も、同じ別世界。しかし自分が作り出したものに他ならないことは確かである。
小説の作者に、優香は尊敬の念を抱いているが、自分の書いた作品に対して、自分への尊敬の念は浮かんでこない。
――矛盾を感じながら書いているからではないか――
と、優香は感じた。
矛盾が力になるということを初めて教えられたのは、小説を書くようになってからだ。――他の誰もそんな発想になることってないでしょうね――
と思っていたが、それを覆したのが、小説の中に登場させた小説を書いている彼だった。
優香は自分が書いている小説を自分の小説の中で描くと、矛盾が矛盾でなくなってしまうように思えた。だから、まったく別の人物を作り上げて、その人に夢の中にいるもう一人の自分を描かせるようにすれば、矛盾を矛盾としてではなく、新鮮なものとして描けるのではないかと考えるようになった。
優香は、小説を書いているその青年の考えていることは手に取るように分かっているつもりだった。もちろん、小説を書いている時だけのことであって、我に返ってからの優香には、小説に出てくるただの登場人物だとしてしか、浮かんでこなかったのだ。
「小説を書くのって、面白いよね」
小説の中の彼は、そう呟いた。
誰に対して呟いたのか、優香は敢えてハッキリさせようとは思わない。
小説を書いているのは、その小説では彼だけではなかった。小説サークルの中で他にも小説を書いている人はたくさんいる。むしろ、サークルが登場場面なのだから、登場人物のほとんどは小説を書いていると言ってもいいだろう。
だが、登場人物で彼以外の人の顔はハッキリとしない。夢を見ている時には分かっているのだろうが、目が覚めれば、顔が真っ黒でハッキリとしない。主人公の彼は表情だけが分かっているが、顔はハッキリとしない。まるで写真を見ているかのようだった。
――表情だけが分かっているというのは、どんなにか気持ちの悪いものだ――
というのは、我に返った時に感じたことだ。
夢を見ていたわけではないので、小説の中でイメージしたことを、我に返って思い出すことはない。
思い出したとしても、それは小説を書いている時に感じた直観とは違い、主観のようなものが入り込んでしまっている。
その理由が、時間が経っているからなのか、それとも一度我に返ってしまってから感じることだからなのか分からない。とにかく優香は、小説を書いている時と、夢の中の時とを混同して考えてしまわないようにしようと心掛けていた。
「小説を書いていると、まるで自分が別の世界にいるような気がしてくるんだ」
と、彼はキーボードに文字を打ち込みながら、話をしていた。
――すごい――
それを見て優香はそう感じたが、
――小説を書く時というのは、神経を集中させていなければできないことだ――
と考えているからで、それは優香に限ったことではないだろう。
それなのに、キーボードに集中しながら返事ができて、しかも自分の意見を言えるというのだからすごいことであった。った。
「あなたは、今僕がこうやってあなたと話ができていることを不思議に思っていませんか?」
と言った。
まるで優香の気持ちを悟っているかのような言い方ではないか。自分の気持ちを見透かされているようで、少し怖くなった。
「どうして、そのことを分かったんですか?」
というと、彼はニコッと笑って、
「よく分かりますよ」
と一言言った。
それを聞いて優香は、二つのことを考えた。
――この人は、自分が考えていることに相当な自信があるのだろうか?
ということ、そして、
――よく分かるということを相手に示すことで、自分の優位性を保ちたいと思っているのだろうか?
という思いだった。
後者であれば、彼は前者ほど自分に自信を持っていないことになる。むしろ自信がない分、少しでも相手に勝る部分を見つけて、それを宣伝しようと考えているのではないかと思えるのだ。
優香は彼がどちらなのか分からなかった。ただ、ニコッと笑ったのを見ると、前者ではないかと思えていたのだが、それも自分の勝手な思い込みなので、何とも言えなかったのだ。
「あなたは、魔術師のようですね?」
と優香は訊ねた。
「そうですか? でも、まんざらそれも筋違いな話ではないような気がしますよ」
と彼は言った。
「どういうことですか?」
「ここは、あなたの夢の中の世界。あなたが考えていることが現実になるはずの世界なんですが、ただ、夢の世界というのが果たして本当に夢を見ている人が支配している世界なんでしょうか?」
まるで禅問答のようである。
「ますます言っている意味が分からない」
「僕も少し話を膨らませ過ぎないようにしないといけないですね」
と言って、またしてもニッコリと笑った。
彼は続けた。
「僕はね。あなたがこれからしようとしていることが分かるんですよ」
と、また訳の分からないことを言い始めた。
「それが、あなたが魔術師だっていう意味なの?」
「いいえ、違いない。あなたは、僕があなたのしようとしていることをすべて把握していると思っているでしょう?」
「だって、今そういう言い方したじゃないですか。まるで自分が私のすべてを分かっているかのような言い方をね」
と優香が言うと、
「それは誤解ですよ。私はこれからあなたがしようとしていることが分かると言っただけですよ。何もあなたのことをすべて分かっているなんて言い方はしていませんけど?」
と彼が言った。
その言葉を聞くと優香は少しイラッとした。
「そんなの屁理屈よ」
と思っていることを、思わず口にしてしまった。
すると、また彼は笑った。その表情に今度は余裕が感じられたので、優香は余計に腹が立った。
「屁理屈なんかじゃないですよ。一つのことを聞いて、勝手に思いを膨らませるのはよくないことだと思いますよ。あなたはそういう傾向にあるように思えるんですが違いますか?」
と言われて、
「その通りです」
とさすがに答えられなかった。
ただ、実際は彼の言っていることが間違っていないような気もして、優香は自分の言った屁理屈という言葉自体に反応しなかったことに今度は腹が立った。
優香自身、普段から屁理屈などという言葉を使うことはなかった。事実、優香は屁理屈という言葉は嫌いだった。理屈に合わないことをいう人はたくさんいるが、それは屁理屈という言葉で片づけてはいけないような、人それぞれに理由を持っていると思っていたからだ。
それなのに、いきなり何を急に屁理屈などという言葉を使ったのか、完全に衝動的だったと思っている。
――屁理屈なんて言葉、余裕のない人間がいう言葉だわ――
と思っていた。