感情の正体
と感じたが、気付かなかったのも無理もないことだ。
確かに手書きが少ないというのも理由だが、それだけではない。格好のいい字を書くやつは、普段の性格でも恰好がいいのだ。そういう意味で、自分も格好のいい字が書けるようになりたいという思いも持っていたが、字を書くというのは慣れていないことに加えて、打ち込むだけのスピードがあるわけではない。つまり書いているうちに忘れてしまいそうになるためか、思わず急いで書いてしまうくせが残ってしまった。そのため、手書きは乱雑であり、読めたものではないというのが、最近の自分の字への思いだった。
先輩が連れて行ってくれたお店は、風俗街の中にあったが、想像していたような薄暗いネオンサインのお店ではなく、二階に上がっていく作るになっていたが、階段の下は明るくて、足元もしっかり見えた。これならつまずくこともないだろう。
先輩を先に行かせて、後輩二人は、黙って後ろをついていった。先輩の背中が大きく見えたのは階段の下から見上げていたからであって、あとから思えば錯覚だったと感じられた。
体格のいい先輩のためにすぐには見えなかったが、階段の途中にパネルが飾ってあり、そこに写っているのが、在籍している女の子たちだということはすぐに分かった。
――まるでアイドルの事務所のようだな――
と感じたのは、人気アイドルグループのプロモーションの写真のように、グループの制服のような服を着ていて、髪の毛には花飾りのワンポイントがついていた。
しかも、プロのカメラマンが撮影したのだろう。いかにもアイドルのパネルのようである。アイドルヲタクにとっては、入店の時点からテンションが上がって、志向の悦びに違いない。
正樹はアイドルが好きだというわけであないが、最近のアイドルが昔と違ってきていることを気にしていた。正樹が中学高校時代というと、すでにその時も、
「昔のアイドルとは違ってきている」
と言われてきた。
一般公募は同じなのだが、オーディションから合格までをドキュメントにしてテレビ番組として放送していたからだ。
昔のアイドルを知っているわけではない正樹だったが、アイドルの公募を公開して、テレビ番組にしてしまうことには違和感があった。
その頃のアイドルは、正樹は好きにはなれなかった。タイプの女の子がいなかったわけではなく、いかにもアイドルという雰囲気を醸し出しているにも関わらず、週刊誌などで暴露された写真を見ると、そこにはアイドルらしからぬ風体で載っていたのだ。
アイドルのように有名人が、普段はサングラスを掛けたりして変装しなければいけないという理屈は分かっている。周辺をパニックにしないためだということも十分に分かっているつもりだ。
しかし、分かっていても理屈を理解できないと思うのは、受け入れられないという思いがあるからに違いない。正樹はずっとそう思ってきたことで、
――アイドルと自分は住む世界が違うんだ――
とさらに感じたのだ。
アイドルの表の世界と裏の世界。知ることなどできるはずもない裏の世界を、アイドルが変装しているような姿を見ることで垣間見えたような気がして、しかもそれが見たくないと思っていることだと思うと、余計にアイドルとは住む世界が違っていると感じるのだった。
そんな正樹が最近のアイドルは、その時のアイドルとは違っていると感じたのは、最近のアイドルには自由奔放性を感じるからだった。
以前のアイドルは、大人の都合によって左右されやすい世界にいると思っていた。だからこそ住む世界の違いが最初に頭に浮かんできたのであって、知りたくない世界を持っているのがアイドルだと思っていた。
だが、最近のアイドルは、実に普通の女の子という雰囲気が強い。同じように公募も公開されていることがあるのだが、それをドキュメンタリーのような放送の仕方をするわけではない。
「これからのアイドルは、アイドルだけをやっていたんじゃだめだ」
と、アイドルのプロデューサーが言っていた。
アイドルだけではなく、他に一芸に秀でていなければならないという考えは、
「アイドルというものは、これから彼女たちが育っていくための一つのステップにすぎない」
という考えだ。
人に夢を与えるのがアイドルだと思っていたが、アイドルも与えるだけではダメで、アイドルをステップにして、そこから先の人生をどう歩むかを培うための「学校」のようなものだという考えである。
正樹はこの考えには同調していた。
――確かにアイドルは、若い頃にしかできない。その後の人生をどう歩むかは、アイドルを続けている時から考えていないといけないんだ――
と、分かってはいるつもりだったが、いまさらながらに思い知らされた気がした。
だから、アイドルの中には最初から一芸に秀でている人もいて、芸術家としての才能を持っている人もいる。
中にはアイドルを続けながら、個展を開いたり、コンクールに応募して入選する人もいたりする。
また、一生懸命に勉強して、資格を取得したりして、その道を目指す人もいる。
以前のアイドルであれば、俳優を目指したり、俳優から舞台に転身する人はいたりしたが、それもなかなか難しかったりする。今でもアイドルを続けながら、舞台もこなしている人もいる。以前であれば、
「アイドルが舞台なんて」
と言われたりして、嫉妬の目を向けられていたり、芸能プロダクションもあまりいい顔をしなかったりする場合があったと聞いたことがあったが、今では反対だ。
「アイドルから舞台への道筋が出来上がったのは、彼女が先駆者になってくれたおかげだな」
と言われるくらい、プロダクションにとってもありがたいことだった。
アイドルの中には、アナウンサーになったり、実業家になったりする人もいる。それを思うと、
「アイドルになるくらいの人なんだから、最初から才能はあったんだ」
と思える。そして、
「それを見極めたプロダクションも見る目があったということだ」
と言えるのではないだろうか。
アイドルへの憧れはあったわけではない。元々、正樹は自分が人から評価されることを目指してはいたが、自分のまわりの人が評価されることに対して、嫉妬心は半端ではなかった。
友達が何かの表彰を受けたとすれば、祝福するなどという考えは正樹にはない。
「どうして、祝福してやらなければいけないんだ。あいつは俺がしなくても、他の人から祝福してもらえるじゃないか」
というだろう。
そのくせ、自分が何かで評価されれば、友達から何か一言お褒めのコメントを貰いたいと思っている。実に矛盾した考えだが、その思いがあるから、何かの目標を持てば、それに向かって万進できると思っていた。
そういう意味でもアイドルを追いかけるというのは、自分にできなかったことを叶えている人たちを評価するという意味になるので、本当なら正樹は嫌なはずだった。それなのに最近のアイドルを好きになった理由には、正樹の目標がおぼろげだが、定まってきたことにあるような気がしていた。
正樹は、子供の頃から、本を読むのが好きだった。そのくせ、セリフ部分ばかりを読んでいて、小説の本質を分かっていなかった。それでも本を読み続けていた。