短編集63(過去作品)
信長伝説の村
信長伝説の村
逢坂市にはおかしな伝説が残っている。
「信長伝説」と言われるもので、小さい頃にはそれが何を意味しているのかまったく分からなかった。
高校生くらいになると、織田信長という武将に興味を持ち、本を読んだりして勉強もした。大学に入って他の土地に暮らすことになると、今度は、それまで勉強してきたことと、微妙な違いに直面することになった。
信長について、普通に興味を示す分には、その違和感はないのかも知れない。微妙なところでの違いだからである。だが、図書館や歴史の教授と直接話をしたりしていると、話が途中で食い違ってくるのである。何がどこで食い違っているのかハッキリとしないのだが、興味を持って勉強した人間には、違和感が強まることだろう。
織田信長というと、戦国時代の武将で、天下統一を目の前に、家臣の明智光秀に京都にある本能寺で謀反に遭って、殺害されてしまったという事実だけを知っているくらいの人はまったくの論外で、時代背景から考えられる信長の性格や考え方を深く考えた人ならばどこかに歪みを感じることだろう。
子供の頃に聞かされた織田信長伝説では、信長という武将は、性格的に粗暴に見えるが、実は精密な考え方の持ち主で、いろいろな地域に自分の考えを根付けしようと、密使をたくさん遣わせ、さらには、子孫を増やすために、その村の女性との間に子供を設けることを薦めたという。
さすがに子供相手に詳細な内容を話すわけにも行かず、ただ、野望と精密さの中に計算された行動が絶えず信長にはあったということだけは頭に残った。
それは間違いではないだろう。信長は海外との貿易や、政治体制において、当時の常識を覆して、先を見ていたことは明らかであるからだ。その中に異人との交流が深かったことも歴史としての事実でもある。
逢坂村には、異人伝説もある。どこかの国の船乗りが座礁した場所から彷徨い歩いて、逢坂村にやってきたというのが信長伝説の始まりでもあった。異人と信長が出会った経緯についてはハッキリとした文書は残っていないが、村の伝説として大切に伝えられたことは事実である。
逢坂が市になったのは最近のことである。まわりを山に囲まれた盆地であるために、近くに大都市がありながら、閉鎖的な部分が昔からあり、なかなか市としての体裁が取れないでいた。そのために昔からの伝説を大切にする人たちの意見で、市への昇格が遅れたとも言われている。村から町への昇格は遅くはなかったが、何しろ人口の面で、市に昇格するための条件を満たせないでいたのだ。
異人がどうやってこの逢坂村に入り込んできたのかも不明である。海まではいくつかの山を越えねばならず、まわりの村では戦国時代ということもあり、よそ者を受け入れる村などあろうはずもなかった。
下手をすれば打ち首である。落ち武者をかくまっても打ち首になるのに、異人ともなれば打ち首を免れないはずである。そういう意味では異人は運がよかったのだろう。
異人が持っていたものの中には、金銀財宝もあった。中には織田信長お墨付きのものもあったと記載されている。案外、信長伝説の根拠は、このあたりにあったのかも知れない。
村では金銀財宝に手をつけることはなく、村の隠し財産としてどこかに埋められたという噂があった。
明治時代になり、その噂を聞きつけた人たちが、「宝探し」に興じたというのも事実として残っている。だが、そう簡単に見つかるはずもなく、噂はあくまで噂として、次第に忘れ去られるようになった。
逢坂村が、全国的に脚光を浴びたとすれば、その時が最初だったに違いない。
それまでは、
「逢坂村? そんなのどこにあるんだ」
程度だったに違いない。
「信長伝説のある村さ」
と言ったとしても、
「そんな噂は全国どこにでもあるわさ。珍しいことでもあるまい」
と言われるのがオチだっただろう。
実は信長の名前をおおっぴらに言えない事情もあった。少し離れてはいるが、このあたりの土地を治めていた領主が、織田信長に攻め滅ぼされた経緯がある。戦国時代なので、主要なところは攻め滅ぼされるのも宿命なのかも知れないが、なぜに信長がこの土地を攻め落としたのか謎であった。
戦略的な要衝でもないし、鉱物などの埋蔵物があるわけでもない。ましてや、異人がたどり着いてから村に財宝が隠されたのは、信長に攻め滅ぼされてから、数年後ということである。
実際に攻め滅ぼした後、その土地に城を築いたり、有力大名を置いたなどの話は残っていない。謎は深まるばかりであった。
織田信長の家臣の中には、信長に不満を抱いていた者もたくさんいたはずだ。いつの世でも独裁者には暗殺者が付きまとう。暗殺計画なども地下でいくつも計画されていたかも知れない。
しかし、信長も用心深い。彼の情報戦での才能の逸脱は、桶狭間の戦いなどの例をとっても証明できる。なぜゆえに本能寺での謀反を予知できなかったのかというのは不思議であるが、彼にとっての人生は、絶えず危険との裏返しであったことは間違いないことである。
謀反者が出ないように隠密を仕立てるほどの体勢が整っていたとは言いがたいが、それなりに情報網を張り巡らせていただろう。そんな中、信長伝説が残る場所では、少しずつ内容も違っているようだ。
それぞれの思惑や村の体制の中での伝説なので、それも致し方ない。戦国武将の間でも、情報戦が繰り広げられていたと考えるのも当然ではないか。信長が逸脱していただけで、情報をまったく使わずに戦国武将でいられたわけなどないと思えるからだ。
逢坂市出身の酒井忠明は、そのあたりの事情を大学で勉強していた。信長を中心の勉強であったが、範囲は信長だけにとどまらず、戦国武将すべてに精通したかったのである。
尾張や三河、駿河に美濃、戦国大名が密集しているあたりから有名な武田信玄や、上杉謙信などもその対象となった。
だが、歴史の表に表れていることを今さら勉強しても面白くない。逢坂市のように伝説が残っているところの噂を聞きつけては、現地に足を運んで、自分の目と足とで研究を重ねることが、学生時代のやりがいとなっていた。
酒井忠明という名前も、どこか武将の名前を思わせる。高校時代には、
「お武家様」
というニックネームで呼ばれていたが、決して喜ばしい名前ではない。むしろ皮肉られていると見るのが妥当だろう。
それでも、酒井は気に入っていた。元々歴史には興味があって、父親も歴史が好きだったということで、この名前になったと思っている。せっかくつけてくれた名前を嫌になっても仕方がない。勝手に変えることもできないからだ。
高校時代くらいから、街が急速に発展を始めた。市になる前にいくつかの段階を踏むのだが、最終段階に差し掛かった時には、すでにマンションなども建ち始めていた。
山に囲まれているので、通勤には不便だったが、山の麓の空いた土地を大企業に誘致することで、工場が建つことになった。そのための住宅建設が始まり、街は一気に喧騒な雰囲気に変わっていった。絶えずどこかで工事が行われているようになったのである。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次