夢ともののけ
優香が書く小説は、最初の頃、矛盾に満ちていた。
「分かりやすくて誰もが読めるような小説にしたい」
と考えていた。
なぜなら、
――自分が読んで読みやすい小説だったら、書けるような気がする――
と思ったからだ。
実際に読みやすい小説家の小説を模倣して書いてみたのだが、これがまた難しい。人のマネをするのがこんなにも難しいことだというのを、小説を書くということで実感するとは、優香は思ってもいなかった。
人のマネをする人を、優香は好きにはなれない。モノマネというジャンルのプロには一定の尊敬の念を持っているが、それ以外で、人のマネをしてみたり、人が作ったものをマネて作ろうとしたりする人を、優香の中では、
「許せない」
と感じていた。
自分がやらないのはもちろんのこと、そんなことをする人を軽蔑もするし、その人の気持ちを推しはかろうなどと最初からしようとも思わない。
――自分とは別の世界の考え方だ――
と思えればいいのだろうが、それだけでは自分の中の虫が許さない。
――どうしてこんなにイライラするのかしら?
人のことなので、放っておけばいいのに、人のマネをすることが自分の特徴でもあるかのように考える人を思うと、無駄に自分の身体に力が入ってしまうのを感じていた。
まるで発熱した時のように身体がブルブルと震える。そんな状態の中で、汗を掻いているはずなのに、なぜか汗がしたたるようなことはない。ただ、身体が焼けるように熱い。まるで熱が上昇中の身体のようだ。
身体の中は寒気を感じているのに、身体の外には熱が放出されている。
「熱があるのに、どうしてブルブル震えているのだろう?」
という単純な疑問に、どうして誰も陥らないのだろう。
きっと、誰もが陥ったことはなくとも、熱が身体に籠ってしまった時に自分の身体がどうなるのかを、潜在的に知っているのかも知れない。
もう一人の自分の近くで小説を書いている青年。彼がどんな小説を書いているのか、優香は気になってしまった。
優香は自分の小説の登場人物であるその青年を実はよく分かっていない。
――とにかく、誰か一人登場させよう――
という程度にくらいしかその青年を書き足すことに意識を止めることはしていない。
その青年に対してどのようなイメージを持つかというのは、小説を書いていて、書きながらイメージしていた。
これは今回に限ったことではなく、今までにも何度も同じような経験をした。
優香は小説を書くのに、最初亜Kらプロットのようなものを立てて書くようなことはしなかった。
――最初から小説というものをうまく書けるようだったら、プロットを組み立てて書いていたかも知れないわ――
と感じていた。
小説を書くことができるようになるまで、何度も試行錯誤を繰り返してきた。
最初は原稿用紙を机の上に置いて、自分の部屋の勉強机で書こうと思っていた。
だが、原稿用紙を見つめていると、頭の中に何も浮かんでこないことが明白になってきた。どうして思い浮かばないのか、まったく分からなかったが、
「視点を変えてみればいい」
と、何かに行き詰った時のアドバイスを誰かが誰かにしているのを聞いた時、
――他の場所でやってみるか――
と考えた。
そこでやってきたのが、学校の図書室だった。ここでなら静かだし、集中するにはもってこいだったはずだ。しかし、静かすぎて今度はちょっとした物音にすら敏感になっている自分に気付いた。そしてすぐに気が散ってしまい、
――かしこまってしまっているんだ――
と感じることで、図書館も自分の場所ではないことに気付いた。
次にやってきたのが、ファミリーレストランだった。ファミレスの窓際に腰を下ろし、さすがにまわりの人から原稿用紙を広げているのを見られるのが恥ずかしいと感じたのか、レポート用紙を使うようにした。
元々原稿用紙は縦書きだったのだが、レポート用紙を横書きにして書くようにすれば、思ったよりもスムーズに書けるようになっていた。
――これはいいかも知れない――
ファミレスだと、少しうるさいのさえ気にしなければ、かしこまった様子もなく、気軽に寛げる。図書館のように、ちょっとした音でも敏感に反応して、ドキッとしてしまうのであれば、集中どころではないからだ。
しかも、ファミレスというところは、いろいろな人がいる。表を見れば、それこそ無表情で歩いている人ばかりなのだが、その思いがさまざまだと思うと、勝手な想像が浮かんでくるから不思議だった。
――人間観察というか、絵を描く時のようなデッサンとイメージすれば、文章はいくらでも出てくるような気がする――
と思えてきたのだ。
実際にはそこまで都合よく文章が頭の中に出てくるようなことはなかったが、人間観察を重ねることで、少しづつ文章を書くことができるようになってきた。
――要は継続が問題だったんだ――
数行で結末を迎えるような文章、中身のない文章しか書けなかった自分が、今ではウソのようだと思えていた。
小説を書いていると、書きながら、次第に先の展開を想像することができる。逆に言えば、想像することができなかったので、小説を書くことができなかったのだと言えなくもない。
優香は小説の中で、小説を書いているその人がどんな小説を書いているのかを、本当はあまり表に出すつもりはなかった。しかし、ちょうど彼が登場したあたりでいったんその日の執筆を終了し、睡眠を摂った時、その時に夢の中に小説に登場させたその人が夢の中にも登場したのだ。
最初、それが夢だと思っていなかったこともあり、その人は実在の人物だという意識があった。
その人は寡黙で何も語ろうとしない。優香はそのことが気になっていたのだが、まわりの他の人は、彼のことを意識している人などいないようだった。
――どうして、こんなにも目立っているのに、誰も意識しようとしないのかしら?
と優香は感じたが、
――ひょっとして、他の人には見えないんじゃないかしら?
と感じると、今優香が見ているのが夢ではないかと感じるようになった。
夢だと思うようになると、その人の存在を打ち消さなければいけないという意識が頭をもたげた。なぜなら、その人の存在を打ち消さなければ、優香は今見ている夢から覚めることができないと思ったからだ。
つまりは、
――眠ったまま起きることがない――
という感覚だが、本当にそんなことがあるのか、夢の中だからこそ生まれた発想なのだという思いもあった。
それこそ矛盾が作り出した発想であり、だからこそ、夢を見ているのだと言えるのではないか。
優香は小説を書いていて、自分が小説の世界に入り込んでいるという意識を持ったことはなかった。逆に書き終えて我に返った時、
――さっきまで小説の中に入り込んでいたんだ――
と感じていた。
つまりは、小説を書いている時に感じたことではなく、書き終えてから初めて我に返るということになるのだろう。
小説というものが、夢の世界と同じだという発想を持ったのは、別世界が開けているからだという発想からだった。しかも夢の世界も、小説の世界も、覚めたり我に返ったりして初めて気付いた時、