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短編集63(過去作品)

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 信長は他人と違うところを敢えて表に出そうとしている。今も昔も奇抜な考えは、上に行けばいくほど嫌われるものである。必ず保守派というのはいるもので、彼らの反発は必至のはずだからである。
 果たして歴史はそれを証明している。
 先の歴史が、
――彼らの考えは正しかった――
 と証明してくれる人たちはそれほど長続きの政権を保っていない。
 正しかったというのは、先見の明があったという意味で、特に海外に目をむけ、貿易に重点を置いた考えの人物は、必ずといっていいほど、当時の保守派に滅ぼされている。
 しかも、歴史の表では、彼らは行き過ぎたやり方のため、反発を受けた「悪者」というイメージが残っている場合が多い。信長だけがその発想の素晴らしさから、今でも尊敬される人物として残っているが、それでも、社会人の上司としては望む人は少ないかも知れない。
 当時の三人の天下人の中で、信長はどのような印象なのだろう?
 古代に目を移せば、蘇我入鹿、中世でいけば、平清盛。
 彼らはどちらも、
――出る杭――
 だったのだ。蘇我氏は大化の改新のクーデターによって、平清盛は暗殺ではなかったが、平家一門は清盛の死後、まもなく壇ノ浦の海の藻屑に消えている。どちらも、歴史上ではあまりいいイメージが残っていないだろう。
 攻め滅ぼした方が天下を取り、その後の日本を変えていることから、どうしても滅ぼされた方が悪役になってしまう。歴史とはある意味、残酷さを秘めたものであろう。事実だけが伝えられるので、どこまで人間感情が伝わるかが、疑問でもある。
 酒井は歴史を勉強するうちに、おかしな妄想に駆り立てられた。それはまるで自分を写しているように思えてくるほどで、考えているうちに気持ち悪くなってくる。
 歴史に名を残す人たち、彼らには大きく二つの特徴がある。
 一つはカリスマ性で、もう一つは先見の明があることだ。
 カリスマ性にはまわりの人々のモラルを打ち消し、すべてが自分のモラルを押し付けている。中には歯向かうものもいるが、それは文字通り命がけである。
 明智光秀が、なぜ織田信長を討とうと考えたか分からないが、命がけであったことに違いはない。
 光秀はすぐに秀吉の、いわゆる「中国大返し」にあって、数日で討ち取られてしまうが、秀吉が討ち取れたところにも歴史の大きな謎が含まれている。
 秀吉は信長に可愛がられた武将で、農民からの成り上がり、かたや光秀はかつて足利将軍の家来であったことから、京に住み、公家の文化も見て来ている。まったく相容れぬ過去を持った二人を同じように家臣として、さらにはライバル視するような配置に置いたのも、信長ならではであろう。
 秀吉には分かっていたのかも知れない。
「光秀は元々将軍家に遣える者、信長のような武将のやり方にいずれ従えなくなる。そして、足利幕府再興を考えるに違いない」
 その考えは、自らの野望にも役立てられる。光秀の動きを見ることで、後に訪れる「信長暗殺」を高い確率で予期していたに違いない。
 他の武将もそれは分かっていたかも知れないが、具体性に欠けた。秀吉だけが信憑性の裏付けを見切っていて、光秀の行動を監視していたとしたら、「中国大返し」も決して奇跡でも何でもない。
 秀吉は運が良かったという人もいる。毛利への密使を捕まえることができたことで暗殺の事実をいち早く知り得た。それが歴史の定説であろう。
 だが、秀吉という男がもっと強かな男だったとしたら、その後の歴史から考えると分かることである。
――運も実力のうち――
 と言われるが、本当にそうであろうか。本当に実用できる「運」というのは、実績の裏付けがあってのものではないのだろうか。
 それにしても、秀吉にしても光秀にしても、それほどしたたかな人物たちが信長のような奇抜な発想で、その中に緻密な計算の施された人物、まさしく天才と呼ぶにふさわしい男に黙ってついていくというのもある意味不自然かも知れない。
 歴史が進んでしまって時代背景は分からないが、二人とも「長いものに巻かれる」タイプではなかっただろう。
 それは信長だけに限ったことではない。歴史に名を残す「カリスマ」性を持った人たち皆に言えることではないだろうか。
 彼らには人を惹きつける魅力があった。それも忠実に主君の命令に従い、さらには独創的な考え方に富み、したたかさも兼ね備えた人物でなければならないはずだ。
 そこには少なからずの遺伝性も含まれているかも知れない。
 戦国時代の「下克上」はあっても、他の時代は世襲制、代々受け継がれていくものである。江戸時代など、平和な時代に代々世襲してきた藩もたくさんある。しかもそれぞれの代で、財政困難であったり、天候による不作の年、さらには飢饉に見舞われた年もあるだろう。
 だが、彼らは自分の政策でちゃんと乗り越えている。もちろん、家臣に優秀な人がいたから言えることだろうが、家臣にしても、代々の世襲である。主君と家臣の世襲によって救われたことを思えば、才能は遺伝するものとも考えられる。
 織田信長のような異端児には、個性ある家臣が力を発揮する。秀吉などはいい例で、秀吉の家臣にもさらに個性的な人たちがたくさんいる。
 信長にとって、彼らは実に都合のいい家臣である。冷徹なところがあり、自分を神のごとく名乗っていた信長。黙ってしたがっている家臣に対して恐怖を抱いていなかったのだろうか?
 信長くらいに冷静な判断力を持った人物であれば、それくらいのことはすぐに分かったであろう。確かに信長のことは歴史書からしか判断できないので、どうしても誇大判断が入ってしまっているのではないかという考えは拭えないが、それでもかなり家臣に対して自分のカリスマ性を押し付けている感がある。
――信長は、自分のカリスマ性に気付いていて、自分の都合よく動く連中だけが自分の家臣になっていると思い込んでいたのではないか――
 という仮説も生まれてくる。
 最近の酒井の中で、その発想が確信に変わってきているのを感じた。
――カリスマ性――
 それこそ、都合よくすべてを動かせる人物にしか与えられない称号ではないか。そして歴史に名を残す人たちの中でも限られた人だけにしか与えられないものだということを酒井は感じている。
 そこに精通するのが、「先見の明」である。
 蘇我入鹿、平清盛、織田信長、近いところでは坂本竜馬……、彼らの死は、
「歴史の流れを百年止めた」
 と言われるが、百年遡ったという人もいる。それだけ彼らの理想は未来を見据えていたことになる。
 SFの世界に、「ワームホール」というのが存在するという。「時空の裂け目」とも言われるが、彼らがその「ワームホール」を使って未来から過去にやってきた未来人だということになればどうだろう?
 未来から過去に行くことは非常に大きな危険性をはらんでいる。「タイムパラドクス」と呼ばれるもので、未来から過去に行った人間が、過去の歴史を変えてしまえば、そこには違う世界が開けてしまい、未来が変わってしまうという考えだ。だから、未来から過去へ行くことは理論上可能であっても、ありえないタブーだとされている。
 また、「パラレルワールド」という言葉がある。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次