短編集63(過去作品)
何となく分かるような気がする。自分に余裕がなくなると、見えていたものは見えなくなる。そんな性格の人は多いだろう。
精神的にタフだと思う人たちでも、その置かれた立場によって、無言のプレッシャーに陥ったりすることがある。
本田は野球が好きなので、よくプロ野球を見るが、プロ野球の世界でよく言われるところの、
「二年目のジンクス」
という言葉がある。初年度活躍した選手は、二年目には期待通りの成績を上げられない。考えてみれば当たり前である。二年目はそれだけ厳しい。
内面的なもの、外面的な要素、それぞれが入り乱れているのが、「二年目のジンクス」である。
一年目に活躍すれば、マスコミに騒がれる。騒がれると、オフになって身体のオーバーオールをしなければいけない時期に、テレビ出演などで、多忙な日々がやってくる。しかも、まだ二年目でオフシーズンの調整方法も分からないのだから、調整の失敗は目に見えている。何よりも一年目で活躍したために自分の中に起こってしまった驕りや思い上がりは拭い去るには難しいだろう。挫折を味合わないとなかなか脱皮することができない。
さらに外面的な要素である。
一年目に活躍すれば、二年目からは他のチームからの警戒はさらに深くなる。バッターであれば、まともに打てるコースへは相手投手が投げてくるはずがない。それだけ研究させられているということだ。それをもし、本人が自覚していないと、
「おかしい、そんなはずはない。俺の力が落ちたのだろうか?」
精神的な面というよりも、まず自分の身体が信じられなくなる。人間というものは、まず自分の精神を信じることで、その代償として、身体に疑念を抱くのである。
身体というのは、技能面も含まれる。
「もっと技能やテクニックを磨かないと」
それはそれで間違いではないのだが、精神面に問題があるのに、技術面だけしか見ていないと、歩む道筋が見えてこない。見誤ることだってあるはずだ。実はこれが一番怖いのではないだろうか。
「人間というのは、ピンチに陥った時、どれだけ前向きに考えられるかが大切なんだ。保守的になってしまって、守りに入れば負けなんだ」
という人もいるが、それもその人それぞれの考え方ではあるまいか。スポーツ解説者だって、それぞれで意見が違うはずだ。
彼女に結婚を申し込んだのは、すれからすぐだった。本当であれば、もっとお互いのことを知ってから結婚を考えるのが当然なのだろうが、彼女の話を聞いていて、そして、何ごとにも真面目に取り組んでいる姿勢を見た時、結婚してからお互いを知ってもいいのではないかと思った。
本田のまわりで離婚した人がいて、その人の話を聞いたことがあり、その時はあまりピンと来なかったが、実際に自分が結婚を考えるようになると、思い出してくる。
「結婚するまでに分からなかったことが、結婚してから見えてくるものがある。最初から先入観を持っていると大変なことになるぞ」
漠然とした話だったが、相手の女性からも話を聞いた。内容は少し違ったが、結局、
「結婚してみなければ分からないところが多いのよ。いくら交際期間が長くても、それがマンネリ化してしまっていては同じこと」
ということではないだろうか。
その人たちは交際期間五年、結婚期間は三年だった。交際期間の方が長かったのである。
また、恋愛結婚よりも、見合い結婚の方がうまくいくという話を聞いたことがあるが、それも分からなくもない。最初から駆け引きの中で相手を見ているのだ。見合いをして結婚する人は、結構慎重派が多いのではないだろうか。恋愛するまでの気概がないだけで、結婚に対しての自分なりに考えを持っているはずだ。冷静な目で見ることができるだろう。
若いうちは情熱と気概で乗り切ることができても、結婚というのは一生ものである。いつまでも若いうちの考えでいられるわけがない。
結婚すれば、子供もほしくなり、子供ができる。妻は母になり、二つの顔を持つようになる。
夫にばかり構っていられない。子供を育てるということは男性には想像もつかないほど大変なことのようだ。
精神的にも肉体的にも苦労が溜まってくる。男性の方も、会社では中間管理職、部下からは突き上げられ、上司からは責任を言われる。それまでは無我夢中で自分の仕事をしていればよかったものが、そうも行かなくなる。神経も相当すり減らすことになる。
妻は妻で、夫は夫で違う意味でのストレスを抱え込む。お互いに気を遣う性格であればあるほど、その溝は深まってしまうかも知れない。
夫は会社のストレスを家では出さないように心がけるが、妻にどこかストレスを感じると、自分のせいかも知れないと感じるのか、余計にぎこちなくなる。これは一触即発に繋がるのではないだろうか。妻にしても同じである。相手の立場を分かっていないこともあって、妻としての勤めも必死に果たそうとするが、喜んでくれないことを肌で感じると、ストレスはさらに増す。お互いにすれ違いの始まりである。
まだ結婚したことのない本田がそこまで感じるのは、両親を見ていたからだろう。本田には六つ年の離れた妹がいるが、妹は子供の頃、少し精神面で疾患があった。養護施設に通うことで中学に入る頃には治っていたが、それまでの母親の苦労を肌で見て来ているので、大変なんはよく分かった。
父親も最初はよき理解者であったが、会社で昇進すると、会社の方での責任が大変なのか、家で気を遣うことが少なくなってきた。
そのことは母親も覚悟していたようだ。お互いに気を遣っているのは見ていればよく分かる。なるべく母親を見ているようにしながら、精悍を装っていた。
そんな両親を見てきたことで、二人が落ち着いてくると、本田も精神的に落ち着いてきて、美術に力を注ぐようになっていった。
満天の星空を見上げて、
「綺麗だ」
と思ってから、少しずつ絵画に自信が持てるようになっていった。
絵画にしても彫刻にしても美術に大切なのは、まずはバランスである。最初に何から書き始めるかということも大切で、それが分かるようになるまで、かなりの時間を要したものだ。
そういえば、将棋を志している友達に聞いたことがあった。それまでは、将棋に対して興味もなかったし、ただの遊びにくらいしか思っていなかったが、実際にはいろいろな格言も生まれていて、囲碁と並んで、勝負師の一つであろう。
「一番隙のないのは、どんな布陣か知っているかい?」
と聞かれたので、しばらく考えたが、
「いや、よく分からないな」
と答えると、
「最初に並べたあの体勢さ。攻めれば攻めるほど、隙が出てくるというのが将棋の世界。攻めは最大の防御というが、攻めるのも難しいということさ」
「なるほど」
目からウロコが落ちるとはこのことだった。何となく将棋の最初の布陣に対して、どこか不思議な感覚を持っていた。
「どうしてあの体勢に決まったのだろう?」
と漠然と感じていたものの理由がやっと分かったというわけだ。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次