短編集63(過去作品)
満天の星空も綺麗にバランスが取れえているように思う。地上から見ていると、すべてが一つの平面状に見えているが、それぞれの星までの距離はまったく違っている。それが綺麗に配列されているように見えるのだから、不思議なものだ。
星座と言われるものだって、太古の人々が同じ空を見て感じたものである。オリオン座にしても白鳥座にしても、綺麗に線を引くことでその形を現しているのだ。
天体に線を引くなどという発想、ロマンチックであるが、それも思想に利用されることもあっただろう。天体の星や星座に付けられている名前、そのすべてが、神話の世界の名前である。
土星の衛星「タイタン」、海王星の名前が「ポセイドン」、星雲にしても、「アンドロメダ」などがその例であろうか。
星までの距離、そして質量の問題もあって、綺麗に瞬いている星は、恒星がほとんどであろう。太陽のように、みずからが光を発する星、それが恒星である。他の星は、恒星の光を反射することで存在感をあらわしている星である。地球もその一つで、必ず恒星の影響を何らかの形で受けている。地球の場合は、惑星として恒星のまわりに軌道を作って回っているのだ。
結婚を意識してからの帰り道、それまであれだけ意識して見ていた空を見上げた時、星の位置が少し違っているように思えた。
満天の星空だったはずなのに、綺麗に光っている星が極端に減ってしまった。そのせいで星の位置が少しずつ狂ってきているように思えたのだ。
「あれがオリオン座で……」
オリオン座までは確認できたのだが、それ以外の星がなぜか確認できない。別に曇っているわけでもない。曇っていても、星の光が明るいので、雲を照らして、雲の存在を教えてくれる。だが、その日は雲の存在を感じることもなく、しかも星が少なかったのだ。暗黒とまではいかないが、空の部分部分で暗黒に見える場所があった。
これも聞いた話だったが、
「星というのは、みずからが発光して光るものか、あるいは、恒星の影響で光っているかのどちらかである。だが、まったく光を発しない星の存在を創造した人がいて、その人はそれを「暗黒星」と名づけた」
というのだ。
まったく光を発しない星は、まわりの光をも吸収するという。吸収された光のせいで、それまで光っていたものも暗黒に包まれる。それが、裏宇宙に存在しているという。
普段は裏宇宙を見ることができないが、人間は一生に一度、それを見ることができるという本当に迷信めいたものであった。
だが、本田には迷信に思えないところがあった。満天の星空を意識した時に、その話を思い出し、思い出したために、目の前の満天の空同様に忘れられなくなった。
「いつか、そんな世界を覗くことがあるんだろうな」
と感じながら、それを覗いたらどうなるかなどということはまったく知られていない。それだけ
「どういう人がいつその光景を見るか」
などという法則的なものはまったく後世に受け継がれていないのだ。
分かっていてわざと受け継がれていないのか、それとも本当に分からないのかは不明であるが、分かってしまっては、却って面白くないだろうと感じる本田だった。
結婚を意識した日が、本田にとってその時だったのだ。
じっと空を見ていると、無限に広がっていくのを感じた。以前股覗きをした時に感じた地上が一で天空が九の割合。それが普通に見ていても見えてくる感覚だった。その瞬間、自分の身体が天地が逆になってしまったかのような錯覚に陥り、次の瞬間に、足元が抜けて、そのまま下に落下していく感覚を覚えた。まるで「無限へのビッグバン」である。
小宇宙のビッグバンによって引き起こされるブラックホール、何者も吸い込んでしまう真っ暗な宇宙、足元が抜けた時に感じた。その先にあるのは裏宇宙の暗黒星、暗黒星とブラックホールが同じものなのか、それとも別物なのか、本田は考えていた。
苛められっこだった本田は、夜寝ている時に、時々、足元が抜けて、どこかに落ちていく夢を見ていたことを思い出した。
「そういえば満天の星空を見た時、初めて見たような気がしなかったな」
足元が抜けて落ち込んでいく自分は夢の中で何度も経験していたが、実際に満天の星空と結びつけて考えたことはなかった。まさか、こんなところで小学生時代の夢が結びついてくるなど、想像もしていなかった。
小学生時代に苛められている時に感じたのは、
「なるべく逆らわないようにして、被害を最低限に収めよう」
という考えだった。
いわゆるダメージコントロールと言われるもので、潜在意識の中にあったに違いない。
そのうちにダメージコントロールを気にしなくなると、自分のまわりからいじめっ子がいなくなった。星空にしても慣れてくると、今まで見えていたものが見えなくなってくる。そんな経験は本田だけではあるまい。
結婚してからかなり経つが、最近になってまた星空が見えなくなってきた。結婚生活に慣れてきたからかも知れない。
「あなたのその現実的な考えが嫌いなのよ」
女房から攻められるが、よほど他の人の方が現実的に見えている。しかも現実的だと詰られる時は、大体が、物事に慣れてきている時の多い気がする。
大空を見ていると、今まで生きてきた時間がちっぽけなものに見えてくる。そんな中で何度ダメージコントロールを頭に思い浮かべたであろう。そのたびに自分の人生が「慣れ」を伴うものだったことに気付く。
小学生の頃、
「どうして勉強しなければならないのか?」
この疑問がどうしても分からなかった。先生からは、
「勉強しなさい」
と言われる。しかし理屈も分からずにどうしろというのか。一度先生に聞いたが、
「えらい大人になれない」
と当たり前のことを言われた。
「えらい大人って何ですか?」
聞き返そうかと思ったが、次の瞬間、バカバカしく感じられた。
「理解できてない人に何を聞いても期待している答えは得られない」
と感じるばかりだ。
それは女房にも言える。結婚した時には、
「神秘的な女性だ」
自分が知る前にいろいろなことがあった女性という意識が強く、そこに激しく惹かれたのだったが、結婚してみれば、あまり前を見るタイプではない。少なくとも、ロマンチックな性格ではない。そんな妻から、
「あなたのその現実的な考えが嫌いなのよ」
といわれるのは心外だ。
だが、お互いに気を遣いながらの生活だったこともあって、うまくいっていた。だが、それも慣れになってしまうと怖い。知らず知らずに女房にもダメージコントロールが芽生えているのかも知れない。
だからこそ、本田の気持ちが分かり、現実的だという表現になるのだろう。
「オリオン座ってどれかしら?」
結婚当初、そう言っていた女房の顔にオリオン座を見た本田は、女房にも本田の顔がオリオン座に見えていたのかも知れない……。
それは見たこともない満天の星空に二人で初めて感動した時だった。
( 完 )
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次