短編集63(過去作品)
工場といっても、ケミカル工業のようなものではなく、煙突からの公害などもないことは住民に安心だった。町役場も綺麗に改装され、いずれは市役所としての機能を果たすだけの立派な建物へと生まれ変わった。
街の中には昔からの祠や神社などが残っている。そこには絶対に手をつけないというのが条件での工場誘致でもあった。
マンションが立ち並び、麓には工場ができた中で、反対側の麓には大きな神社が聳えている。
対抗しているわけではないが。神社にはいつも幟が立てられていて、五穀豊穣を願っている昔からの光景が見られている。工場関係の土地と、農業の土地が、街の中心から真っ二つに分かれてしまっているのも、逢坂の特徴である。
神社側の境内まで行けば、その光景は一目瞭然であった。農地で忙しい人、マンションや工場建設での人の往来、見た目には違和感が残ってしまう。だが、後にも先にもそんな光景は二度と見れないだろうと酒井は感じていた。
「ここほど昔ながらの田舎の風景が残っているところも珍しいかも知れないな」
というと、友達が、
「あるにはあるだろうが、そんなところは陸の孤島で、開発など対岸の火事みたいなもので、昔からの光景がのどかに残っているだけだろうな」
と答えたが、まさしくその通り、酒井は頷くだけだった。
「まるで発掘みたいだな」
というと、
「何か出てくるかも知れないぞ。何しろ信長伝説の村だからな」
「信長伝説といっても、本当なのかね?」
「分からないけどな」
誰もが半信半疑である。そう感じたのはその時だった。
小さい頃に、祠を探検したことがあった。祠の裏には小さな井戸があり、井戸には柵が張ってあった。
枯れ草に覆われていて、普通に見た分には井戸だと分かりにくいほどで、使われなくなってからかなりの年月が経っていることを示していた。
近くに住むおじいさんに井戸のことを聞いてみると、その井戸には曰くがあったのだ。
古くは本来の井戸水として使われていたようなのだが、そのうちに隠し通路の一環として利用されるようになった。
祠にも隠し通路があるが、祠の隠し通路などは、あからさまに怪しまれるだろうから、実際の隠し通路には幾重にも罠を仕掛け、縦横無尽に張り巡らされた隠し通路の中で、敵を殲滅する作戦が立てられる。
実際に隠し通路で敵を殲滅したという記録は残っていない。そのために井戸の隠し通路もあくまでも伝説として残っているだけで、本当のことかどうか、分からない。だが、酒井はその情報を本当のことだとして固く信じていた。
根拠があるわけではないが、隠し通路や防空壕などに興味があった。人が敵から隠れるために作られたもので、その中に隠れていた人がどのような精神状態だったのかということが気に掛かるのである。
井戸の中を覗いたが、とても底が見えるものではない。深いのか浅いのかも分からない。ただ、石を落とすと、しばらくして乾いた音が響くことで、かなり深いと思わせる。
静寂の中での乾いた音がどれほど気持ち悪いものであったか、その時の心境を思い出しただけでもゾッとする。子供だから気持ち悪かったのかも知れないが、今同じことをしたとしても、同じ気持ち悪さを味わうように思えてならない。
それほどの気持ち悪い井戸が、湿気を含んだ森に囲まれている。
森の正面にある祠はいつも太陽を浴びているが、森に囲まれて日の目を見ることのない井戸は、ジメジメした環境の下、絶えず不気味さと背中合わせなのだ。
――信長の時代にもあったのだろうか――
同じ空を見上げ、どんな気持ちでいたのだろう。信長にも子供の頃があったはずだが、彼は「うつけ者」と言われて育った異端児である。彼の心境とはかなり違うであろう。
――だが――
何か心に引っかかる。どうしても信長が見たであろう数百年前の空の風景と同じに思えてならない。
――自分にも信長と同じ血が流れているのかも知れない――
とまで感じたほどだ。
信長伝説の中にある、村の女性との間に子供を設けていたというのを思い出した。根も葉もないことかも知れないが、伝説というのは無視できない何かがある。
村の女性の中には、抵抗したものもいたはずだ。子供だった頃、女性が蹂躙されることの重大さを知らなかったにも関わらず、自由を奪われることへの違和感は感じていた。男であっても女であっても同じ心境である。
山の麓にある神社、ここにも井戸があった。祠の井戸と違って、いつも太陽の光を浴びている。
何といっても、今でも現役として活躍している井戸であった。夏になればスイカを冷やしておいたり、井戸水が農業用水として利用されているので、村にはなくてはならないものである。
それに比べて祠の井戸は忘れ去られている。忘れ去られているものに対して、気になってしまうのも酒井の性格であった。
天邪鬼と言われることもあった。人が好きなものには興味を示さず、マニア的なところに興味を示す。
好きなマンガもホラーで、人が気持ち悪がるものを好んで読んだものだ。人に話をしても誰にも分からないので、人に話すこともない。かといって、皆が興味を示すものを読んで、皆と話を合わせることも嫌だった。
――ミーハーといわれたくない――
と思っていたのだ。
音楽はクラシックが好きだった。田舎に住んでいると、都会の歌謡曲やポップスに興味を抱く。それは都会の人たちが普通に興味を抱くのとは違い、
「これを聴くことで、都会の仲間入りができるんだ」
というような精神的なものが嫌だったのだ。
都会への憧れは悪いことではない。ただ、
――何でもかんでもマネをすればいいというような考えはいかがなものか――
といつも思っていた。そこが天邪鬼と言われるゆえんだったに違いない。
そんな性格が都会で受け入れられるか、最初は心配だった。
だが、取り越し苦労だったようで、うまい具合に、進んでいる。
想像以上と言ってもいいかも知れない。自分のまわりに集まってくる人は酒井にとってありがたい人ばかりである。酒井が望むことは相手から何でもやってくれるような、そんなところがあった。
友達は決して多い方ではないが、量よりも質とでもいうのだろうか、自分にとっていい友達であることが一番であろう。
それでも最初は田舎者扱いされたものだ。何とか田舎から出てきたことを隠そう隠そうとしたからで、
――どうせバレるのであれば、田舎者らしい態度でいいや――
開き直りに近かったかも知れないが、そのおかげで、まわりの見方も少しずつ変わってくる。
一目置かれるようになった。
会話が増えてくると、皆酒井への興味を深めてくる。自分たちにないものを酒井が持っていることに憧れのようなものを抱いているようだ。酒井には自分のどこにそんな力があるのか分からないが、話をしているうちに尊敬の念を持たれて行くことは分かっていた。
都会での生活は今までの生活と違って、何もかもが初めてのものだった。それでもまわりが教えてくれることで、あっという間に何でもできるようになっていた。
――これも自分の才能なのだろうか――
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次