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短編集63(過去作品)

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 今までに女性の肌をそういう意識で見たことがなかった。それなのに、再認識という言葉が出てくることで、さつきさんを見た時に、初めてではないと思った気持ちが由来しているのではないかと思えるのだった。
 優しく接してくれるさつきさん。
「私にも弟がいるんだけど、何となく似ているわ」
「田舎者だからね。どこかが似ているんだろうね」
 すると、ニッコリ笑ったさつきさんは、
「そうじゃないのよ。あなたの中の男らしさが似ているというのかな? 男らしいというか、他の人にはない何かがハッキリと見える気がするのよ」
「他の人と同じだと嫌な方だからね。天邪鬼なんだ」
「天邪鬼でも、許せる人と許せない人がいると思うんですよね。あなたを見ていると許せるのよ。弟もそうだった。天邪鬼なくせに、人を引きつける何かを持っていたわ」
「弟さんは、どうしているんだい?」
 さつきさんの表情が少し曇った。
「交通事故でね、あっという間だったわ」
 本当は思い出したくない思い出だったのかも知れない。それを酒井が来たことで思い出してしまった。だが、酒井はそのことをなるべく気にしないようにした。ここで下手に何かを言うと、却って苦しめるからである。
 さつきさんは続けた。
「カリスマっていうのかしら。人を引きつける力も持っていて、しかも人を寄せ付けない貫禄もある。なかなかそんな人っていないものよね」
 きっと弟はそんな男性だったのだろう。酒井の中にも同じような血が流れているのかも知れない。
「今日の僕はさつきさんに預けてますので、お願いしますね」
「ええ、たっぷりと癒してあげますわ」
 すべてが初めてのこと、あっという間だったというのが実感である。店を出てからネオン街を歩いたが、まるで別人になったかのような気分がした。
――大人になったのかな――
 昔の武将は十代前半で結婚したりしていたはずだ。身体はまだ大人になりきれていないはずで、大人になるということの定義が、今と昔では随分と違っていることだろう。
 ちょうど戦国時代の映画が封切りされていたので、映画を見に行った。巨大スクリーンに映し出される大スペクタクルは、音響効果も抜群で、圧倒されてしまう。
 武士の世界は、大将がすべての運命を握っている。最後の決断を誤れば、確実に死が待っている。
――怖くないのだろうか――
 平和ボケしている人間が最初に考えるのは、まず怖いという感覚ではないだろうか。
 戦国武将たちが、最初に怖いと感じてしまえば終わりである。
 時代背景もあるのだろうが、育った環境が怖いと感じさせないもののはずである。死ぬことよりも、いかにして生き残るかということを考える方がよほど前向きな考えではないか。
「敵に後ろを見せると殺される」
 とよく言われる。
――攻撃は最大の防御――
 その言葉に裏打ちされるように、天下に名を残した人たちは決断力だけではなく、多岐に渡って才能に満ちていた。
 映画の中での出陣前に杯を酌み交わす光景を見ていると、鬼気迫るものを感じる。これから死ぬかも知れないところへと出て行くのだ。当然、全員が鬼気迫っていても不思議ではない。
 大将の号令とともに、戦いが始まる。それぞれの大将は一歩も引かぬ攻防で、一進一退を繰り返している。
「持久戦では不利だ」
 取って返す方は、必死の逃亡を繰り広げる。だが、彼らにとって生き残るための手段が逃亡というだけで、それも立派な作戦の一つだ。
 見ていてそのことを悟った。現に、逃亡しながらでも攻めている。相手に怯むことなどない。
 映画の主題はそこにあった。
 主人公は逃げる方の大将である。実際にこの戦の話は本で読んだことがあって、イメージだけは湧いていた。それだけに、自分のイメージと大スペクタクル映像にどれだけの開きがあるか確かめてみたかったというのも本音である。
 主人公の武将は、「カリスマ的」な存在だった。自らを国王と称し、まわりの群集を洗脳していく。悪役にありがちの話であるが、実際には英雄として歴史に残っているのだ。
 中途半端に歴史を知っている人は、彼の武勇伝に疑問を持つだろう。実際、酒井もそうだった。武勇伝の中の本当の彼を見つけたかったのだ。
――戦術で負けても戦略で勝つ――
 という言葉があるが、この武将はまさしくそうだった。
 逃げるのだって、敵に後ろを見せるのだから、考えてみれば勇気のいる作戦である。煮える最中というのは、一歩間違えればやられてしまう公算が大きくなる。
 それを敢えて行ったことが武勇伝と言われるゆえんではないだろうか。酒井は映画を見ながらそう感じた。
――英雄は戦って勝つことだけが勇気ではないんだな――
 そう考えると、その後の歴史に興味を持つ。
 映画では逃げるところまでで尾張だったが、その後の歴史に興味を持って読んだ本では、彼は連戦連勝、ほとんど負け知らずで天下統一への足がかりを築いていた。
 だが、歴史が早すぎたのか、その後、信長の登場で、彼の息子はあっけなく信長軍に敗れている。偉大な父親を持つと、息子はプレッシャーになるのか、しかもプレッシャーに対して少しでも疑問を感じてしまうと、将来はない。まさしく絵に描いたような最期であった。
 数代に渡って天下を治めることの難しさは、源氏、平家、そして、足利幕府と歴史が証明している。それをしっかりと学び、二百六十年という長きに渡り天下を治めてきた徳川家の初代将軍家康の貢献は何と言っても偉大であった。
 酒井は、パイオニアという言葉に造詣が深い。
 足利幕府にしても、徳川幕府にしても、体制をしっかり固めたのは三大将軍であった。
足利義満しかり、徳川家光しかりである。
 だが、酒井は彼らの数倍、いや数十倍も尊敬できるのは創始者である足利尊氏、徳川家康ではないかと思っている。
――一番最初に始めた人間が偉いに決まっている――
 これこそが酒井の信念でもあった。
 最初に発見したり、発明した人が一番尊敬を受けるに値する人だ。その後いくら素晴らしい改良品が生まれたとしても、最初がなければすべての始まりがないのである。
 また最初にふぐを食べた人もそうである。毒にあたって死んでしまったために、歴史に名前が残っていない人が実はいたかも知れない。それを考えると感慨深いものを感じてくる。
 歴史に名前が残るだけが人生ではない。どれだけ自分が満足のいく人生を歩めるかということを考えている。彼らの中には、
――自分こそが歴史に名を残すんだ――
 と考えている人も多かっただろう。
 のブナがなどは、歴史に名前を残すことを考えていたのかも知れない。
 ただ、自分が天下を取ってから、子孫にまで織田家の繁栄を考えたかどうか疑問である。
 もし、今の時代に天下を取る人が現れたとして、誰が子孫にまで気が回るだろう。それを考えると、自分勝手な現代人に、信長のような考え方は破天荒でありでたらめに見えるかも知れないが、通じるところもあるに違いない。
 だが、それが信長の本来の考えとは違うところでの考えではないだろうか。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次