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短編集63(過去作品)

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 落ち武者というと、どうしても痛々しいイメージが付きまとい、農民に見つかれば、自分たちの死活問題があるため、敵に売り飛ばされてしまったり、裏切られてしまうという悲劇のストーリーが定番のように頭から離れない。田端にとって、屋形さんの話は興味だけではない何かを感じさせられるものが存在した。
 屋形さんの別荘につくまでに、途中に滝があるのか、勢いよく水が流れる音がする。
 子供の頃から滝は苦手だった。
 高校の時、友達と登山に出かけたことがあった。季節は秋で、そろそろ紅葉が赤みを帯びてくる時期であった。
 都会でも、風が吹くと寒さを感じる時期になってきたのだから、山に入ると、涼しさを通り越して寒さが身に沁みる。その年は秋が深まってきても、まだまだ暑さが残っている時期だった。
 夏は猛暑が続き、なかなか最高気温が三十度を下回る日が一ヶ月以上なかったのではないかと思えた。各地で最高気温の史上最高を記録し、
「本当に夏が終わるのかね」
 という声があちこちで聞かれたほどだ。
 異常気象の兆候が今では珍しくもないが、その頃はまだ珍しかった。夏の間はほとんど雨が降らず、ダムの水も干上がってしまうほどで、実際に半日断水が続く地域も少なくなかった。
 やっと秋が来たかと思うと、今度はそれまでの渇水がウソのように、集中豪雨が続いた。水害で壊滅状態になった街もあったくらいで、本当なら山に来るような気分にならなかっただろう。
 だが、豪雨の時期も過ぎると、今度は打って変わって穏やかな季節がやってきた。それまでが本当にウソのようだった。
 数日落ち着いた気分で過ごしただけで、それまでの異常気象を忘れてしまった。人間とはかくもいい加減にできているものだ。逆に割り切りが早いとでもいうべきか、山が急に恋しくなったのだ。
 それまでに何度も訪れている山だったが、さすがに異常気象が祟ったのか、今までと状況が一変していた。
 木々はところどころ折れていて、足元には枯れ草が舞った跡があった。ちょうど、木の根元に枯れ草が集中していて、円を描くように散乱している。
 森のようになっていて、木々の狭い間から、時々太陽が漏れてくる。太陽が当たらないところは、ずっと湿気ているようで、少し足場が悪い。
「うわっ」
 滑りそうになって、思わず友達に掴みかかる。その時に森の中で声が響いているのを感じた。時間が経って遠くになるに連れて、声のトーンが低くなる。
 友達は、その声を聞いて、思わず上を向いていたようだ。
「大丈夫か?」
 その言葉が返ってきたのは、しばらくしてからだった。
「ああ、大丈夫だけど……」
 友達が見上げた空を同じように見上げて、今度は正面を向くと、どちらの方からやってきて、どっちに向っていたのか分からなくなった。瞬間的な記憶喪失のようだ。
 山の中に入って方角が分からなくなることは、時々あるようだ。いつも登山をしている人にでもあるらしく、誰がなっても不思議のないことである。
 樹海なども、同じような作用があるのかも知れない。しかも、
「樹海というところは、迷い込むところだ」
 という先入観を持っているから、特に迷うとどうしようもなくなってしまうのかも知れない。
 樹海とまでは行かないが、あまり登山慣れしていない人にとって、一度迷ってしまうと、そこは樹海と同じである。道しるべがあるわけでもなく、下手に動けば動くほど、深みに嵌ってしまう。
 将棋が好きな人と話をした時、
「一番隙のない布陣って知っているかい?」
 と聞かれたことがあった。
「いや、分からないな」
 と答えると、その友達は自慢げに勝ち誇ったかのように、
「それは最初に並べた布陣なんだよ。動けば動くほど、隙ができるのさ」
 そんな会話を思い出した。
「下手に動かない方がいいんじゃないか?」
 とその時に友達に進言したが、友達は半分頭の中がパニックになっているようで、
「だって、どうするんだよ」
 半分、べそをかいている。
 元々最初に方角が分からなくなったのは、田端の方だった。田端が友達の服を引っ張って、まともに目が合ってしまった。
 きっとアイコンタクトか何かを感じたのかも知れない。友達の顔色が見る見るうちに悪くなっていった。
――しまった――
 と思ったが後の祭りである。完全に目は虚ろになっていて、田端が平静を取り戻しても、友達はパニックから解き放たれることはない。
 そんな時は下手に話しかけない方がいいだろう。パニックになった人間に輪をかけることになってしまう。
 おたおたしていると、
「滝の音が聞こえる」
 友達がそういうのだ。
「えっ、どこにだい?」
 田端には最初聞こえなかったので、何とはなしに聞いてみた。だが結果的にはそれがいけなかったのだろう。
「えっと、あっちだったかな? いや、こっちだったかな?」
 どうにも自信がなさそうだ。だが、最初友達が
「滝の音が聞こえる」
 と言った時の顔は、完全にまともだった。正常に戻ったと思い込んだくらいだったから、考えもなしに、答えてしまった。
 友達が自信を喪失し始めている時、今度は田端の耳に滝の音が聞こえてきた。
「本当だ。滝の音だ」
 耳を澄まして、どこから聞こえてくるのかその方向を必死で探した。友達は最初の一言の後、完全に滝の音が聞こえなくなったようだ。
 いや、実際には聞こえていて、聞こえなかったと思い込んでいるせいか、思い込みを自分の中にさらに信じ込ませようとしているように見える。
 完全に無駄な労力である。そんなことをしている暇があったら、最初に感じた自分を信じればいいことである。そこから活路が見出せることもあるはずなのに、迷い込んでしまうと、身動きが取れなくなるその時の二人の状況を、完全に絵に描いていた。
 そのまま、滝の音がする方向へ、田端は歩みを進めた。友達は、
「どうすればいいんだ」
 と言わんばかりに、立ちすくんでいる。田端はそんな友達を半分見捨てる形で滝の方へ歩いていく。性格に言えば、
「滝に吸い寄せられる自分を止めることができなかった」
 というべきであろう。
 友達がついてきていないのは分かっていた。どうせ、その場から動けないのは分かっているのだから、ここに戻ってくることさえできればいいと、滝に向いながら、戻る術はちゃんと心得ていた。
 歩いていると、だんだんと冷たい風を感じるようになる。しかもその風は湿気をかなり帯びている。
「やっぱり、この先に滝があるんだ」
 その勘は当たっていた。まっすぐに歩いていると、それまで道なき道を歩いてきたはずなのに、急に道が見つかった。
 道を歩いていくと、その先に見えるのはまさしく滝だった。轟音だったわりには、近づくほどに、音は静かに感じられた。
「慣れてきていて、耳の感覚が麻痺しているのかも知れないな」
 と思ったが、風で揺れている草がこすれる音は聞こえていた。
「耳がどうかしちゃったのかな?」
 そんな風にも思ったが、それだけではないようだ。
 滝の全貌が見えてきた。音の大きさのわりには、想像していたよりも少し小さめの滝だった。
「こんなものなんだ」
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次