感情の正体
中学生の頃に、正樹は学校の図書室で司書質の先生と仲良くなったことがあった。その日は図書室で最後まで本を読んでいたのが正樹だったこともあって、先生が気にしてくれたのだ。
元々、図書室に放課後から本を読みに来るg人などほとんどいなかった。自習室として勉強するために放課後の図書室を使っている人はいたが、本を純粋に読みにくるという人はいなかったのだ。
正樹が読む本は、ミステリーが多かった。
それも、最近のミステリー小説ではなく、昔の小説で、時代背景とすれば、戦前戦後の日本の推理小説だった。
ミステリアスというよりも、オカルトっぽさが目を引く作品が多かった。それも猟奇殺人であったり、登場人物の性格が今の人には理解できないようなものであったりするものだった。
たとえばSM志向であったり、男色ものであったり、さらには今ではテレビ放送などできないと思えるような障害者を扱ったものであったりと、異色中の異色小説である。
それをオカルトと言っていいのかどうか難しいところであるが、猟奇的な物語の展開とは裏腹に、解決編では、最初から綿密に計算された犯人の犯行計画の元、繰り広げられる人間模様に、正樹は魅了されたと言ってもいい。
しかも、今の時代とはまったく違った時代背景であるため、その時代に思いを馳せるため、実際にその時代を勉強したりしていた。
本を読むのは小説だけに限ったことではなく、その時代を感じさせるための本も一緒に読んでいることで、正樹は他の人が味わう感情とは違ったイメージを、その小説に抱いているに違いない。
時代は当然昭和である。
今からは想像できない戦争があった時代。自由に何もできなかった時代であり、しかも、食べ物も自由にならないのだ。
そんな時代を知っているわけでもないのに、正樹は興味を持った。もちろん、
――こんな時代に生まれなくてよかった――
と思ているにも関わらず、
――この時代を見ることができないのは残念だ――
とも感じていた。
戦争がどんなものかは話には聞いていた。しかし、
――想像するということはできても、その時の感情に自分が入り込むというのは、その時代の人に対しての冒涜だ――
と考えていた。
それは、今の時代から言えることなのかも知れない。自由な発想ができるということは、発想しないことをできるということでもある。
「上の人が白だと言えば、何があっても白なんだ」
という発想である。
そこに個人の自由は存在しない。それが挙国一致という発想が、愛国心という言葉を借りて、人の自由を奪っているということにもなる。
だが、小説を読んで、その時代を想像するのは許される気がした。
「小説は、その時代を分からせるために書かれた」
という発想を正樹に抱かせたのだ。
そんな時代だからこそ、本当は書くことを許されなかった時代があったからこそ、戦後の推理小説にはオカルトチックなものが多いのではないかと思えた。
同じように戦前の時代にも同じような小説が存在するが、そこにはこれからの時代に未来を感じさせない思いが込められているようだった。ただそれはその後の歴史を知っているからこそ感じることであって、本当にその時代の作家がそんなことを考えて書いたものなのかどうかは疑問であった。ただ、無意識のうちに書かれた小説というのは、それだけの趣きを感じさせ、正樹がその時代の小説を好きになった理由がそこに横たわっているように思えてならなかった。
戦争が世の中にどのような影響を与えたのか、そして市民生活がどのようなものだったのか、ドラマなどでイメージは掴めても、しょせんはセットでのお芝居。そう思うと、そこに自分の想像が介さない限り、その時代に思いを馳せることはできないと思った。そこでその時代の小説に興味を持ったわけだが、まさかアブノーマルな世界を描いているとは思っていなかったので、少し戸惑いがあった。
しかし、読み込んでいると、まるで自分が主人公になったかのように思えてくるから不思議だった。童貞なのに、自分が女性を蹂躙するという性癖を持った男であり、女がそんな自分の言いなりになって、快楽を一緒に貪っている姿が思い浮かぶのだった。
小説の中でしか味わうことのできない世界だからこその醍醐味。もし、これが現実世界であれば、きっと自分は躊躇してしまい、相手の女性を蹂躙どころか、相手に与えるのは苦痛だけで、そんな中途半端な自分に相手の女性は愛想を尽かすに違いない。
「もっと、もっと」
と、女が訴えているが、それはオンナとしての本心である。
もし、相手をかわいそうだと思い、力をセーブし、躊躇してしまうと、下手をすれば、相手を殺しかねないという、
「危険な遊戯」
なのだ。
そのことを女は分かっている。分かっているからこそ、ギリギリの遊戯に興じているのかも知れない。男の方も本気で女を愛していれば、相手が何を求めているのか分かってくるのではないだろうか。
自分がそのような環境に陥ったこともないくせに、ここまで分からせてくれるというのは、やはり小説というのは偉大で、言葉の持つ力は。魔力に匹敵するのではないかと思わせた。
正樹は、小説を読み込んでいくうちに、自分に自信がなくなってきた。
――俺には女性を満足させることなんかできないんだ――
別にアブノーマルな世界で女性を愛さなければいけないというわけではないのに、どうしてここまで自分に自信を無くしてしまうのか、正樹にはよく分からなかった。
しかし、分かっているのは、
――性癖が何であれ、相手の気持ちをどこまで分かってあげられるか――
ということが、お互いに愛し合うために必然であるということである。
「アブノーマルな世界を知りたいとは思わない」
と、口では言っているが、実際に興味が湧いて、小説を読み漁っているのは間違いない。
アブノーマルという言葉がどれほど曖昧なものなのかということを、その時の正樹は分かっていなかったのだ。
正樹は自分がモテないのは、何か理由があると思っていた。だが、その理由が見つからない。
――見つからないんだったら、本当は理由なんかないのかも知れない――
と感じてみたが、理由もなくモテないというのは考えてみれば自分が惨めになるだけで、言い訳にもならないと思うのだった。
中学時代まではそれほどでもなかったが、高校生の頃は、まわりの女の子が気になって仕方がなかった。同級生の女の子だけではなく、年上に憧れを持ったのもこの頃だった。
――お姉さんに優しく抱かれたい――
などと妄想を抱いたものだった。
正樹自身は自覚していないが、最初に女性を意識するようになったのは、中学時代だった。
図書館に通うようになってから、図書室にいる司書の女性を、正樹は気にしていた。だが、その頃はその思いが女性というものに対しての男性としての思いであることに気付いていなかった。だから、今でも意識していないのであって、
「女性を意識するようになったのは、高校生になってから」
と公言していた。