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短編集63(過去作品)

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 と少しがっかりした気がしたが、それにしても、行き止まりになっている場所から下を覗くと、完全に断崖絶壁である。
「こんなところから落ちたらひとたまりもないな」
 道があるのだから、せめて、ストッパーになる手すりくらいあればいいのに、何もない。一瞬でも真下を見ようものなら、感覚が麻痺してしまって、吸い込まれるように滝つぼに落ち込んでしまう公算が強かった。
「こんなところをあいつに見せたら、思わず飛び込んでしまいそうだな」
 と、すくんでしまった足を何とか反転させて、なるべく滝から離れるように苦労した。
 半分、腰が抜けそうな状態で、後ずさりする姿は、恰好悪くて誰にも見せられない。もっとも、この状況なら田端ならずとも、誰でもが腰を抜かしているだろうから、誰も何も言えるはずはない。
 その時にイメージしたのは、飛び込む気持ちだった。それからしばらくは、駅のホームで電車を待っている時、一番後ろまで下がらないと怖くなっていた。それまでは、黄色い線の手前であればまったく怖くなかったのだが、電車の勢いに飲まれてしまいそうに感じていた。
 電車の場合は滝とは少し違う。電車が通り過ぎるまでの勢いもすごいものだが、それ以上に、通り過ぎた後の吹き返しに気をつけなければならない。意外と気付かない人が多いだろう。
 滝を見ている時に、轟音で耳を奪われてしまったはずなのに、その時にかすかではあるが、轟音以外の音が聞こえてきた。
 その音は甲高く、機械音ではないことはすぐに分かった。
「赤ん坊の泣き声だ」
 と感じたのは、それからしばらくしてからだった。
 山というと、昔話で聞かされた「姥捨山」というイメージが強く、赤ん坊はあまり想像できなかったが、静かな渓流であれば、想像もできるかも知れない。
「木々がこすれる時の錯覚だろうか?」
 とも思ったが、どう考えても甲高い声に聞こえるはずもない。
 電車を待っている時に赤ん坊の声が耳についていたことがあった。
 山で赤ん坊の声を聞いたと思って少し経ってからのことであるが、通勤通学で賑わういつもの朝のあわただしさの中で、さらに驚愕する出来事があったのだ。
 自分の乗る電車がもうすぐホームへなだれ込んでくるはずの時間帯、反対側ホームでは通過列車がある。猛スピードで通り過ぎる電車は、いつもホームへの進入の際は、軽く警笛を鳴らしていた。
 その日の警笛はけたたましかった。遠くからやたらに鳴らしていると思ったら、急ブレーキの音が聞こえる。
 あっという間に列車はホームを走り去るかと思いきや、ホームを少し行き過ぎたあたりで急停車したのだ。
 反対側ホームからは、黄色い悲鳴が聞こえ、騒然としている。駅員が飛び出してきて、一人が人員整理しながら、一人がホームを見ている。
 そのうちに無線で知らせたかと思うと、列車はそのまま止まったまま、その場に居た人も動くことができなくなって、皆固まってしまっていた。
 どうやら、人が転落し、轢かれてしまったようだ。
 しばらくすると救急車のサイレンが鳴り響く音、現場の雰囲気から、即死に近いと思っていたが、後から聞くと、やはり即死だった。
 警察の取調べもあって、電車は運行できずに止まったまま。さすがに目の前での惨状に固まっていた人たちも、次第に自分の置かれた状況を把握して、電車が遅れた旨を、携帯電話で会社や学校に知らせていた。
 後で聞いた話では、どうやら自殺だったようだ。
 ホームで待っていた人の証言では、女の人が線路の近くまでフラフラと歩いていくのが見えて危ないと思った瞬間、遅かったと語っている。確かに反対ホームから見ていて、最初からホームに近づいて立っている人には気付かなかった。きっと吸い込まれるように電車に近づいたのだろう。
「意識ってあったのかな?」
 意識があれば、いくら自殺を覚悟している人とはいえ、猛スピードで突進してくる特急電車に突っ込んでいくとなると、躊躇いも生じるだろう。
「まさか、薬でもやっていたんじゃないか」
 飛び込む時の表情を見ていないので分からないが、欝状態の表情をしていたに違いない。
 さらに、この話には続きがある。
 その女性は赤ん坊を抱いていたという話だった。それは彼女を危ないと気にしていた人の話だけであるが、実際には、線路に落下したのは、女性だけだった。事故現場のどこからも赤ん坊の姿は見えなかったのだ。
 しかし、赤ん坊の泣き声を聞いたという証言は、一人だけではなかった。
「私も確かに聞いた気がするんだけど」
 という話が後から出てきたようだ。
 実際に彼女には子供はいなかったという。しかし、驚くべきことに、亡くなった女性のお腹の中には赤ん坊がいたという。お腹が目立ち始める前だったので、誰にも気付かれていなかったらしいが、これはただの偶然だろうか。しばらくは、まるでホラーのような話として、人の噂になっていたが、次第に忘れられていった。
 忘れられてくると、今度は、
「トイレから赤ん坊の泣き声が聞こえる」
 という噂や、
「通過する電車の反対側のホームにいた人が、通過の直前、赤ん坊を抱いた女性の姿を見た」
 などというオカルトっぽい話がたくさん出てきた。
「ホームの反対側にその時いたのは、俺じゃないか」
 田端はゾクッとしてしまった。確かにその時は赤ん坊は見なかったが、女性がいるのだけは見ていた。
「そういえば、笑っていたような気がするな」
 薬の話題が出てからそう感じたのか、それともそう感じたから薬の話を笑い飛ばすことができなかったのか、今でも薬をやっていたかも知れないという思いは拭えることはなかった。
 赤ん坊の声を思い出す時、必ず轟音が伴うようになった。そのせいだろうか、滝に近づいた時に、
「赤ん坊の声が聞こえたように思う」
 と感じた。
 あの事故を目撃して、赤ん坊の話を聞いたのは、その滝を見たかなり後のことである。それだけ意識が滝に行っていたのかも知れない。
 日にちが経てば経つほど、記憶は曖昧になってくるが、時系列も曖昧になるものなのかも知れない。しかし、まだ高校生くらいだと、そこまでひどくはないはずだ。ショッキングなことが起こると、時系列が狂ってしまうのは、若くても老いても同じなのかも知れない。
「何か防衛本能のようなものが働くのかな?」
 見てはいけないものを見たという意識、昔話などでよくある。
「見たなぁ」
 というセリフを思い出してしまう。見てはいけないものを見たという恐怖は、むしろ子供に近いほどリアルに感じられるものなのではないだろうか。
 自分が母親の羊水の中に浸かっているイメージを今までに何度か抱いたことがあったが、それはこの事故の前後からのことだった。それから、女性に対しての見方も少し変わっていったように思える。それまでは、思春期だということもあって、性欲の対象のようなイメージが強かったが、それから次第に母親のイメージが強くなってきた。
 性欲の対象として見ている自分が嫌で嫌でたまらなかったくせに、彼女ができないことを自分のせいだとはまったく思っていなかった。
「どうしてもてないんだろう?」
 友達はもてているのに、不思議だった。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次